降誕節第4主日、讃美歌12,317,348、交読文45(コリント前書13章)
出エジプト18:13〜27、使徒16:(6〜10)11〜15、ルカ5:1〜11、詩編101:1〜8
先週は、敬愛する田中良平兄弟の葬儀が営まれました。教会にとけこまれていて、長い間ここに居られる、と感じていました。実際、1969年12月転入でした。40年間、礼拝を共にされていたことになります。1997年3月までは京都の学校で化学の教職でした。
話をしたこともない、という方が結構覆いようです。
簡単にご紹介しましょう。滋賀県大津市に生れる。1934年6月4日のことです。
滋賀県立瀬田工業高校生の頃、1952年4月13日、大津教会で受洗。1962年1月15日、帝塚山学園前の白鳥堂文具店の桂子さんとご結婚。1969年12月21日、玉出教会転入。
京都大学農学部水産学科に学び、京都にある洛星中学・高校で化学の教鞭をとられました。部活でも生物部を指導され、多くの人材を育成し、慕われました。温厚で、明るく、積極的なお人柄で、誰からも愛されました。1997年退職されますが、その年、最愛の桂子さんを天にお送りになります。暫くは、そのことを受け入れることが出来なかったように伺います。やがて深い信仰の目覚めがあり、礼拝に戻られます。御国での再会を目指すようになられたのでしょう。ジョギングで足腰を鍛えておられました。
一昨年ごろから、散歩も稀になるなど予兆が見え始めたようです。昨夏、パーキンソン病のため住友に入院、8月退院、11月、ヘルペスのため入院、退院。その帰りに、教会にお寄りくださり、『葬儀を頼みます』と言われました。それからひと月余、1月10日未明、肺炎を主症状とする疾患のため心停止にいたりました。ご家族は、直子さん、素子さんのお二人です。
お元気な頃、祈祷会で証をされました。部活の合宿で海岸へ行ったとき、生徒の一人が溺れそうになり、その命を助けたことがあります。役に立ったと思えるのはこの一つぐらいでしょうか。それにしても大きな出来事を隠しておられました。お嬢さんもご存知ありませんでした。この時の生徒は、後にフォーク・クルセイダースで『帰ってきた酔っ払い』を歌う北山修さん、現在は大学教授となり、医学教育に励んでおられます。
田中良平さんは、神様に選ばれ、特別な勤めをさせられた人でした。
御国での再会を望みつつ、ご家族の上に、またご友人がた、
信仰の友の上に慰めを祈ります。
《イエスの洗礼》という主題は何を意味しているのでしょうか
「イエスの」という表現は、所有格あるいは主格に解することができます。
したがって、「イエスが授ける」洗礼、あるいは「イエスが受けた」洗礼を意味します。
しかし、イエスが洗礼を授けたことは知られていません。従って私たちは、主イエスが受けられた洗礼の意味などを考えることになります。
但し、使徒2:38〜41では、ペトロが「イエス・キリストの名によって洗礼を受け」るように勧めています。こうしたものは《イエスの洗礼》の中で考慮されるでしょう。
主は、ヨルダン川のほとりで、ヨハネから洗礼を受けておられます。
洗礼者ヨハネとして知られるヨハネは、マリアの親戚の女エリサベツから生れました。
祭司ザカリアの跡継ぎであり、恐らくエッセネ派のクムラン宗団に預けられ成長した、と考えられています。クムランの宗団は、そのような形で後継者を作ったものと考えられています。
ヨハネは、イエスより6ヶ月の年長。芸術家は、この二人が幼少期、共に遊んだと考え、作品に残しています。ムリリョやラファエロなど。
マタイ福音書の記述から、私たちは、主イエスはヨハネから洗礼をお受けになられた、と考えています。然し、ルカの記述は、19〜20節(ヨハネの投獄)が先行しています。そのため、誰から洗礼を受けられたか不明になります。当時のユダヤ,ガリラヤの状況の一面が良く分かり,有り難いのですが、前後の時間的経過が分からない、という難点があります。四分封領主ヘロデ・アンティパスが、自分の異母兄弟の妻ヘロデヤと通じたことで、やがて結婚しました。当時、律法を重んじる者たちは誰もが、哂っていたことのようです。
レビ18:16は、「兄弟の妻を犯してはならない。兄弟を辱めることになるからである。」とします。
この箇所を読んだかぎりでは、親戚の親しさは少しも感じられませんが、二人は熟知の間柄と考えられます。少なくともヨハネは、イエスの生涯の終わりまで、理解しているようです。それでいて自分自身に関しては、十分に知っている、とは言い難いようです。これは少しも不思議ではありません。誰でも他の人のことは良く解かる、見えるものです。そして、自分のことは見えないし、解からないもので、その方がよろしいようです。
これは、ホメーロスも理解していたようです。トロイの城主の娘で、目の見えないカッサンドラは預言の能力を持ちますが、自分の生涯を見通すことは出来ない、とされます。
ヨハネは、ここで自分とイエスとの関係、先駆者としての役割、来るべき方は、聖霊と火によって洗礼を施すだろう、と宣言します。更にルカの特徴ですが、ヨハネは悔い改めの洗礼を施すに際し、福音を告知しています。
このヨハネのもとに、イエスは出かけていって、洗礼をお受けになります。悔い改める罪人の一人として。
洗礼とは何でしょうか。
一つは、わが国でも行なわれる『洗い濯ぐ』の意味であろう、と考えます。
これには『清める』意味があります。
もう一つは、『再生』を考えます。水に沈められることで『死』を、出てくることで『新しい生命』を意味します。洗礼は、創造主なる神による再創造の業なのです。
イエスは、洗礼をご自身の死と等しいものとみなしています(マルコ10:38)。
「しかし、私には受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、私はどんなに苦しむことだろう。」(ルカ12:50)
洗礼は、決して一つだけの意味を持つものではありません。いろいろな側面があります。学者は、いつつの側面を指摘しています。項目だけ御紹介しましょう。
第一は、『キリストとの一致』ローマ6:3以下、
第二は、『キリストの体、すなわち教会への加入』?コリント12:13、ガラテヤ3:28、
第三が、『聖霊そのものの授与』使徒2:38、そして
第四は、『罪の赦し』使徒2:38、
第五が、『新しく生れること』ヨハネ3:5「誰でも水と霊とによって生れなければ、神の国に入ることは出来ない」、テトス3:5「聖霊によって新しく生れさせ、新たに造りかえる洗い」。
このような洗礼をお受けになると、イエスの上に聖霊が降って来て、さらに天からの声が聞こえます。
「これはわたしの愛する子、これに聞け」、これは詩編2:7後半とイザヤ42:1の意味が入り混じっています。このときに、『イエスが神の子』に任じられたことを示唆しています。イザヤ42:1〜3をお読みしましょう。
「見よ、わたしの僕、私が支える者を。 私が選び、喜び迎える者を。 彼の上にわたしの霊は置かれ、 彼は国々の裁きを導き出す。」2,3節に続きます。
「彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。 傷付いた葦を折ることなく 暗くなってゆく灯心を消すことなく 裁きを導き出して、確かなものとする。」
小見出しは《主の僕の召命》となっています。イエスが神の子に任じられた、と言ってもそれは偉い人となって、天の高みへと帰り行く、と言うわけではありません。
預言者イザヤは、イスラエルを救うメシアが、思いがけない僕の姿をとってお出でになる、と預言しました。有名な53章の《苦難の僕》の預言に収斂して行きます。イスラエルのメシアは、人間の思いとはるかに異なり、傷付けられ、侮られ、見るべき麗しさのない姿で来られる、と語ります。
十字架の主イエスの姿に、預言は成就しています。
「私の愛する子」。さまざまな時に、所で、「愛って何ですか」という言葉を聞きます。ある時は子供が先生に、ある時には子供が母親に、ある時は若い男女の間で交わされます。
タイガーマスク現象に愛を見る人もあります。
愛は、そのものをそのままに惜しむことである、と聞いたことがありました。
本当の愛は見えないものだ、と書いた人もあります。愛は、哀しむ事。
多くの人が、愛とは何か、と尋ね、答えようとしました。
いま、ここでは、愛とは全的な肯定、受容である、と申し上げておきます。
父なる神は、悔い改める罪人の中に、その一人として立ち、ヨハネから悔い改めの洗礼を受けられたイエスを肯定し、受け入れられたのです。
自分の義を主張し、他者を断罪するものではありません。イエスは、悔い改める必要などないはずです。それにもかかわらず、罪人のひとりとなり、ヨハネの洗礼をお受けになりました。ルカはそのことを強調しようとしています。
「聞く」は、神の意志を聞くこと、神はその御旨を、その秘密・奥義をすべて御子に与えておられます。
そして誰もが、この神の愛子から残りなく聞くことが出来ます。
最後の部分は直訳すると「私はお前を喜んだ」となります。私たちもまた、御旨を聞き、主が喜びたもう主の民となることが許されています。
私たちは、悩みの日に、悲しみの時に、誰にもその感情、情緒をぶつけることが出来ません。その時、主イエスに聞くことが出来ます。打ち明けることが出来ます。
そして主イエスから慰めと励まし、希望の言葉を聴くことができます。
感謝して、祈りましょう。