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2006年1月22日

《神の国は成長する》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ福音書 4:21〜33

 ここには幾つかの譬と解説があります。
21節以下は、ともし火と秤の譬(ルカ8:16〜18)
 ともし火は、職台の上において輝かせるためである。頭は何のためにあるのか。笠、帽子の台とするためではありません。ものを考えるためにあります。
 何を聞いているか注意しなさい。自分の聞き方で決まってしまうのです。ちょうど、太鼓と似ています。大きく叩けば大ききなります。上手に叩かないと力は無駄になります。
上手に聞くなら、大きな力が与えられます。下手な聞き方をしていると、持っているはずの力まで奪われてしまうのです。

26節以下は、成長する種の譬。
 ここでは、はっきりと「神の国」という言葉が出てきます。
神の国とは何か、ということはよく問題にされます。ギリシャ語では、バシレイア トウセウー と記されます。セウーは神を指します。バシレイアが問題です。元来、支配を意味します。主権でも良いでしょう。神の国は、神の主面が及ぶところです。
逆に考えて見ましょう。万能、全能の神であるなら、神の主権、神の力の及ばないところがあるでしょうか。
創られたこの世界は、全てが、至る所が、そのまま神の国である、と言うべきでしょう。
キリストの父なる神を知っているか、とか、キリスト教を受け入れているか、などということは問題になりません。ありのまま、そのままで神の国、神の御支配が及ぶところなのです。神の主権が確立されているのです。
そこでは愛するものが死に、悲しんでいるかもしれません。飢えや渇き、寒さに凍えていることもあるでしょう。そのさなかが神の国なのです。私たちの思いもよらない事です。
だからこそこの神の国は、私たちの誰もが気付かないうちに成長し、結実するのです。
と言うことははじめの段階では、種のような状態の御国もある、という事です。
次第に成熟し、やがて鎌を入れるときが来ます。

からし種の譬が次です。これは良く知られています。マタイ、ルカにもあります。
日本からの旅行者は、時々現地の人から、からし種を貰ってきます。
聖地旅行だけではなく、其処から帰って来たという人からアメリカで貰う、ということもあります。そのような種を植えたことがあります。ヒョロヒョロッと細長い木が生えました。2階の窓より高くなりそうでした。黄色の小さな花が付きました。でもこれは本当のからし種ではないようです。おかしいと感じたのは、「葉の裏に鳥が巣を作れるようになる」と言う部分との違いからです。細い葉がまばらについていました。
植物事典では、よく混同する、とありました。
からし種は、生長するとどんな野菜よりも大きくなる。
ナスも野菜です。山梨県では、ナスを「木」と呼んでいました。埼玉でも同じです。
私たちの家庭菜園やフラワーポットでの栽培では、それほど大きくなりません。しかし、甲州では2メートル近くになる、と聞きました。わたしが見たものでも身の丈ほどありました。本物のからしの木は、微小な種から鳥を宿すほどの大きな木に成るのです。

堺市の宿院の近くに小島屋というお菓子屋があります。けし餅が名物。日持ちは悪いけれど結構なお味です。お団子で、その表にけしのみが散らしてあります。それを見るたびにからし種だ、と考えることにしています。ごく小さいからです。

そして33・34節で、譬で話すことについて解説される。
聴く人の力の応じて話し方を変えられたようです。今日説教塾やら説教研究などがあります。そうしたところでは、そのリーダーのスタイルで語ることが求められます。
文章教室や、文学系の同人という研究グループも同じです。先生、あるいは指導者、リーダーが添削して、自分の作風に染めてしまいます。
これとは逆なのです。書く人、話す人の側ではなくて、聴く人の側に立っておられるのが主イエスです。日本の教会における説教の貧困はここに原因があるのです。確かに神学はある、しかし聞く人の心には届かない。雄弁と理論はある聴き手の心情に触れるものが薄い。私の自戒としてお話しました。

この全体は、神の御支配は成長することが語られる。
教会は、地上における神の国、とされる。それにしてはお粗末な現状ですが。
この教会も常に成長発達し続けているのです。
それも人間の力によらず、神の力ある働きによって成長するのです。
私たちに必要なことはその邪魔をしない事です。ほかの木に成ってしまうかもしれません。