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2010年7月18日

《神による完全な武器》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
?コリント6:1〜10

  聖霊降臨節第九(三位一体節第8)主日、
  讃美歌77,262,365、交読文32(詩139篇)
  聖書日課 サムエル上17:(32〜37)38〜50,?コリント6:1〜10、
       マルコ9:14〜29、詩編18:26〜35、

 一年前(2009年7月19日)の説教原稿の始めに拠れば、前週の月曜日(7月13日)からは、毎朝早くから蝉時雨。それもお昼ごろにはいつの間にか消えてしまっています。暑い盛りは嫌いなようです。
前週15日(木)、集会後セミの抜け殻や穴について立ち話をしました。
翌16日(金)朝、新しい抜け殻を見つけました。昼前、セミの鳴声が聞こえました。
セミにとってもようやく夏本番か、と感じました。
 長い梅雨でした。しかも、最近になく雨量が多かった感じです。各地で被害が発生しています。水の力を感じます。

 本日は第二コリント書が読まれました。この手紙は、パウロが書いたものですが、大変面倒な問題を抱えています。私たちは、二つの、コリントへ向けた手紙をもっていますが、この中に幾つかの手紙が隠れている、と言います。第三の手紙、涙の手紙、などです。
後ほど、少しだけ触れましょう。

 幾つもの手紙を書いて、ねんごろに指導しようとするパウロです。
当時、コリントの教会は、実にたくさんの問題を抱えていました。ある学者は、第一と第二の手紙の中に、12の問題を数え上げます。
 本日読まれた箇所では、多くの問題のうちでも、パウロにとって我慢ならないような問題を扱っています。それは自らの「使徒職の正当性」です。
イエスの在世中、絶えず共に居て、親しく教えを受けた12人の弟子たちは、「遣わされた者」という意味で使徒アポストロスと呼ばれました。
主キリストにより、その教えを伝えるために派遣されている者たちです。
然し、それ以前には『十二人の者』、『弟子たち』と呼ばれています。その頃、サウロと呼ばれていたパウロは、勿論、この仲間ではありません。

 パウロは、自分自身が12人の者たちと違うことは認めます。然し、その誰よりも教えを宣べ伝える為に労苦してきた、という自覚をもっています。この自覚は、とても強烈です。
パウロが書いた手紙を読むと、その最初の部分で、しばしば自分の使徒職の正当性を自己弁護しています。こうしたことは、他の人がすれば良いこと、パウロ自身は泰然自若としていれば、必ず理解されるようになる、というのは実情を理解しない私たちの考えです。
激しい攻撃にさらされている最中のパウロは、教会が正しい指導を受けるために、使徒職の弁明をするのです。自己弁護、弁解は見苦しいものです。それは自己の利益を守るものだからでしょう。 勝海舟は、福沢諭吉から批判・攻撃された時、弁護しませんでした。

 人は、他の人の表面を見て評価し、自分の態度を決めます。朴訥な田舎のお婆ちゃん然としていれば、はじめてあった人は軽く扱うのが普通です。そして、その人の発言もなかなか受け容れない。経歴などを紹介されてようやく評価を改めます。
 逆の場合もあります。「馬子にも衣装」と言いますが、立派な身なりの人が居れば、その人には一目も二目も置く。下にも置かないような扱いであり、おもてなしとなります。

 この玉出教会で、感心していることがあります。それは、牧師よりも牧師らしい人が大勢居られることです。押し出しの良い事や恰幅のよさではありません。牧師、必ずしも押し出しが良いとは限りません。むしろその人の話し方、考える中身、それらが眞に福音的であることに感服致します。それが何方であるかは、人によって見方が違うでしょう。お任せします。
 やはり、二年間の無牧期間を立派に過ごした教会は違うものだ、と感心しています。
私などは、そういう方と一緒に居ると、会堂守のように見えてしまうのではないか、と感じます。実際にそういうことがあったのでお話しています。他の教会で、私と会った初めての方が、その教会の掃除の人か、と思ったそうです。

 人は外観だけでは評価できない、と憶えましょう。同時に、先日お話した『蓋棺定評』を思い出してください。「棺に蓋をして、初めて評価が定まる」ということです。他の人を早急に評価してはなりません。同時に、それは自分自身にも当てはまります。最期の息を引き取るその時まで、自身の評価は定まりません。何故なら、誰でも死という最後の仕事を残しているからです。最後の仕事によって定まる評価もあります。

 パウロを攻撃する者たちには、パウロが最初からの弟子ではない、ということが格好の標的になりました。さらに食物問題で、彼の主張の揚げ足取りをして攻撃しました。この問題は、ローマの信徒への手紙14章も扱っています。今週の聖書研究会がその箇所です。
 偶像の神殿に捧げられた肉を食べても良いか、さらに捧げられた後市場に払い下げられた肉が売られているが、これを買っても良いか、という問題です。
極端なギリシャ人の意見は、偶像の神は存在しないのだから、神への捧げ物も成立しない。
食べることも、買うことも自由だ、とします。パウロ自身は、異教の神殿で飲食することは勧めません。市場で売られている肉は、神に感謝してから、食べるがよろしい、と教えています。
コリントにいるユダヤ人、ユダヤ教徒たちは、このような考え方を我慢することが出来ません。パウロを批判・攻撃します。

 パウロは、第二回伝道旅行でおよそ一年半、コリントの町に滞在し、キリストの教えを伝えました。コリントは、現在に至るまでギリシャで有名な商業都市。エーゲ海とアドリア海を東西に控えるため、多くの文化がこの地に流れ込みます。経済と文化面で非常に繁栄した都市国家です。万博の上海を思い出しました。

 コリント教会宛の手紙は、少なく見ても四つあるものと考えられています(木下順治)。
1)「怒りの手紙」?コリント5:9、エフェソから発信し、現存しているのはその一部と思わ   れる。?コリント6:14〜7:1
2)「コリント教会の種々の問題に答えた指導の手紙」エフェソから出す。?コリント全部
3)「涙の手紙」?コリント2:4、エフェソから出したもの。
  ?コリント2:17〜6:13、7:2〜4、9章〜13章、
4)「喜びの手紙」?コリント7:6、マケドニアから出したもの。
  ?コリント1:1〜2:16、7:5〜16、8章

 このことから、コリントへの手紙は、一連の問題についての指導が目的である、とわかります。とすれば、両方の手紙の共同執筆人、あるいは発信人の名前にも注目しましょう。

 第二書は、テモテの名が記されます。パウロの愛弟子としてよく知られる若い伝道者です。
彼の信仰については、?テモテ1:5に記されます。391ページです。「その信仰は・・・祖母ロイスと母エウニケに宿りました」。
 使徒言行録では、16章で初めて登場します。この時すでに、評判の良い弟子として知られていました。ここから、パウロの伝道に同行する協力者となります。テモテに関しては他の機会がありそうです。

 第一書には、ソステネという名が記されています。この人については余り知られていません。この機会に学びましょう。
 第二伝道旅行の18章に、このソステネの名があります。ローマの総督ガリオンに、パウロが訴えられた法廷で、ソステネが告発しようとした時、総督に却下されました。
「すると群衆は、会堂長ソステネを捕まえて、法廷の前で殴りつけた」18:17。

 このときパウロはどうしていたでしょうか。木下順治先生は、次のように書きます。
「ソステネが会堂長としてユダヤ教徒を代表してパウロを訴えた時、総督がリオに却下されるや、これを見ていたギリシャ人のキリスト信徒らは即座に彼に襲い掛かり、彼を打ち叩いた。
その時パウロはこの様子を見て、かつての十字架上のイエスの赦しの言葉(ルカ23:34)や、ステパノの最後の祈りの言葉(行伝7:60)を思い出し、ソステネをリンチの場から救い出し、彼のために親しく温かい慰めの言葉と励ましを贈ったのではなかろうか。・・・彼はやがて入信し、コリント教会の信徒となりました。」
その後、ソステネは、パウロのもとを訪れ、その折この手紙の共同発信人として名を連ねたのでしょう。

 パウロの使徒職の弁明についてお話しするつもりが、だいぶ逸れてしまいました。
パウロは、使徒職の正当性を攻撃する者たちに対し、自分自身の歩みを語ることで対抗します。数多くの試練が語られています。決して自身の力を誇示するためではありません。
?コリント10:13以下で語られるように、神がその僕を守りたもうことを語ろうとしています。「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
このところは、偶像に捧げられたものを食べる問題を論じています。?コリント6章の使徒職の正当性に係わるもう一つの論点です。

 このように、自身の使徒職を弁明することは、反対する立場の者たちと戦うことです。自分を守り、キリストの教えの正当性を守り、伝える戦い、と言えるでしょう。そして、普通なら相手を倒し、其処から去らせる、あるいは消滅させることで勝利します。
 川中島の合戦は有名です。ある人は謙信の勝ち、と観ます。他の人は、信玄の勝ちとします。それは最後まで戦場に残ったのが信玄だから、というものです。領土保全の戦い、と観るのです。然し、戦いには、さまざまあります。
実は、私たちがキリスト・イエスを旗頭に仰いで戦う戦いは、勢力範囲を奪取する事ではなく、それによって相手の人を、真に生かそうとする戦いです。

 当然、その武器は、相手の息の根を止めるものではなく、肉を切り、骨を断つようなものでもありません。その存在を抹消することを目指すものでもありません。
相手を生かし、その中に潜む悪の根を取り除くことが出来るものです。

 ローマ6:12は『五体を義のための道具として神に献げなさい』と語ります。五体とは、肉体だけではなく、全身全霊のことです。知識、経験、言葉まで含みます。

 この戦いの完全な武器は、キリスト・イエスが、十字架の上でその唇から漏らされた言葉です。ステパノの、最後の祈りの言葉です。
愛と赦しの言葉こそ、憎しみに打ち勝つ力ある武器です。
ルカ23:34「父よ、彼らをおゆるし下さい。自分が何をしているのか知らないのです」
使徒7:60「主よ、この罪を彼らに負わせないで下さい」
パウロは、この言葉、この祈りに生かされ、異邦人の使徒となりました。自らを捧げました。
私たちは、そのおかげを被っているものです。

感謝して、私たちも献身の生涯を送らせて頂きましょう。