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2007年2月18日

《奇跡を行うキリスト》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ルカ福音書9:10〜17

教会暦では今週の半ば、21日は灰の水曜日に当たります。
この日から教会暦はレントに入ります。四旬節、受難節などと呼ばれます。
主の御復活前の日曜日6回を除く40日間を、受難と復活に備える期間とするのです。
主日を除くのは、この日が主イエスの甦りを記念する時だからです。
またこの期間は「克己」の時として守られます。主キリストの苦しみを覚え、私たちも克己節制することで、少しでも苦しみを偲ぼうではないか、という趣旨です。よくなされることは、自分の好物を40日置換禁止する、物断ちするというようなことです。友人の一人は、この間、大好きなビールを決して飲みませんでした。ストレスも多い仕事でした。ビールしか飲まない人ですから、随分辛く、不都合もあったと思います。自ら苦しむ事を求める期間、という考え方です。禁欲することの大切さを学びなさい、と教えられるようです。横着な人間は、これは都合よし、とするかもしれません。良し、靴を磨くのをやめた。
これはちとまずいので、すこし方向を変えて、積極的に、何か普段していない事を手がける、ということも良いのではないでしょうか。奥様任せにしてきた事をご自分でなさる。この期間に初めて、長く続けられることに意味を見出します。

本日の主題は「奇跡」です。青年時代、東京教区主催のCS教師修養会に参加したことがあります。東洋英和女学院の軽井沢追分寮でした。質素な造りでしたが、参加者の容子を見て、教会関係の人は自分とは世界が違う、と感じた事を憶えています。恐らく今日でも、事情は変わっていないのではないか、それでは伝道は難しい、と恐れています。
そのときの主題が「奇跡」でした。「奇跡はある。それは主イエスだから出来たことです」。
軽井沢の木陰で、講師を囲み、質疑をしたとき、質問に対する答えでした。ご自分に言い聞かせているようであった事を憶えています。

 奇跡とは何でしょうか。私たち人間の知恵、知識、理性がうなずくことの出来ないような現象すべてを言います。人間の理性では説明できない現象、と言ってもよいでしょう。
時には知識が不十分なため、技術的に説明できる事を奇跡と言ってしまうこともあります。
 いまだに経験したことのないようなことが起きると、そんなはずはない、そのようなことは起きていない、という場合もあります。事実を否定してしまうのです。奇跡を承認したくないために、何とか合理的に説明しようとします。それが事実の否定ではおかしいですね。それを「合理化」という言葉で表します。主イエスの奇跡に関して、わたしの基本姿勢は、事実の核がある、それを見付ければ良い、それを信じる、というものです。
 (ルルドの奇蹟、1858年少女ベルナデット・スビルにマリアが現れ奇跡がなされた。ここには病院が作られ、巡礼者の世話と、奇跡の検証を行なっている)
本日の旧約日課を読みましょう。
イザヤ41:8〜16、「わたしの僕イスラエルよ」と、神は呼びかけられます。背くイスラエルを、尚、我が僕、と呼ぶ神の愛が示されています。神の愛は、優れた者、従い忠実な者にのみ与えられるものではありません。背く者を尚追い求め、支え、守り、導き、引き戻されるところに顕れます。
このイスラエルはバビロン捕囚の民です。彼らは、神ヤハウェにのみ依り頼むべきであったのに、その罪が神との間を遠ざけるものとなりました。その結果がこの捕囚なのです。
 バビロンの人々は、この神の民イスラエルを「虫けらのようなイスラエル」と、呼ぶことすらありました。全く値打ちなし、とされているイスラエルを神は愛されるのです。人間的には納得できません。これは奇跡です。

ルカ福音書9:10〜17は、5000人に食べ物を与える、という奇跡物語です。
教育館にステンドグラスがあります。大きな部分のモチーフは、丁度この記事になっています。『五餅二魚』という題で知られています。
日本聖書協会で長く働いた牧師に市川忠彦先生がおられます。中央大学時代はキリスト教学生会で活躍され、神学校へ進み、練馬改進教会を始められました。70年代になくなられて、教会も消滅したようです。この先生は本職の画家でいらっしゃいました。聖書に題材を求めたくさんの絵を残されたはずです。わたしの記憶に残っているのはひとつだけ、東京教区の牧師会が説教研究誌を出版され、その表紙を飾っているのが『五餅二魚』と題された絵でした。60年代中頃のものでしょう。
 この奇跡は、説教にも深く関わるものと受け取られていたのです。飢え渇いたものを満ち足らせる説教、ということです。
この奇跡は、神の国について語り続けているときに、引き続いて行なわれました。神の国の奇跡、神のみ力の奇跡なのです。

使徒言行録28:1〜6は、マルタ島での出来事です。それまでの事情を、少し長くなりますがお話しましょう。
パウロは21章で、エルサレムのヤコブを訪問します。そしてエルサレム神殿の境内で逮捕されます。この場面は神殿警察の出番です。ところがそれが暴動になりそうになると、ローマの駐屯軍・千人隊が出動します。諸民族の自治を許す帝国の政策ですが、それだけ暴動を恐れました。皇帝への反逆に繋がるからでしょう。
パウロは、千人隊長に自分の信仰の歩みを語ります。そして自ら、ローマの市民権を持つものである事を明らかにします。その結果、千人隊長はもっと事情を調べることにします。ユダヤの最高法院(サンヘドリン)が招集され、その前でパウロは自分の信仰を語るように求められます。普通であれば、とても話す機会はなかったでしょう。
怒り狂った者たちの手から救い出されたパウロに対し、暗殺の計画がたてられます。
パウロの甥がそれを知り、パウロに知らせます。千人隊長はそれを知り、総督フェリクスの許へパウロを護送します。千人隊長クラウディウス・リシアの名と、護送隊の規模が記されました。百人隊長二人。歩兵200名、騎兵70名、補助兵200名です。それだけ、これは特別なこととして教会に記憶されたことでした。ここまでが23章です。

24章は、パウロの総督フェリクスの前での弁明になります。
25章からは、2年後のことになります。総督はフェストゥスに交替し、新しく取調べが行なわれることになります。このとき、パウロはローマ皇帝に上訴する、と発言します。更に、表敬訪問しに来たアグリッパ王とベルニケの前で弁明するパウロが描かれます。
フェストウスは、繰り返し、この男は無罪であり、上訴していなければ釈放する、と発言します。アグリッパは、「少しばかり語って、わたしを信じる者にしてしまう積りか」と言います。凄いことです。

こうして27章、皇帝に上訴することにしたパウロは、舟に乗せられ、ローマへ向け出帆します。ここでも護衛隊長の名が記憶されます。パウロに親切であった百人隊長ユリウスです。
護衛されてローマへ向かう途中、船は暴風に襲われ、漂流します。パウロの助言を船長が聞き入れ、奴隷を殺すこともなく、全員無事、イタリア半島の西南にあるマルタ島に漂着、上陸します。シチリア島の南、約93キロの地中海の島です。

マルタ島での奇跡は聖書が預言したことです。あまり正確ではありませんが、イザヤ書11:8を御覧下さい。メシア到来の時に起こることが描かれます。
「乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ、幼子は蝮の巣に手を入れる。
わたしの聖なる山においては 何ものも害を加えず、滅ぼすこともない」。
パウロが福音宣教することは、まさに平和を来たらせることに他ならない、と示唆します。
ということは、私たちの宣教についても同じなのです。神の国は平和の国です。

ここまでのすべてのことが、実は神のご計画実現のための奇跡です。
ローマ帝国の東の辺境で始まったキリスト・イエスの福音が、帝国の首都ローマへもたらされます。ローマ帝国の政治・行政・軍事・経済の法律・組織のすべてを利用して、福音は首都へ向かいました。これも奇跡です。

教会の存在そのものが奇跡です。そして、このわたしの存在が奇跡ではありませんか。
奇跡は、神の主権の顕れです。この世界の創造主なる神、私たちを、愛をもって統べ治めてくださいます。ここに私たちの思いをはるかに超える奇跡があります。讃美しましょう。