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2010年6月20日

《宣教への派遣》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
使徒言行録13:1〜12

  聖霊降臨節第5(三位一体後第四)主日、
  讃美歌9,263,266、交読文28(詩篇119篇)
  聖書日課 アモス7:10〜15、使徒13:1〜12、マルコ6:1〜13、詩篇107:17〜22、

 梅雨に入りました。今年は雨が多いのかもしれません。蒸し暑く感じられますが、これも稲作農業には大事な条件です。感謝したほうが心の健康のためにもよろしいでしょう。
御殿場の梅雨を思い出します。北に富士山、南に箱根連山を控え、冬は冷蔵庫の中と言われるほど冷え込み、他の季節には夕方となれば一雨来るのが当たり前、と言う気象でした。
霧が深く、軒端の廂を越えて入ってきそうでした。ある時は、朝おきて玄関まで来ると、たたきから板の間まで一面の水。板一面が水でびっしょり、びっくりして、思わず怒鳴りました。
「誰だ、こんなところに水をまいたのは」、そしてハッと気付きました。
水をまく者などいるはずがない、誰も起きていない。自然現象、御殿場名物のじっとりとした湿気。霧が家の中まで入り込んだようなものでした。富士山側では、一年中除湿機が必要です、と聞きました。ある家の方がなくなり、無住になりました。通年、除湿機を動かしておられました。大阪の湿気は、潤いと感じて、ありがたいくらいです。

 本日の聖書、使徒言行録13章は、パウロの第1回伝道旅行の、始まりの記事です。
主イエスの昇天後、エルサレムに留まっていた弟子たちは、大迫害が起きたため、ユダヤとサマリヤの地方に散らされています(使徒8:1)。「使徒以外の者は」とあるのは、12人の者はエルサレムに留まり続けた、という意味のようです。しかしこのあとには、ペトロがヤッファ、カイザリヤへ行った、と記されているので、12人の者たちも逃れた、と考えて良さそうです。迫害を逃れた、とは言わないまでも、積極的に、証のため出て行ったのは事実です。あるいは、散らされて行った者たちを心配して、様子を見に行ったことも考えられます。

 大迫害のきっかけは、ステファノの殉教でした。これはユダヤ人たちによる迫害。
キリスト教会は殉教と呼ぶ。ユダヤ人たちにとっては、背教徒の処刑、となるでしょう。あるいは神を穢す者への裁きであり、処刑である、となります。これに賛成していたひとりがサウロという名の青年です。彼は迫害のためダマスコへ行く途上、主イエスに出会い、回心します。その後、パウロと名乗るようになります。異邦人の大使徒パウロです。
 彼は、キリキヤのタルソ生まれのディアスポラ(離散のユダヤ人)。ベニヤミン族の出身、ユダヤ人の中でも生粋のユダヤ人である、と自負しています。律法をラビ・ガマリエルに学び、それを厳格に守るファリサイ派のひとり。しかも彼は、生まれながらにローマ帝国の市民権をもっていた。市民権を買うものは多かったようだが、生まれた時からローマ市民である、ということはたいへん貴重であり、誇らしいことでした。

 本日の主題は《宣教への派遣》。私たちは、どちらかと言えば、宣教よりも伝道という言葉を用いることが多い、のではないでしょうか。
宣教と伝道の違いは何でしょうか。教会の積極的な使命として、三つのことが考えられる。
伝道、教育、福祉(社会事業)です。これを総称したものを宣教と考えることが出来ます。
日本キリスト教団の組織は長いこと三委員会制でした。70年以降だったでしょうか、機構改革がなされ、宣教委員会の中に三つを並列するようになりました。宣教が、包括概念で、伝道はその中の一つ、となるのです。宣教は、さまざまな形でイエスがキリストであることを証することです。

 本日の出来事は、バルナバとパウロが一年間、活動していたアンティオキアの教会から始まります。11:26には、「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである」とあります。キリストの者たち、と呼ばれた記念さるべき場所、町、教会の名がアンティオキアです。
アンティオキアは、シリアのオロンテス川の地中海へ注ぎ込む河口から、内陸部へ24キロさかのぼったところに立つ、美しい町です。アレキサンダー大王の死後、アジアを継承したセレウコス将軍が王となり、マケドニア人5300人を移住させ、大きな街づくりを始めました。その後順次拡張され、地中海都市アンティケアの名は高められました。やがてユダヤ人も多く住まうようになりました。迫害に遭遇したユダヤ人は、ここを逃れの町と考えたでしょう。ステファノの時の迫害でも、イエスを信じる者たちは、この町へ移りました。バルナバとサウロ・パウロがいます。

 そこには、「ニゲルと呼ばれたシメオン」がいたと記されます。ルカ福音書では23:26に、「シモンというキレネ人」が登場して、イエスの十字架を背負わされます。同じルカの筆によるものであり、同一人物だろう、と推測されています。当時の教会では、よく知られていたのでしょう。十字架を背負う、ということも一つの召命です。

 1節からは、最初期の教会の職制が分かります。「預言する者や教師たちがいた」。
他の箇所でも、同じことを見出だします。
?コリント12:27〜28、「神は教会の中に、いろいろな人をお立てになりました。第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、次に奇跡を行う者、その次に病気を癒やす者、援助する者、管理する者、異言を語る者などです。」
多くの人たちが、さまざまな役割に選ばれ、任じられ、働きました。これも召命です。
違いがある多様性ゆえの豊かさ、更に大きな賜物がある、と告げています。

 聖書には、他にも召命の記事があります。サムエル、アモス、ホセアなどは有名です。
本日の聖書日課にはこの中の、アモスの召命記事があります。アモス書7:10〜15です。
ご一緒に読んでみましょう。1438ページです。

 アモスは、テコアの牧者として知られています。「牧者」という言葉は、現代のわたしたちには、教会の「牧師」を想起させます。しかし、旧約では、文字通り羊を飼う者、羊飼いの意味でした。サムエルは祭司の息子、貴族階級と言えるでしょう。アモスは野で羊の群れを守る者、ルカ福音書の降誕物語で読み、聞かされてきたものです。決して卑しい職業などではありません。無学ですらありません。誰もが知るダビデ王も羊飼いでした。一般庶民であることは、間違いありません。誇り高い庶民です。

 アモスの出身地、テコアはベツレヘムの南9キロ、ネゲブの北東隅の田舎町、現今のキルベト・テクーア、標高849メートルにある小さな町。質朴な生活は、古のイスラエルが荒野から受け継いだものを思い出させます。アモスをはじめ町の人々は、その重要な産品である羊毛を売るために北王国の市へ出かけて行きます。その先々で見かけるものは何でしょうか。豊かさと権力、独善、腐敗。偽善と不義・不正・不公平でした。

 北王国は、ソロモンの死後、その息子レハベアムの統治に反対し、ヤロブアムを推戴して始まった国で、強大な国となっていました。
 繁栄の陰には、いつの時代でも虐げられ、嘆き悲しむ多くの民の姿があります。テコアの牧者アモスは、そうしたイスラエルの現実の中で預言をするように求められたのです。
 「正義を洪水のように  恵の業を大河のように  尽きることなく流れさせよ」5:24
神は、人々に欠けていること、不足していることを、預言者の口を通して告げられます。それは多くの場合、神への忠誠と普遍的な正義です。
 旧約の預言者たちは、いつもその時代の社会的公正を求め、その中に神の正義を表すように教え、求めました。

 現代日本第一級の作詞家が言っていました。「現代の日本が何を欠いているのか、何に飢え渇いているのかを見ています。そこに向けて書いています」という意味のことです。
 ある意味で、非常に預言的なことを語られました。説教者に求められていることです。

 13章では、教会が、二人を選び出すよう命じられたように読めます。主なる神が、この二人を定め、選び、求めています。教会は、これを受け入れ、承認し、送り出すのです。召命は、個人が神から直接受けるもの。そこでは、わたしたちの常識は通用しません。相応しいとは考えられない者が招かれます。力が足らないと考えられるような者が用いられます。私たちが相応しい、能力、資格が充分にある、と考える者が退けられることもあります。
教会はそれを受け止め、承認し、支えます
 現代に至るまで、教会はこのための手続きを定め守ってきました。個人の召命と献身の意志が先立ちます。教会はそのことを神の御旨によるものと確信して推薦します。実際は牧師の推薦書ですが、教会の役員・長老会と無関係のはずがありません。更に教区の推薦があり、教団の試験を受けます。このような経過を必要と考えるのは、目には見えない神の選びを客観的・合理的に承認するためです。合理的というのは、人間の理性ではありません。神の御旨、という意味のことです。
 「選択・決断に困る時は、自分にとって不利なほうを選びなさい。そうすれば、たいていのことはみ旨に適います。」 塚本虎二

 「礼拝していると」、礼拝生活がなされている中で、「聖霊が告げ」た、とあります。
 神の命令、召命は、神に従おうとする中で告げられます。
大学1年になる前に、教会へ行くようになり,その翌年2年生、3年生の時、夏季修養会が軽井沢星野ホテル、プリンスホテルで開かれました。明確な狙いがあったようです。青年たちに伝道への召命を感じさせよう、ということ。

イザヤ書6:8〜10、エレミヤ書1:4〜10、を学び、祈りと讃美、そして考える時でした。
多くの人を通して、神のみ旨が、この私に示された。聖霊の働きである、と受け止めました。そして、このように考えました。
 『他に有能かつ相応しい人がいるが、その彼らが行かないから、相応しくないけど、この私が  応えるしかない。』

 もうひとりの友人に励まされ、共に神学校を目指しました。教会は二人の献身を承認し、支えてくれました。彼は、二年間で他の大学院へ行き、大学教授になりました。たいへん有能な人です。彼が共に行こう、と言ってくれなかったら、愚図な私は決断できなかったでしょう。彼は、私のために恥辱をも忍んでくれた、と今では分かります。

 私たちは、誰を宣教へと派遣するのでしょうか。誰が行くでしょう。教会の将来がかかっています。聖霊に促されて、神が定めたもう者を宣教の務めに任じる時があるでしょう。祈りつつ、その時を迎えましょう。
すでにこの教会から派遣された者たちがいます。その人々のために祈りましょう。支えましょう。
こうして、私たち全ての者は《宣教への派遣》団としての教会を形成することになります。
パウロが宣教に派遣され、多くの伝道者が派遣され、今、私たちすべてが派遣されています。
 感謝しましょう。

 玉出教会と私が関係し、祈る牧師

 佐藤(金沢長町)、北谷(笠岡)、大庭(佐川)、

 米倉(札幌)、川中(岩槻)、松本(函館)