聖霊降臨節第18(三位一体後第17)主日
讃美歌10,263,332、交読文23(詩96篇)
聖書日課 出エジプト12:21〜27、ヘブライ9:23〜28、マルコ14:10〜25、
詩篇96:1〜9、
朝晩は少し過ごし易くなったようです。日中は、九月下旬になろうとするのに真夏と変わりがありません。それでも、猛暑日の連続した頃よりはましさ、と自分を言い聞かせようとしています。かつて東京にいた頃には、30度を越えることは滅多にありません。ひと夏に数日でしょうか。いかにも夏らしいね、などと言っていた記憶があります。負け惜しみに違いありません。
それが今では、毎日毎晩、続きました。日本列島の亜熱帯化現象。人間の体は、本当に不思議です。八月も末頃になると体が暑さに慣れたのでしょうか、余り悲鳴を上げなくなりました。
暑さ慣れした体は、涼しくなると夏の疲れを吐き出そうとします。私は夏の暑さに弱くなったようです。50代になって特に9・10月に寝込むようなことが多くなりました。若い頃当たり前のように出来たことが、次第に困難になるのが加齢現象の一つです。猛暑の夏を生き延び、命拾いをしました。涼しさを感じた所で、休みを取るようにしていただきたいものです。
百日紅が咲いています。鉢植えの紫式部でしたでしょうか、可愛い実が紫色になってきました。柿の実は殆んど落ちてしまいました。寂しい秋になりそうです。
本日の主題は、《キリストに贖われた共同体》です。「共同体」は一つのものを共有する集団です。私達の教会は、贖いを共有する集団であることを学びます。
「贖う」、この言葉は、私達の日常生活では殆んど使われないのではないでしょうか。
何ものかを支払い、買い取ること、手に入れること。
「死をもって罪を贖う」「大金を投じて古文書を贖う」
あるいは《罪の償い》をすること。しかし、償いは、贖いそのものではないようです。
代価を支払い、罪過の赦しを獲得することが償いで、通常はその当事者がそれを行なう。
旧約聖書に、贖いの言葉が出てきます。償いとの違いが分かります。
事典には、次のようにあります。言葉の発展が良く分かります。
*からだや不動産を売った者の近親者は、買い主からそれを買い戻す権利があった(レビ25:23〜55)。この権利を行使する者をゴーエール、贖うものと呼ぶ。
*子無くして死んだ近親者の寡婦と結婚して、死者の名を継ぐ、あるいは子を挙げて義務を果たす者(申命25:5〜10、ルツ2:20、3:9、4:4−)が贖う者。
*殺された近親者のために〈血の復讐をする者〉、すなわち〈あだを討つもの〉(サム下14:11、民数35:19〜27、ヨシュア20:3、5,9)。
*この起源は、血縁共同体の働きを保持する古い親族法である。
イスラエルの神ヤハウェが、その民イスラエルの保護者であること(イザヤ41:14、43:14,22、44:6,24、47:4、48:17、49:7,26、52:9、54:5)、また民の一人一人をその個人的・社会的危機から解放する唯一者であることを示す語となった。
*彼らの行為が贖いであり、行為者が贖う者である。
*人の無罪の弁護者、名誉の回復者(ヨブ19:25)
*圧迫や災いや死などからの解放者(詩119:154、箴言)
すなわち、イスラエルにおける個人意識の高まりと共に、贖い主としての神の思想も、その従来の民族的側面のほかに、個人的側面が注目されるようになったのである。」
このような旧約時代の信仰が、全人類を罪から解放する贖罪者イエス・キリストへの信仰に繋がりました。
ヨブ記19:1〜29を読む時、これは主キリストの予言であると理解することが容易になりました。
25節「私は知っている。
私を贖う方は生きておられる。
後の日に、塵の上に立たれることを。」
聖書は、贖いを広義に理解します。さまざまな事物からの救いを意味します。
命の危険(詩103:4)、しいたげ(詩119:134)、敵(ヨブ6:23)
労役(出エジプト6:6)、苦しみ(詩25:26)、
究極の贖いは、罪からの救いとされます。「欲孕みて罪を生み、罪成りて死を生む」だからです。ヤコブ1:15です。ローマ6:23にもあります。「罪が支払う報酬は死です」。
本日の聖書、ヘブライ9:23〜28には、この「贖い」という言葉は出てきません。
それでも10章には、大変丁寧に「贖い」が説明されています。
全種日、夕礼拝は、使徒信条のうち《罪の赦し》を主題としました。準備しながら、何故この項目は繰り返されるのだろうか、と疑問が湧きました。
考えていると思い出しました。「信条は、その時代の異端との戦いの中から生まれたものである」、と教えられたことを。
そして、新約聖書にある福音書も、手紙も同様に、その時の必要に応じて書かれているのです。例えば、ルカ福音書で「恐れるな」という言葉が、繰り返し出て来ます。これは、福音書の読者たちにとって、恐れるような現実がたくさんあるから、「恐れるな」と語られるのだ、と理解します。
ニカヤ信条は、アリウス派の異端との戦いの中から生み出されました。アリウス派は、天父と子とは本質が異なると主張しました。アタナシオスは、その本質は同じであると反駁しました。およそ半世紀の熾烈な争論の後、ナジアンゾスのグレゴリウスなどにより、三位一体論が完成され、アリウス派を異端として追放することになりました。この中から生まれたのが『ニケア信条』です。四世紀末のことでした。父と子が同質であることが告白されます。聖公会祈祷書で読んでみます。
「世々の先に父から生まれた独り子、主イエス・キリストを信じます。主は神
よりの神、光よりの光、まことの神よりのまことの神、造られず、生まれ、父
と一体です。すべてのものは主によって造られました。」
同じように『贖い』を考えましょう。初期の教会の中に『贖い』を認めない人々がいたのではないでしょうか。使徒言行録によれば、初代教会は財産を持ち寄り、共有にし、それを切り売りして終末に向かって消費共同生活をしていたようです。ある人々にとって、これは都合の良いものだったでしょう。自分は何もしないで食べさせてもらう。ここにこそ主イエスの愛の教えが生かされる、愛の共同体が実現する。他のことは要らない、とでも言ったかも知れません。働かないでも大丈夫だ、と主イエスは教えてくださったのだ。罪の赦し、贖いなど如何でもよろしい、復活なんかあるわけないさ、とまで言ったかも知れません。
事情は、人間の考えを大事にするところではいつも同じです。ヒューマンライツ、人権や理性が大事にされ、人道主義、ヒューマニズム、民主主義が重んじられる時、創造の神が何をなさったか、私のために何をしてくださったかを忘れようとするのです。
間もなく教会は、終末到来は、今の時代のことではなさそうだ、と気が付きました。そこで各人は、それぞれの働きの場に出て行くことになりました。言行録では、パウロの外国宣教は、時に働きながらであったことが記されます。18:3、プリスカとアクラの夫婦と一緒に、コリントで天幕造りをしながら、宣教した。まもなくシラスとテモテがやって来ると、パウロは御言葉を語ることに専念します。
このようにして、教会は、主イエスによる罪からの贖いを信仰の中心に据えて行きました。
その基盤になったのは、ヨハネ3:16だろうと推測します。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅び ないで、永遠の命を得るためである。」
余りにも有名な言葉です。良く分かっているつもりになってしまいます。著名な説教者の一人、スパージョンは、この箇所で100回以上説教をしたけれど、まだ語りつくせない、と言ったそうです。存外、私たちも解かっていないのではないでしょうか。
イエスが世に与えられたことは、十字架を指しています。罪のない者が、何故罪を背負って死なねばならなかったのか。聖書記者、使徒たち、そしてパウロにとって、大きな問題、課題でした。彼らは、イエスの教えと行動の事実を見た目撃証人でした。そしてそのまま語り伝えれば事実の伝達者です。パウロは、ダマスコからタルソへ逃亡します(9:30)。その後アンティオキアへバルナバに伴われて帰って来ます。ここで一年ほど、教える生活をしています(11:25,26)。この期間が、事実の解釈を進める時になったでしょう。
贖いを解釈した者たちの頂点に立つのは、ヘブライ書の記者です。
傷なく、しみもないものは、神への捧げものとして聖別されている。その故に、イエスは、神に捧げられた犠牲の供え物である。すなわち罪を贖うまったき生け贄である。
それも、大祭司が捧げる家畜の生け贄のように毎年捧げる必要のないものである。
家畜に代わって、ただ一回、ご自身を捧げて、永遠に有効な、まったき生け贄をおささげくださいました。
このことを否定したり、拒絶する時には、もはや罪の贖いは起こりえません。
私たちは、現代人の一人です。程度の違いはあっても、科学技術の進歩した時代を生き、物事を合理的に考える術を身に付けています。そして『神は死んだ』と言いたくなるかもしれません。
合理的に、科学的に考えれば考えるほど、私たちが大きな罪、小さな罪を次々に犯していることを否定できなくなります。合理性とは客観的であることです。自分は罪と無関係であると言えるでしょうか。青年時代の私は、ここで降参しました。
罪の現実は、罪の赦しを求めます。主イエス・キリストの十字架による赦しを、慕い求めます。教会は、赦された罪人の共同体。贖いを共有する者たちの集団です。
他の何ものにもよりません。
感謝と讃美を捧げましょう。