降誕節第3主日、讃美歌67,164,282、交読文26(詩104編)
聖書日課 ヨシュア3:1〜17、使徒10:34〜48a,ルカ3:15〜22、
詩編104:24〜30、
水仙が新年早々から咲き始めました。まだ香りは、余り感じられませんが、「新春」を感じさせられました。どうしたわけか、カラスの姿は昨年より少ないようです。メジロはチラホラ、枇杷の花芽を吸いに来ます。スズメは珍しく30羽ほども集まりました。ヒヨドリ、キジバト、この辺が常連です。ゴミ漁りのカラスがいないと、散らからないので助かります。お正月休暇でしょうか。
蜜柑はいつもの木に10数個、いつもの様に成りました。その東の木には、小さな実が一つだけ、寂しく、誇らしげになっています。
教会によっては、毎年2月2日に『主の献身』の礼拝を行なうことがある、と聞きます。
その起源になる聖書は、本日の箇所のようです。実際どのような礼拝をするのかは存じません。先輩の先生方にお聞きしたいものです。
ここでは、ふたつの別々な慣習が行なわれています。
曖昧な記述になっているのは、律法の慣わしに詳しくない者が、聞いたことを書いたためではないか、と推測します。ギリシャ人の医者ルカらしいことです。
第一は、出産後になされる母親の清め(男児の場合は四十日後である)です。特別困難がないかぎり、一頭の雄羊と一羽の山鳩が犠牲として要求されました。難しい場合には二羽の山鳩か家鳩でよかった、とされます。
「清めの期間」について、スタディ版は次のように記します。
『ユダヤ人女性は出産後、宗教的に汚れているとされた(レビ12:1〜8)。女性は男児を出産した場合、七日間家に留まらなければならず、八日目に男児は割礼を受けた(1:59)。その後、母親は更に33日間家に留まった。一連の社会生活から離れた期間が終わった後、再び清い状態に戻るため神に犠牲を捧げた(2:24)。』
第二は、長子を神に捧げることです。出エジプト13:2、12〜16でモーセに命じられたことです。
「すべての初子を聖別して私にささげよ。イスラエルの人々の間で。初めに胎を開くものはすべて、人であれ家畜であれ、わたしのものである。」(出エジプト34:19)参照。
人間だけでなく、全ての家畜にも当てはまります。
神に捧げられる人間の長子は五シェケルで贖われました(民数18:15〜16)。贖いとは、買い戻すことです。現在の所有者、支配者に代価を支払い、その権利を放棄させ、こちらへ移すことです。
イスラエルでは、その最初の男子にとって重要な期間は「八日目の割礼」です。
割礼は、生後八日目に男児の性器の皮を切り取ること(創世17:9〜14、レビ12:3)です。
さらに神への奉献あるいは進呈の儀式がありますが、これは母親の清めの儀式がなされてから行なわれるもので、六週間目になされます。
バーミツバ[「律法の子」と呼ばれる儀式]は十二歳のときで、公に大人と認められるのは三十歳になってからです。
ルカ福音書は、イエスの生涯の重要な時期にはいつも、彼はユダヤ教との連続性の中に身をおいていた、と告げています。
神殿におけるイエスの献身物語には、この子が実際には何者であるかの証明が、二つ入っています。
一つはシメオンによるものです。この人は、「正しい人で信仰が篤く、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた」と記されます。最上の評価でしょう。自分の信仰や、正しくあることに限らず、イスラエル全体を覚え、その豊かな慰めを待望しています。慰めは、救われることを意味します。シメオンは救い主を待望しています。
聖霊が彼と共にいたことが語られます。これはシメオンが預言者であることを示しているのでしょう。言葉と行動・動作で神の意志を伝えます。
聖霊はシメオンを、イエスが捧げられる将にその時間に神殿へと導いて来ました。
シメオンの讃歌、最初の言葉から《ヌンク ディミティス》と呼ばれ,大変有名であり、好まれています。「この目であなたの救いを見た」、嬰児イエスを見たとき、聖霊は働いて、真理を悟らせたのです。
この嬰児こそ、イスラエルも異邦人もすべての民の救である、と確信し、主を讃美しました。彼は、今この時に、待望の時が終わって、成就の時が始まった、ことを示しています。そしてこの一家を祝福しました。
最終的には、(イスラエルの慰め)となる六週間目の赤ん坊を抱いて、いつ死んでも良いという心境になっています。
ここではもうひとりが、登場します。女預言者アンナです。彼女もシメオン同様、嬰児イエスが誰であるか、明確に語ります。待望していた人々に、その成就を告げました。
ルカ福音書とマタイ福音書の間には、降誕物語で越えることの出来ない溝があります。淵かもしれません。
マタイは、学者たちの礼拝の後、エジプトへ逃れます。何時のことでしょうか。何時エジプトから帰ってきたのでしょうか。
ちなみに、学者たちの名前をバルサザール、メルキオール、ガスパールとしたのは、イギリスの歴史家ビード(735年没)である、とされています。
ルカは、羊飼いたちの礼拝の後、掟に定められた時に割礼を施し、神殿詣でをしています。
ルカは、キレニウスがシリアの総督の時、とします。
キレニウスがその職に就いたのは、紀元6年です。ヘロデ大王の没年は紀元前4年です。記録されたローマによるパレスティナの人口調査は、紀元6年に行なわれました。それ以前に行われたことはない、と考えられています。
天文学者、ヨハネス・ケプラーは、前7年の木星と土星の同黄経上の接合がその星と関係があるという説を出した。
降誕の時を確定しようとするあらゆる試みは、福音書の壁に跳ね返されてきました。
マタイが告げるヘロデの死とその後継者について簡単に。紀元前4年のことです。
アルケラオは、ヘロデ大王の息子。パレスティナ南部と中央部、ヨルダン川東岸の領主。
ガリラヤ地方に権限は一切もって居なかったので、ヨセフ・マリアは安心してナザレで生活できました。その一方、ヘロで大王は、このガリラヤ地方を長く統治していました。
そこをギリシャ・ローマ風に仕立てたのもヘロデです。敬虔なユダヤ人、ユダヤ教徒には、余り居心地の良い所とは考えにくいのも確かです。
神殿詣では、いつのことでしょうか。規定された日数が過ぎた後、神殿へ。
その頃はエジプトへ逃げる途中だったのではないでしょうか。
それとも逃げ出す前に、エルサレムへ行ったのでしょうか。
ヘロデが狙っている、捜しているとも知らずに?
降誕の時を確定できない以上、これも不明のままにするしかないのでしょう。
イエスの成長は、サムエル上2:26を想起させます。
「少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれるものと成った。」
少年の力と知恵とは、神の恵みにおいて成長するものです。
人が結婚を考える時、育児、家庭教育をどれほど考えるでしょうか。ひとりの神を礼拝する時、神の恵が讃美されます。力と知恵が成長します。
ガラテヤ4:4で、パウロは、「時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生れた者としてお遣わしになりました」と書きました。
その親しい弟子であるルカは、マリアとヨセフがいかに律法に忠実であったかを書きとめようとした、ということはありそうです。その場合、この記事は違う時期のことを挿入した、と考えることもできるでしょう。
またルカは、イエスが旧約律法との連続性をもっていることを、決して否定しません。
むしろ、律法の完成者、成就をもたらすかたである、と積極的に伝えてきました。
イエスが律法の定めどおり、新伝で献身されたことは、イエスご自身が律法の完成者であることを示しています。
同時に、神のご計画の中で時満ちて、全ての罪人のため、罪の贖いの全たき生け贄としてご自身を捧げられることを示しています。
パウロはルカを通して、その降誕物語を語っています。
律法の下に、女から生れた、まったき人にしてまったき神の子イエス。
それこそパウロの伝える福音に繋がるものです。
罪をほかにして全ての試みに遭われ、自らを十字架の死へと捧げ、
全ての罪人の贖いとなられました。
葬られ、甦り、新しい永遠の命の魁と成られた。これが、私たちに与えられる福音です。
感謝と讃美をささげましょう。