聖書日課 サムエル上17:(32〜37)38〜50、?コリント6:1〜10、詩編18:26〜35
4月から教団の聖書日課に基づく礼拝、そして説教を試みています。次聖日は、平和聖日です。その前主日に与えられた主題は、「神による完全な武具がある」です。少し変えました。玉出では柴田協力牧師が、同じ聖書によって《信仰のない私をお助けください》と、題して、すでに説教されたはずです。
神山教会では、わたしが《私たちには武具がある》と題して説教を試みます。
26日頃から、大変暑くなりました。
今年は夏の来るのがかなり遅れました。13日朝、玄関を出て教育会館へ行くと、フレンチ窓の下のほうにせみがいました。羽化したばかりでジーッとしています。昼過ぎ、牧師室の西側の木立から、シャー、シャーというクマセミの鳴き声が聞こえてきました。夏が来た。梅雨はまだ明けないけど、セミは我慢できなくて出てきたのでしょう。25・6日 辺りになると、朝早くからセミの声です。鳴き声で目を覚ましているのかもしれません。
玉出の信徒で、鈴虫を育てている方がいます。教会員にお分けくださいました。わたしともう一人は、いただきましたが、育てるのは難しそう、と諦めました。教会の庭に放しました。おかげで毎日日暮れになると、そこかしこからリーン、リーン、と涼しげな声が聞こえてきます。祈祷会の最中も聞こえました。帰るときに耳を済ませる人もいます。
ハマユウが咲き、蝶が舞い、いたtいが遊ぶ。玉出教会は、なかなか優雅なところです。
最初に、本日の旧約日課を読みましょう。
サムエル記上17:38以下は、少年時代のダヴィドが一躍名を挙げた有名な物語です。
この章の初めに、イスラエルとペリシテ人たちとの戦いのことが記されます。
士師記の時代からイスラエルは、ペリシテ人をその宿敵としていました。
その理由は、彼らが同じ時期に地中海の東の地、レヴァンテ地方に定住を図ったことにあります。北から、南からそれぞれ進入しました。互いに邪魔者と感じました。イスラエルは当然海岸へ出る道を、生活の地を求めたでしょう。ペリシテ人たちは強力な民族が背後の山地にばん居することを好みません。しかも好戦的な、実績を持つ侵略民族です。
しばしば戦いました。士師記は全編、このペリシテとの戦争物語、と言ってもよいでしょう。士師の役割は、この戦争の指導です。大きな功績を残したものが大士師と呼ばれます。
ペリシテの起源は良く分かりません。そのルーツは、北方の騎馬民族である、という説は面白い。地中海に出ると、彼らは馬を船に換えた、というものです。大きな部分は南へ渡り、北アフリカにカルタゴを造った。これはローマ帝国に対抗する一大勢力となりました。「カルタゴの将軍ハンニバル」はその象徴です。
一部が東へ渡りペリシテとなり、やがて彼らは航海民族フェニキア人と呼ばれるようになる、というものです。
ペリシテの軍勢には、アマレクの末裔が参加していて、途方もなく強く、イスラエルのうちには、対抗できるものがいなかった、と記されます。その名はゴリアテです。古の巨人族の生き残り、と考えられます。
彼はその時代の立派な鎧・兜を身にまとっていたようです。青銅製です。見栄えのするものだったでしょう。それを見ただけで、その堅牢さ、強さが感じられたに違いありません。また、鋭い刃を持った大きな鉄剣を使っていたはずです。大楯、小盾も使ったでしょう。盾持ちが必要でした。
イスラエルは、何とかこれに対抗しようとしました。他方、これまでの経験から、立ち向かうことで味方の勇士が死んで行く愚を知るようにもなりました。だれも立ち上がることが出来ない状態でした。このような時には、総指揮官であるサウルが、最強の勇者として立ち上がらなければなりません。それをしなければ臆病者として謗られます。立ち上がれば死が見えています。
この危機を救ったのがダヴィドです。何の実績もない少年です。消耗品のように送り出そうとします。さすがに、それでは恥ずかしい、とでも考えたのでしょうか。サウル王の武具を身に付けさせます。
身に合わないし、重いために動けなくなることを知ったダヴィドはこの武具を退けます。
ダヴィドは、賢い少年でした。消耗品になる積りなどありませんでした。ゴリアテに勝つために何があれば良いのか、彼は知っていました。石を五つ、石投げの紐だけでした。
相手をきり、殺す武具は必要としません。勝ち誇るものを打ち倒すことが出来れば十分でした。イスラエルの神を謗る者、侮るものを地に臥させ、力を示すことが出来れば十分でした。首を斬りおとした話は不要な部分、後世のものでしょう。
ダビデの武具は、味方を生かし、敵の思いを神を敬うことへと向けるものでした。
次は、マルコ福音書9:14〜29、汚れた霊に取りつかれた子供を癒す奇跡物語。
弟子たちは、試みたが出来なかった。
19節は、弟子たちに対する叱責であり、嘆きの言葉と理解する。
「なんと信仰のない時代なのか。いつまで私はあなた方と共にいられようか。」
23節「できればと言うか。信じる者には何でも出来る」
24節「信じます。信仰のないわたしをお助けください」
信なき我、不信仰な私を、とありました。形容矛盾です。真っ黒な雪、と言うようなもの。
「この種のものは、祈りによらなければ決して追い出すことは出来ないのだ」と言われた。
「この類は祈りに依らなければ追い出すことは出来ない。」
ここに私たちの武具の姿があります。詮方尽きたときにもなお、用いることが出来ます。
追い出すことが出来ないと、戦いはまだまだ続くだろう。
武具とか武器には役割がある。それは、相手を倒すことと考えられやすいが、どうやらそうでもないらしい。日本古来の武道の一つが剣道。
その極意は、抜かないことにある、とされる。勝負は鞘のうちにある、というのも同じことを言おうとしているのだろう。
幕末・明治の人のひとりに勝海舟がいます。
なかなかの傑物だったということ。賞賛されている。
小物に俺様のことが解るものか、と言っていたようだ。
福沢諭吉の評論家的態度を嫌ったらしい。
物騒な時期にも、西郷から護衛を課してもらって、自分は終に一度も件を抜かなかった。
彼は北辰一刀流の千葉道場の免許皆伝、師範代として稽古を付ける事も出来た。
武具は戦って勝つ、相手を倒すためにあるのではありません。戦うことなしに、相手と共に生きること、すなわち戦をとめるためのものです。「武」という文字は、「矛をとどめるという意味です」と学びました。岩槻の人形店「東玉」のポスターに書いてありました。5月の武者人形は平和のしるし、と訴えるものでした。干戈を交える、という言葉があります。このときのかの字が矛を現します。恐らく、秦始皇帝時代の「説文解字」によるものでしょう。
今日の詩編は、18:28〜35です。
これは、殆んど同じ形で、サムエル下22にも載せられています。
ダヴィドの詩編とされ、王が困難・苦境の中から救い出された感謝と讃美とされます。
神の裁きは人をその罪に委ねて、なすがままに放任する(ローマ1:24〜28)。
彼は丈夫の如くに立ち上がり、堅き城に敢えて戦いを挑むのである。29節 しかしこれとても、単なる武勇の誇示に終わるのではなく、ゆるぎなき神の真実に支えられ、その庇護の下に逃げ込む者の信仰から湧き出る力であることを、併せて告白している点は限りなく美しい。
この詩編が、今日の日課にされた理由は、神の許に逃げ込むならば、それは敗北であっても勝利である、ということを示すためです。そこでは神との良好な関係が存在するからです。困難、苦境は、神の裁きなのでしょう。人の罪があります。
それにも拘らず、彼の罪は赦されているのです。赦しは神への祈りの道を拓きました。
神からの武具の始まりです。敵をも愛しなさい、という福音に相応しい武具です。
自分を殺してでも、敵を生かす武器、それは祈りです。祈りは決して呪詛ではありません。
聖霊による祈りは、他を生かす神の力を顕します。