本日の主題、聖句は、従来、復活節第二主日・復活後第一のものだったようです。
今年の教会暦はこれまでと違うことにしよう、と決めたのでしょうか。復活節第四・復活後第三主日の主題・聖句になっています。その理由を知りたいものです。
ちなみに、日本聖公会では、教会暦に相応する聖句は選ばれますが、別段の主題を決める、ということはありません。
この期間の聖句は、いずれも主イエスの甦りの意味を指し示すものと考えています。
本日も旧約日課から学びを始めましょう。出エジプト16:4〜16です。これは創造主なる神が、イスラエルの歴史に介入して、奴隷の状態であったイスラエルを、エジプトから導き出した時の出来事です。それが「過越しの食事」であり、「紅海渡渉」であり、荒野における「天からのパン」マナが与えられた今朝の記事です。
マナは、マナ・タマリスクの潅木に由来する食べ物です。その葉を昆虫が刺すと出るその分泌物と、樹液から出来る球状のものが葉の表面に出来て、それが地面に転がり落ちたものは夜気温が下がった時に集めることが出来ますが、日中気温が上昇すれば解けてしまいます。味は甘く、今日でもベドウィンは食用にしているとされます。
エジプトで奴隷の状況に置かれるようになったイスラエルは、モーセに導かれて、エジプトを脱出し、東の砂漠へ至りました。荒野とも言われます。水と樹木の少ない土地です。大勢の人間が生存するには不適切な場所です。少数であれば、オアシスがあります。沸き溢れる泉と、そこに根を張る樹木があります。イチジクやオリーブ、ナツメヤシなどです。
しかし全ての学者が指摘します。60万もの人間が生活できるようなオアシスはありません。
それにひきかえ、彼らがそれまで生活していた所は、ナイル川流域で、緑滴る農耕地帯でした。決まりきった奴隷の仕事を果たしさえしたら、そこは落ち着きのある豊かな、安定した生活が保障されていたようなものです。イスラエルは親子代々、この地で奴隷でした。その生活に慣れてしまっていました。モーセは、カナンの地こそイスラエルの神が備えたもう所、このエジプトの全てを捨てて出て行こう、と勧めました。
もっと良い所、自由の天地が我らを待っている、と信じて脱出しました。モーセの指導に服しました。ところが、荒野に来たら、それは酷い所。飲む水がない、食べる肉がない。
きっと叫んだことでしょう。肉よこせ、水を出せ、我々を殺すのか、ペテン師、嘘つき!
まだ手にしていない約束のものより、手放してしまった良きもののほうが、素晴らしく見えます。人はいつも、失ったものを懐かしむものです。
このようなイスラエルの民の叫びは、主なる神に届きました。応えられます。
水に関しては、15:22以下(メラ)と17:1以下(メリバ)にあります。肉とパンを与える、ということが16章で明らかにされます。初めにお話したマナであり、肉は、季節ごとに渡りをするウズラです。わが国では、ウズラと聞けばあの小さな卵を思い浮かべます。大きな鶏の卵と変わらない栄養価があるそうです。ところが他の国の人々は、このウズラを料理して食べます。「ベケットの晩餐会」という映画があり、その中で、かつてパリの一流のシェフであったベケットが作るメニューにウズラが入っていました。詰め物をして焼くのですが、とても美味しいもののようです。荒野のイスラエルも、渡りの途中、疲れて落ちてくるウズラを美味しく食べたことでしょう。
マナもウズラも、全ての人に過不足なく、行き渡ったようです。明日の事を考え、自分だけ余分に集めても、それは無駄になりました。神が与えたもうものは皆で別けるのです。
多くの方が『岩窟王』という物語をお読みになった、と思います。原題は『モンテ・クリスト伯』、フランスの文豪、アレクサンドル・デユーマの作品です。フランス革命からナポレオン時代、王政復古にかけて、エドモン・ダンテスという一介の船乗りが、自分を裏切り、罪に落とした者たちへ復讐する物語です。明治の頃、多分、黒岩涙香によって翻訳され、多くの読者を獲得した小説です。私も少年の頃から、幾度か読みました。
最後に読んだ時、それまでとは違うことに気付きました。
脱獄し、モンテ・クリスト伯爵を名乗るダンテスが、故郷マルセーユ、帰って来て、ダンテスゆかりの者たちの消息を探ります。そして、年老いた父親が飢え死にした、と聞きます。その時にエドモン・ダンテスは言います。「何ということだ。このキリスト教国で、そんなことがあるはずがない。ダンテスの友人や、婚約者だっていただろうに」。答えがあります。「勿論です。皆一生懸命お世話をしました。ダンテスがなかなか帰ってこないと父親が世をはかなんで、みんなのお世話を受け付けないようになりました。婚約者は引き取ろうとしましたが、断りました。スープを持って来ても受け付けなくなりました。」
キリスト教国では、飢え死にすることなど考えられない、という言葉が、鋭く胸を刺しました。皆が、必ず助けるものだ、というデユーマの信仰を見ます。
神が創造した世界は、被造物たちの食糧を十分に産出するのです。生産技術の改善も可能なのです。反論があるでしょう。現実に餓死者がいるではないか、と。ソマリア、エチオピア、スーダン、北朝鮮、戦後日本、これはどのように考えるのか。
本当に食料が不足したのでしょうか。輸送手段、配分方法の問題ではありませんか。
クリスチャンとして、デユーマは食糧不足の飢え死になどありえない、と主張するのです。
食糧はどのような時代でもあります。それを運ぶための仲間だっているじゃないか、と言っているのです。
キリスト教会の信仰の特徴はいろいろに表現されるでしょう。私は最近、考えました。
助け合い、支え合い、分かち合い、共に生きようとすることが特徴ではなかろうか、と。
新約の日課を先ほどお読みいたしました。そこで主イエスは、あのモーセの時のマナに匹敵するような、天から降ってくる命の糧がある。「私がその命のパンである」と言われました。水も必要です。ヨハネは7:37以下にちゃんと主の言葉を留めました。それは、イザヤ35章の預言の成就です。救いの時には、命の水、生きた水が溢れ、流れ、荒野が、乾いた大地が、潤いのある沃地となります。
マタイ4:3には、荒れ野の誘惑のうち、石をパンに変えるよう命じなさい、という場面が描かれます。空腹のイエスはどうされたでしょうか。4節
「イエスはお答えになった。『人はパンだけで生きるものではない。
神の口から出る一つ一つの言葉で生きる』と書いてある。」
ここでは、命の糧、命のパンには肉的なものと、精神的、信仰的なものがあると示されます。肉的な必要も、神は与えてくださることを、出エジプト記が語りました。もし不足するなら、人間の自己中心の心が、それを惹き起こしています。
キリストはその十字架と復活を通して、私たちにご自分を、命のパンとしてお与えになりました。それは私たち人間が、永遠の命という神だけが与えることの出来る至福に与るためでした。私たちの心なパンを、心の必要を満たすことがおできになる神だから、日用の、日毎のパンをお与えになることが出来ます。福音書記者ヨハネは、主イエスが神の愛と救いの力を証明していると書きました。
聖餐式は、命のパンを戴き、救いの杯を飲み、一つになることです。
玉出教会は毎主日、聖餐に与ります。
日本のプロテスタント教会は、人間的な配慮なるものを先立たせて、信仰者にとって生命的な事をないがしろにして来ました。揺るがせにしてはならない事の筈です。
大切なことだから回数を減らします・・・自らを陪餐停止にするのですか?
未信者もいるから・・・食卓に共に着く日が来るようお招きするのでしょう。
機会があれば神山教会でも聖餐式をしたい、と願っています。
イエスは全ての人の、命のパンとなりました。
わたしたちは誰でも、イエスによって命の糧を戴くことが出来るようになったのです。
感謝しましょう。