聖霊降臨節第21(三位一体後第20)主日
讃美歌77,316,290、交読文38(イザヤ書40章)
聖書日課 ダニエル3:13〜26、使徒5:27〜42、マルコ14:53〜65、詩篇43:1〜5、
火曜日午後、牧師館玄関に立つと記憶にある甘い香りが鼻をくすぐりました。
子供たちが外で遊ぶ姿が思い出されてきました。保育園、幼稚園、小学校脇を通ったとき、
テントが建てられ、何か、華やいだものを感じていました。私の中で金木犀は、運動会シーズンを告げるものでした。
前主日、説教の始めで、きれいなピンクの花のことをお話しました。終わってすぐに、「あれはきっとナツズイセンですよ」と教えてくださる方がありました。ヒガンバナ科に属する。春にスイセンに似た葉が出る。その葉が枯れると茎が伸び夏、八月に花茎一本に一つの花が開く。
ヒガンバナより一月早く、花の少ない時期を楽しませる貴重な花として好む人が多い。温度や水の変化にも強い。それにしても八月のはずが、十月に咲くとは、随分遅れたものです。今年の夏が、どれほど異常であったかの顕れでしょう。
ノ―ベル章の受賞者が、次々と発表されています。お二人の日本人化学者が受賞されました。大変喜ばしいことです。ただ30年ほど前の業績が評価されてのこと、と聞くと複雑な心境になります。候補者の積み残しが、それほど多勢になっているのだそうです。受賞に値する人がそれほど居られることも喜びたいものです。少数の研究者とそれを支える大勢の人々の地道な努力によって、現代世界は成り立っているのです。
土曜日の新聞は、平和賞で一杯でした。かつては、国連事務総長のダグ・ハマーショルド、アメリカのマルティン・ルーサー・キング牧師に授けられたことがあります。チベットのダライ・ラマ14世にも与えられました。この時、中国政府は猛烈に抗議して、政治・外交的な措置をとりました。私は、チベットが中国の支配下に置かれていることに、合点が行かないでいます。
今年の平和賞は、中国の人権活動家劉暁波氏に決まりました。天安門事件以来の活動家で、現在は刑務所に服役中です。中国政府は事前に、平和賞を与えないよう露骨な圧力をかけていました。劉氏の影響力がこれまで以上に強くなることを恐れているようです。権力者は、その支配体制を維持しようとします。支配されている者は、何とかしてそれを変革しようとします。中国も北朝鮮も現体制の維持に全力を傾注しています。体制を崩壊させる力をもっていそうなものに非常に敏感です。過敏なほどに排除しています。
ノーベル賞委員会の勇気ある決断を賞賛します。
今朝は「忍耐」の主題で説教します。聖書は使徒言行録5:27〜42です。
初めに使徒言行録の著者のことをお話しましょう。従来、パウロの伝道に同行したギリシャ人の医者ルカが書いたものと考えられてきました。先週水曜日、聖書研究会がありました。ローマの信徒への手紙16:21を学びましたが、そこに「ルキオ」という名前が出てきます。「わたしの協力者テモテ、また同胞のルキオ、ヤソン、ソシパテロがあなたがたによろしくと言っています」。
これはパウロの同胞ユダヤ人、ルキウスであり、ルカのことをさす、とありました。当否の判定は、わたしの力ではできません。福音書記者ルカはギリシャ人である、という考えに疑問符がつけられ、考える幅が広げられたように感じます。
使徒言行録は、ルカによって書かれたものの第二巻である、とされています(使徒1:1)。
「テオフィロ様、私は先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までの全てのことについて書き記しました。」
この第一巻は、ルカ福音書を指しています。文体や用語、内容のつながりなどから、このつながりは認められてきました。
この5章は、言行録の半分ほどにしばしば登場するペトロが、主要な役割を務めています。
17節からは「使徒たちに対する迫害」という小見出しが付けられ、42節まで続きます。
12節以下で、使徒たちにより、多くの奇跡が行なわれます。エルサレム付近の町から連れてこられた病人や汚れた霊に悩まされている人たちが連れてこられ、残らず癒やされています。
そして、多くの男女が主イエスを信じ、その数を増して行った、とあります。
場所はソロモンの回廊、群衆の中心にいるのは使徒たち。奇跡が行なわれる。
それを遠巻きに見守っている人たち、彼らは仲間になろうとはしません。
そこには、使徒たちを賞賛する人々がいます。主を信じ仲間になる者たちが増し加えられています。呪術的信仰を発揮する人たちの姿も目に付きます。
「ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人の誰かにかかるようにした。」
そこで立ち上がったのが、大祭司とその仲間のサドカイ派の人たちです。変化を好まない富裕な人たち、権力を持つ、多くの人の上に立つことになれている、そうした階層です。彼らは、人々の尊崇が自分たちに向けられることに慣れて来ました。近くにいる彼らを見向きもしないで、民衆は、使徒たちを賞賛します。更に、主イエスを信じ、その名を讃美します。
大祭司とその仲間にとって、これは面白くない。自尊心が傷付きます。神を信じる、と言いながらイエスを恐れたのと同様に、イエスを信じる者たちを恐れます。神を恐れるのではなく、弟子たちを恐れます。排除しようとします。
妬み心に押し潰されそうになった彼らは、使徒たちを捕らえて、牢に入れます。
ところが、その夜中、主の天使によって外へ連れ出され、言われます。20節
「行って神殿の境内に立ち、この命の言葉を残らず民衆に告げなさい。」
使徒たちは、再度捕らえられることも恐れず、夜が明けると神殿の境内に入り教え始めます。
一方、彼らを審判するはずの最高法院の者たちは、一夜にして使徒たちの姿が消えたことに驚きます。そこへ,告げる人があり、使徒たちが神殿境内で教えていることが分かります。神殿守衛長は、部下を率いて彼らを捕らえに行きます。今回は慎重です。民衆の怒りを買うことのないよう、手荒なことは避けた、とあります。
神殿の警護に当たる者たちは、権力者の側についています。それを背景に、手荒く扱うのが当たり前だったのでしょう。 検察だけではなく、警察のの取調べと類似しています。
ここから本日の部分。聖書の連続講解説教をしているときなら、もうチョッと簡単に出来事を振り返ることが出来るだろう、と感じます。
使徒たちは、最高法院の中に立たせられます。最高法院、サンヘドリン、これはユダヤの最高統治機関です。宗教の面、政治・行政面そして裁判という司法面の最高、最終決定を出すところです。現代日本は、司法・行政・立法の三権分立をとっています。古代ユダヤは、それら全てを一所に集中させていました。それがサンヘドリンであり、その規範・憲法が「ユダヤの律法」でした。このため、ユダヤ社会は宗教共同体と理解されています。
大祭司が質問します。「あの名によって教えてはならないと、厳しく命じておいた」。何故それを守らないのか。どのような魂胆があるのか。
ペトロと他の使徒たちが応えます。「人間に従うよりも神に従わなければなりません」。
神を信じることは神を恐れること、キリストを信じる者はキリストを喜びます。
これが大前提となり、神により何を語るのか、明らかにします。
ペトロたちが話すこと、は何か?
木につけて殺したイエスを神は復活させられました。
それはイスラエルを悔い改めさせ、罪を赦すために、導き手、救い主としてご自身の右に上げられました。
私たちは、この事実の証人。そして神の聖霊も証ししておられます。
ここには、注意を促されることがあります。パウロ以前の福音理解ですが、しっかりと十字架の死と復活を、内容としてもっている、ということです。そして、それは罪の赦しのためでした。十字架と復活、罪の赦し、この三点を目撃証人として、バランスよく語るのが、福音宣教です。複雑化する現代社会の中で、教会は宣教を複雑化してはなりません。
この三点に集中させることが重要です。日本の教会、その神学は、武士道の影響でしょうか、十字架、苦難を強調してきました。
それに対して警鐘を鳴らしたのが、赤星進先生です。精神医学者として知られ、多くの著述を残されました。臨床医師としても長く働かれました。神学校時代、小川町時代と二度にわたって教えていただきました。最後に仰ったのは、『復活を語ってください、それが少ないために、日本の教会は神経科の患者になる人が多いのです』、という事でした。
喜びの福音のはずが、バランスを崩すと、苦しみを積み重ねることになりかねません。
さて、この発言を受けて、律法学者ガマリエルが発言します。この人は、異邦人の使徒と称されるようになるパウロの師匠です。使徒22:3,4、パウロは自分のこれまでの歩みを語ります。
「わたしは、キリキヤ州のタルソスで生まれたユダヤ人です。そしてこの都で育ち、ガマリエルのもとで先祖の律法について厳しい教育を受け、今日の皆さんと同じように、熱心に神に仕えていました。」
ガマリエルの発言は、ペトロの発言を承認するものであり、同じ立場であることを示します。38〜39節「神から出たものであれば、彼らを滅ぼすことは出来ない・・・」。神を恐れることです。この発言は、議場の受け容れるものとなります。
使徒たちを呼び入れて、鞭打った後、イエスの名によって語ることを禁じて、釈放します。
随分苦しいことです。それでも使徒たちは、喜びに包まれました。
『イエスの御名のために辱めを受けるほどの者とされたことを喜び』、神殿境内や家々で、毎日教え続けます。福音を告げ知らせました。ここに忍耐があります。
忍耐の語源は、ヒュポモネー、持ち場を固く守ること、踏み止まって退かず、進むこと。
私たちの感覚では、「歯を食いしばって、ジーッと我慢して、いまに見ておれ、俺だってやがて見返してやるからな」、というようなことではないでしょうか。投獄のときも、審判の時も、使徒たちは大きな苦しみを耐え忍びました。彼らにはその原因はありません。
主イエスの御名を告げ知らせるために、苦しみを耐え忍びました。
多くの信仰の先達は、御名の故の苦しみを受け、その信仰を証ししました。
忍耐は、更なる信仰へと導き、主の御名を誇りとし、喜びと讃美を生み出すのです。
感謝して、祈りましょう。