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2005年9月25日

《テラはウルを出発した》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記11:10〜32

讃美歌19,179,270、



セムの家系とテラの家系が明示されます。聖書は何故系図を大切にするのでしょうか?やはり、聖書は難しいですね。「どうしてなのか?」と考え、知りたいと思うことは、たいてい注解書には書いていないからです。その程度のことなのだから、そんなことには拘泥しないで読み進み、語りなさい、と言われそうですが、そうも行かないのです。書かれていないことは大事ではない、と言われても気になります。一度気になり始めるともう駄目です。解るまで、折に触れ、時に触れ気になり続けるのです。

 一体、系図とはなんでしょうか? やはり大事なものなのです。それを持っている人と持っていない人との大きな違いになります。大きな違いを眼に見せることになります。系図がある、持っている、そこに所属しているということで、その人物の筋目が証明されるわけです。ここで言えば、セムの家系がどのように広がって行ったか、ということが判り、その中で現代の私が何処に位置するかが分かると言うことになります。

 系図を持っている、人たちにとっては、自分自身をこの時空間の中で証明する証拠物件でしょう。それは、同時に自分が神の民であることの間違いない証明なのです。持っていない私にとっては、この時空間の中で自分の居場所がないということになるらしいのです。

更に、私は神の民ではない、と言うことになってしまうのでしょう。

 系図があることについては、あるいは持っていることについては、何も言う必要はありません。系図には、多くの人の死が伴います。この中には多くの墓標が立てられている、と語った人もあります。神は、ノアたちを「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と祝福されました。その成就が、はっきりと記されているのも系図であり、墓標です。無味乾燥に感じられる系図も、その背後にあるものを正しく読み取るなら、壮大なドラマとなるのです。

 戦場で死者が出ます。戦死者と呼ばれます。特別な呼び方がなされます。アメリカ政府は、発表したがらないようです。ヴェトナムのときもそうだったと聞きます。その頃から始まったのが、外国人兵士を雇用して死者が出そうなところに派遣する事です。彼らの死はその他として一括処理されるようです。国民には、アメリカ人の死者はこれほど少ない、と言えるからです。イラクではもっと大規模に行われています。事実の隠蔽とアメリカ国民への欺瞞、国際世論の意図的なミスリードなのです。戦場での死者も、交通事故の死者も、同じように多くの関係者が控えており、たくさんの悲しい物語が続くのです。

単調な系図の文面も同じです。何々歳になった、産んだ、その後何歳生きて、息子、娘をもうけた。ここに神の祝福の展開を読もうではありませんか。



しかし、持っていないから神の民にあらず、と言う点については物言う必要があります。主イエスも、伝道者パウロも、救われて神の民となるのは、血筋に拠らず、行いによらず、ただイエスを主キリストと信じる信仰によるのである、と語ります。

多くの族長たちの中から一人を選び、お話しましょう。それは、エベルです。

「シェラが三十歳になったとき、エベルが生まれた。」と14節。17節までこの名前が出てきます。それこそたくさんの墓標の中で埋没してしまいそうです。記憶に止める必要があります。10:21〜22を読みましょう。

「セムにも子が生まれた。セムはエベルのすべての子孫であって・・・セムの子孫はエラム、アシュル、アルパクサデ、ルデ、アラムであった」。

1973年、イタリアの考古学調査団は北シリア丘陵地帯を発掘しました。この時膨大な粘土板文書が発見され研究の結果、エブラと言う未知の文明世界が顔を出しました。このエブラ文書は、ヘブライ語と近縁関係にある北西セム語族に属していることが判りました。更に聖書に出てくる人名や物語が多く見られました。エブラとエベルとは、極めて深い類似性が認められています。エブラの文化と旧約聖書の文化との間に、ある種の相互関係があったと認めざるをえない、と言うのが大方の意見であり、これからの研究によって何が出てくるか怖いような、楽しみです。



 さて、系図は視点を変えます。これまで拡大して行く子孫を描いていたのに、テラという一部のものの系図へと焦点絞りをします。絞込みは、多くの場合それを際立たせよう、と言う意図に基づきます。他のものは、系図の中から一旦姿を抹消された状態になるのです。そしてテラの系図です。テラだけに目を向けなさい、と示しています。何故テラなのでしょうか。やがてアブラハムの系図が現れますが、実は、そのアブラハムを舞台に乗せる役割を与えられているためです。

 テラがどのようにしてウルに住むことになったか判りません。当時の世界でも最大級の通商港湾都市ウル、テラ一族のこれまでの生活とも、その後の生活とも異なる印象を否むことは出来ません。どこかで道を踏み外したのでしょうか。テラは、この豊かな街、物の溢れる街に望みを託して来たのでしょう。このウルの町へ来て、すっかり落ち着いたように感じられます。三人の男の子が生まれます。好事魔多し、三男のハランがこの地で亡くなります。「ハランは父のテラより先に、故郷カルディアのウルで死んだ」と記されます。この時子どもたちにとって、このウルの地は故郷と感じられたのです。年数だけの問題ではありません。多くの民族が出入りするこの所で、彼らが仲間として受け入れられ、交わることが出来、重んじられていたことを示す言葉です。豊かな生活にこの一家は幸せを感じていたでしょう。そこへハランの死、悲劇が襲いました。

 この時テラは何を考え、何を感じたでしょうか。

岩槻教会の歴史の中に一人の牧師。有能で新婚早々の赴任だったようです。埼玉県下で二番目の幼稚園を開園する。ご苦労があったでしょう。生後数ヶ月のお子さんが天に召される。間もなく奥様も後を追う様に召される。その後半年ほど、一年経たずにこの先生は岩槻を去られます。望みに溢れてやってこられた。よい働きをなされ、認められ、尊敬され、受け入れられた。しかし神は多くの悲しみを与えられた。

その地に止まり続ける力は湧いてこなかった。悲しみと共に岩槻を去り、再び訪れることはありませんでした。テラの歩みを重ね合わせてしまいます。しかしテラは少し違うものを持っていました。

岩槻の牧師は二人で、希望に溢れて着任したでしょう。しかし、たった一人で、聖書一巻を携え、去らなければなりませんでした。悲しい事です。何処へ行ったかも記されていません。涙と共に、一人寂しく立ち去りました。誰も、慰めることが出来ませんでした。

テラは、家族がいました。彼自身の伴侶については何も書かれません。それ以外、二人の男の子とその妻、子どもがいました。宝を持って何かの望みを持って出発するのです。もちろんそれ以外の宝、羊や牛などの家畜を連れていたでしょう。

テラは、旅立ちました。ユフラテの河口の町を去って、源流目指してユフラテを遡って行きました。もう一度やり直そう。源流へ帰ろう。

現代の生活はそのスピードが速い。そのために立ち止まり、見直し、考え、もう一度立て直すゆとりを与えようとしません。勝ち組、負け組みなどという嫌なレッテルを貼って、片付けてしまおうとします。

聖書は源流に帰り、やり直す時を与えます。



31節以下を「アブラハムの旅立ち」と題して、語る場合があります。「そして、彼は出発した。この一歩こそ世界を変える偉大な一歩になるのです」。これは、正確にはテラの出発、旅立ちです。テラにも正しく照明を、スポットライトを当てましょう。評価しましょう。

アブラハムはテラの意思に従っているのです。やがて時満ちて、ハランの地でテラは死にます。この地でアブラハムはこの一家の家長となります。決断して何に従うか決める立場に立たせられます。イスラエルの「信仰の父」と呼ばれることになるアブラハムを、その出発点、源流にまで導くことがテラの役目でした。これが主なる神の計画でした。

私たちにも様々な形で役割が当てられています。それを果たし終えれば満足して死ぬことが出来る、死ぬことが許されるのです。まだ死ぬには早いと言われて、ここに生きている私たち、夫々の役割を果たしているのです。まだまだ若い積りで、たとえ小さなことであっても役割を果たしましょう。
欄外

セム Shem ノアの長男でセム系諸民族の名祖。父ノアが酔って裸で寝込んでしまったときに、末弟ヤファトト共に父の裸を見ることなしにその体を着物で覆った。アブラハムはセムの子孫である。創世記5〜11章。

テラ Terah アブラハム、ナホル、ハランの父。テラはセムの子孫で、両者の間には7世代の隔たりがある。テラは先頭に立ってウルを出た。アブラハムがテラに従った。他の二人の息子のうち、ハランは既に死んでおり、ナホルは後に残った。テラはハランに住み着き、そこで死んだ。

ハラン Haran テラの息子、アブラハムの弟。ハランはテラとアブラハムが移住をするために故郷のウルを出発するとき既に死んでいた。ハランには二人の子があった。息子のロト(アブラハムと一緒に移住した)と、娘のミルカ(伯父のナホルと結婚した)である。創世記11章。

ナホル Nahor テラの三人の息子のうちの次男。アブラハムはその兄、ハランは弟である。テラやアブラハムがウルを出たとき、ナホルはウルに留まった。ナホルは姪のミルカと結婚した。後にアブラハムが息子イサクの嫁を故郷に求めた時、そこにナホルの孫娘リベカがいた。このナホルと、彼の祖父ナホルとは混同されてはならない。創世記11章。

ノアがアダムから十代目であったように、後にイスラエルの父祖になるアブラハムはセムから十代目。


ウル シュメール人の旧い都市で、バビロンの東南225km、古代にはペルシャ湾に臨み、通商上、政治上重要な地位を占めていた。今日アラビア語でテル・エル・ムカッヤール(アスファルトの廃墟)と呼ばれ、南北1キロ、東西500メートルのほぼ楕円形の古址である。

初期王朝時代の〈王の墳墓〉からは74人もの殉死者の遺体が発見された。この都市の守護神は月神ナンナル(セム族のシン)で、これを祀るジックラト(高塔神殿)が建てられていた。ウルのウバイド期?とウバイド期?,?との文化層の中間(前4000年期)に厚さ2.5メートルの清浄な砂の層があり、洪水の純然たる痕跡を示し、これは聖書の洪水記を実証するものとして重視されている。