降臨節第7主日(降誕後第2)、讃美歌2,411,118、交読文19(詩84篇)
聖書日課 サムエル上1:20〜28、ローマ12:1〜8、ルカ2:21〜40、
詩編84:6〜13、
新しい年を迎えることが出来ました。お慶びを申し上げます。と同時にこの一年が祝福されますよう祈ります。玄関脇のスイセンが、門松代わりのように咲きました。
門松や 冥途の旅の一里塚 目出度くもあり めでたくもなし
お正月を迎えるたびに思い出す言葉です。一休禅師でしょうか。私にとっては、「凄い」の一語です。お飾りをくぐる、ということは齢を重ねること、年をとることでした。生きて新年を迎えたことは目出度い。それは同時に一年一年、死に近付いていることだ、と喝破しています。これは目出度いどころの話ではありません。相容れない二つの思いを一首にまとめて見事だ、と感じます。
本日は新年礼拝、マタイ福音書2:1〜12が与えられました。
マタイ福音書は、紀元80年代、ギリシャ語を使う西シリアのどこかで成立。
著者は、判然としませんが、十二人のひとりマタイとは考えられません。便宜的にその名を利用したものか、後世の者が使徒の権威を拠り所としたのでしょう。ユダヤ人キリスト者とされていることにも疑義があります。「イエスの血を飲む」という表現などは、ユダヤ人の感性・感情からは受容が困難でしょう。異邦人出身のキリスト者である、とも考えられています。
マタイの教会は、これから異邦人伝道に乗り出そうとする、ユダヤ教から離脱したキリスト教共同体です。福音書は、この教会の信仰的一致確立と振る舞いの指針とする書である、と考えられます。
内容的には、イエスこそイスラエルの精神を的確に顕している、その聖書を満たしていることが語られます。そして、預言の成就である、として旧約が引用される。
その一方で、ファリサイ派、律法学者たちを主体とするラビ的ユダヤ教の欺瞞性が厳しく非難・断罪されています。「災いである、偽善な律法学者、ファリサイ人は。」23章
そして。旧約律法を乗り越え、完成するものとして、愛敵を頂点とする新しい律法が提示されます。激しく、非妥協的な断罪と新しい律法との整合性は未解決の問題として残されています。
福音書記者マタイは、その正体は不明だが、旧約聖書に精通している人物です。
伝道者パウロも、シリアのアンテオケを根拠地として、異邦人世界へ福音を伝えました。
福音書記者ルカとパウロとの係わりを前回は考えました。
同じことがマタイに関しても言えるのではないでしょうか。
パウロのクリスマス物語は、ガラテヤ4:4にあります。
「然し、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生れたものとしてお遣わしになりました。」その内容をまとめれば、次の三点と言えそうです。
神のご計画の時であった
全たき人として生れた神の子であった
律法という神の恵み、神の御支配のもとに生れた
この三点を頭に入れて、ご一緒に考えて見ましょう。
ヘロデ王の時代、これは誰の側に立ってみたら良いのでしょうか。同じことでも立ち所によって全く違って見えてきます。ローマ帝国からは、ヘロデは『ローマの友』、東の辺境をローマのためになるように統治する良い男、ナイスガイとなります。
ブッシュさんが小泉さんを評して、英国首相に目配せしながら口にした言葉です。
ユダヤ人の側から見れば、王位簒奪者、イドマヤ人(エサウの子孫、エドム)、人殺し。
外国による支配の手先となって、その地位の安泰を図っている。王位を狙う能力がありそうだと見れば、身内でさえも暗殺する恐るべき権力亡者。
そしてこの時代は、ローマ帝国が、内乱時代を潜り抜け、カイサル・アウグストゥスの統治により安定した時代です。
「東の方」、常識的にはペルシャ、バビロニア地方でしょう。
「博士たち」、新しい翻訳では、占星術の学者たち、と訳されました。
占星術の学者、星占いと言えば眉唾と感じるかもしれません。
聖書の時代にあっては最先端の科学です。
『星に願いを』かける時代もありました。ディズニー映画『ピノッキオ』で馴染みの旋律。
現代は、星と星の間を人工衛星やロケットなどの廃物が、漂い、走り回っています。
星の光に導かれて、はるばるやって来ました。私は、この部分を読んでいて苦笑いを禁じられません。現代科学の先端技術とよく似ています。カーナビゲーション・システムがあって、とても便利です。ところが近所まで来ると、突き放されます。近くまでは地図や標識を頼りにして来ることができます。その先、教えてほしい所で放り出される。これは不都合極まりないことです。丁度学者たちも同じことを経験しています。
それでも、この星は思い直したように、姿を顕し、彼らを導きます。この間にマリアとヨセフは泊まる場所を確保し、出産し、必要な休息をとったのでしょう。ご計画の時が満ちて行きます。時満ちて宿り、時満ちて生まれ、時満ちて礼拝が許されます。
先走りしました。エルサレムに戻りましょう。
そこでは、ヘロデ大王が怒りと恐れのため不安になっています。市内に放しておいた密偵が聞き込んできたのでしょうか。外国から来た偉い学者が、「ユダヤの王としてお生まれになった方は何処にいますか」と探し回っています。このような報告をしたものでしょう。
祭司長や律法学者たちが集められました。「キリストは何処に生まれるか」。
預言者ミカの書5:1(口語訳は5:2)の言葉が指摘され、回答とされました。
「ユダヤのベツレヘムです」。ベツレヘムは、ダビデ王の出身地(サム上16章)です。そして、ダビデの子孫と信じられる『メシア』も、このベツレヘムで生まれると見做されていました。
ヘロデ大王は、これまで丹念に、王位を窺がう力をもっていると観れば排除しました。キリストは誰だ、何処にいるのだ。ヘロデは、ハスモン王家を排除して、王位簒奪者となりました。
奪う者は奪われることを知ります。殺す者は殺されることを知ります。
ヘロデは王位を奪われること、そして殺される可能性を知っています。恐れ、不安になり、対策を練ります。それは学者たちを騙すことでした。騙すものは騙されます。
学者たちは、承諾してベツレヘムへ行きます。然し、帰っては来ませんでした。
ベツレヘムへ出かけようとすると、再び大きな星が道案内をしました。彼らは喜び、喜んだ、とあります。そして家畜小屋の嬰児を礼拝し、捧げ物をします。
彼らは、「宝の箱を開ける」、その先に何が待っているのでしょうか。「パンドラの箱」はありとあらゆる災いが、災厄が飛び出してきたとされています。
箱から取り出したのは「黄金、乳香、没薬」、これらは、人生の各階梯で必要なものです。
黄金は、最も美しい色、人を陶酔へ誘う薬・香り。豊かさの象徴。それ自身は、決して変化・腐敗しない。素晴らしいものですが、ただ人を腐敗させる力を持ちます。
イギリスの作家、イアン・フレミングの人気作、ジェームス・ボンドシリーズ、映画でお馴染み『ゴールド・フィンガー』。
乳香、誕生に関わるか? 傷や病気に用いられるのでしょうか。
没薬、亡骸に塗る。
占星術は、古代世界で、最先端の科学者であった、と言われます。
星の運行を丹念に調べて、次に何が起こるか知ろうとしました。予知しました。
起きて欲しくないけれど、必ず起こるのが『死』ということです。
生病老死,これこそ人生。生と死の間に起こること。
私たちはそのために、いろいろな形で備えています。
黄金、乳香、没薬は、そのための必要、備えではないでしょうか。宝物です。
彼らは、何よりも大事にしているものを捧げるために、この遠い西の国、ベツレヘムへやって来ました。そして捧げることが出来ました。ヘンリー・ヴァン・ダイクは、『もうひとりの博士』アルタバン物語を残しました。彼はアメリカの牧師、文学者です。
ヘンリー・ヴァン・ダイク, 1852‐1933。アメリカの牧師であり、作家であり、また、プリ ンストン大学で英文学の教授をしていたこともある。作家としては、多くの短篇や詩を書いた
この作品では、学者たちに名前をつけました。カスパル、メルキオール、バルサザール、そしてアルタバンです。待ち合わせの場所へ遅れてしまったアルタバンが、宝物を捧げるためにどれほど苦労したか、描き出しました。救い主は十字架に死にました。それまでの道中で、宝物は全て使い果たしてしまいます。飢え、渇き、宿るところがなく、貧しく、力ない者たちのために使いました。
マタイ25:31〜46で教えられたことを、ヴァン・ダイクは、そのまま描きました。
40節「私の兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、私にしてくれたことである。」
学者たちは、その代わりに何を得たのでしょうか。驚くべきことに、彼らは何一つ持って帰ることは出来ませんでした。一つのことのほかは、持って帰りませんでした。
王の中の王に捧げた、と言う喜びだけです。飼い葉桶の中の嬰児の将来についての知識すら獲得できませんでした。学者たちは、自分がこれまで蓄えた知識に少しでも加えることが出来れば、喜ぶものです。星が正しく導いてくれた、という満足もあったでしょう。
今週木曜日、6日はエピファニー,顕現祭です。「輝きわたる」意味です(シリアの王アンティオコス・エピファネス)。異邦人にまで輝きます。
黙示録の記者は、長老ヨハネです。
彼は、多くのことを天使から聞き、書留め、我々に伝えました。
そのため、語ってくれた天使を拝もうとすると、天使に留められます。22:9、
「やめよ。わたしは、あなたや、あなたの兄弟である預言者たちや、この書物の言葉を守っている人たちと共に、仕える者である。神を礼拝せよ。」
私たちも元来異邦人。福音の啓示を喜び、感謝し、讃美しましょう。神を礼拝しましょう。
祈ります。