聖霊降臨節第3(三位一体後第二)主日、讃美歌68、301、387、交読文14(詩50篇)
聖書日課 歴代誌下15:1〜8、使徒4:13〜31、マルコ1:29〜39、詩編69:17〜22、
前主日は、一年ぶりの神山教会でのご奉仕でした。昨年5月の予定が、インフルエンザ流行のため、外部からの入構自粛となりました。一年四回の第五主日礼拝での御奉仕。
丸一年のお休みでした。床屋さんへ行き、髪を整え、気張って行ってきました。
新緑が爽やかで、すぐ近くでホトトギス、鶯が鳴いて、歓迎してくれました。富士山はあいにく顔を隠して、見せてくれませんでした。ちと残念な感じです。
簡単に、何故私はこのご奉仕を続けているのかお話します。
ハンセン病は、国の『ライ予防法』によって、患者は強制隔離・収容されることに決まっていました。当時は不治の業病などと呼ばれ、治療法はおろか、病気の原因すら知られていませんでした。やがて、病原菌が確定され、感染症であることがわかり、戦時中のアメリカで特効薬も生み出されました。それがプロミンであり、戦後、わが国でも導入され、治る病気とされました。
それにも拘らず、国内では予防法を強化する形で『新予防法』が布かれました。治らないとされた時代に逆戻りです。
このような流れには、国家の興隆、富国強兵、国民の安全などの考えがあり、患者さんたちはその犠牲になった、と私は感じています。私たちの生活のための犠牲です。本当に申し訳ない、と感じています。この日本で発病した不幸がある、と言います。
昨年夏の発病、大学病院でも病名が出ません。感染症センターへ回されました。感染症、ハンセン病もそうです。教会や、家族には申し訳ないのですが、これがハンセン病であれば、少しはあの患者さんたちに申し訳が立つのではだろうか、と感じました。結局、リューマチ性多発筋痛症でした。
国の法律と行政の問題は、私たちにも責任があります。あの方たちを家族から、故郷から、通常の生活から引き離し、押し込めてしまったことには、私たちも重い責任を感じるべきだ、と考えて来ました。そのためにも、この教会の皆様によって送り出されたいと考え、お願いしてきました。ご一緒してくださることを喜び、感謝しています。
神山教会は小さな群れです。それでも全国のクリスティアンから支えをいただき、祈られて来ました。様々な教派があります。すべてと交わりたい、と願い無教派でしたが、最期は東海教区東静分区のお世話になろう、と決断して教団に加入しました。私が、御殿場教会の牧師となり、関係するようになってからのことです。もし私が御殿場に赴任し、関係を持たなければ、無教派、単立のままで来たかも知れません。責任を感じます。
昨年一年間に、二名の信徒が召されました。伊藤秋夫、荻野全硯、お二人とも役員をなさった、熱心な信徒でした。遺骨は引き取られることなく、所内の納骨堂に収められるのが普通です。24日(月)には、天皇・皇后両陛下がご訪問下さいました。教会員もお目にかかった、と語り、とても喜んでいました。
30日の礼拝には、神山教会員が三名、所外から6名と私。計10名。オルガンは故障したままになっていて、使えず、ヒムプレイヤーのお世話になりました。会員はあと二名おられますが、数日前から治療のため遠隔地へ出ておられ、なんとか礼拝に間に合わせたい、と言って帰ってこられる途中、と聞きました。終わって帰る途中、山道を登ってくるタクシーと行き交いました。クラクションを鳴らして、停車、バックしてくる。とこちらの運転手さんが言います。あれは、加藤さんですよ。さすが療養所の運転手さん、見ておられたようです。双方が車を降りて、硬い握手、
「間に合わなかった」、「残念」、「逢えて良かった」、「次を楽しみに」、
口々に言ってお別れしました。
『終末期に向かう教会』という標語を、神山教会は設けました。随分前から見定めていました。新規の患者さんはいない。もちろん信者も増えることはない。
そうした状況で、静かに終わりの時を迎えよう、そのお世話を東静分区にしていただきましょう。お世話致しましょう。分区の牧師たちが説教を分担しています。そこに私も加えられ、また玉出教会が関わることが許されている、ということは大きな恵だ、と感じます。
玉出教会が、私を送り出し続けている、ということは関係者によく知られています。
更にご協力いただければ幸いです。
駿河療養所も、収容者の数を大きく減らし、今では90名台となりました。今礼拝に使っている場所も、近いうちに取り壊され、その跡地は、療養地区となり、大きな病院を建てる敷地の一部となります。礼拝所は移転することになります。カソリックは、すでに数年前、所内の教会を休止にしています。山を降りたところに、復生病院があり、カソリック教会があります。そこへ行くことが出来ます。プロテスタントは、御殿場には幾つか教会がありますが、遠すぎる感じです。所内での礼拝が望ましい状況です。
さて本日は《伝道する教会》という主題の下、使徒言行録4:13〜31が与えられました。
暫く前から、教会学校が、この使徒言行録を学んでいます。その後追いをするようですが、余り気にしないで、私たちなりに、学び、信仰の養いを受けるように努めましょう。
このところでは、エルサレム神殿におけるペトロの説教と、その惹き起こした騒動が語られます。『美しい門』で、足の不自由な男を癒やしました。それに続いて『ソロモンの回廊』で説教をします。ペトロとヨハネは、捕らえられ投獄されます。そして翌日。
5節には、エルサレム市内に議員が集まった、とあります。当然、最高議会が開かれたのでしょう。議員たちは、裕福で、祭司や神殿と深い関わりを持つ人々、恐らくサドカイ派に属する、と考えられています。彼らは、神殿における祭儀と捧げ物を重んじました。そして、彼らは死後の命を信じませんでした。
律法学者たちは、将に律法を研究し、人々が間違いなくそれを守るように教え、指導しました。恐らくその最良の弟子がファリサイ派の人々でしょう。掟を、一点一画の欠けなく守ろうとする人たちです。学者たちは、自分では掟を守ろうとしない、むしろ逃げ道を作り出している、と主イエスによって叱責されています。
1節には珍しく、神殿守衛長という職名が記されます。当時、ローマの兵士が駐屯していますが、彼らの任務はユダヤの治安であり、宗教自治の建前から、宗教に関わることには手を出しません。ローマ皇帝に対する不敬がある、とか、反乱の兆しがある、というような時に備えています。そのため神殿の秩序を守る警護の兵士を神殿が持つことが許されていました。その頭分、恐らくサドカイ派で、祭司の家系に属するものだったことでしょう。この人の名前はないが、職名が記されたのは、ここでは神殿の秩序の問題が起こったのだ、と告げられているのです。
ペトロとヨハネは、民衆に何を話したのでしょうか。ローマ支配のことでしょうか。
彼らは、そのようなことをしていません。ただ、神の僕イエスがあなたがたによって殺されたこと、神はこの方を復活させられたこと、私たちはこのことの証人です。と語ります。
そして、あなたがたが知っている男は、この方の名を信じる信仰によって強くされ、立ち上がりました。だからあなたがたも、悔い改めて立ち帰りなさい。
このことは4:2に要約されています。
「二人が民衆に教え、イエスに起こった死者の中からの復活を宣べ伝えているので、彼らは苛立ち、二人を捕らえて翌日まで牢に入れた。」
エルサレムの治安に係わるのはサドカイ派の人々。彼らは死後の命を信じていません。
死者の復活を語るとは、治安を乱すもとになると考えたことでしょう。
こうした経過をふまえて、議員たち、祭司長たちによる審問になります。
5節の続きになります。その時代の、議会のメンバーその他、偉い人たちの前に立たせられたペトロとヨハネ。尋問されました。
「お前たちは何の権威によって、誰の名によってああいうことをしたのか。」
ペトロは聖霊に満たされて答えます。「病人に対することなら、十字架につけて殺され、神が復活させたイエスの名によるものです。」 十字架の死と甦りを証言します。そして、
「このイエスこそ、家造りらに捨てられた隅の親石。この名のほかに、救いの力はない」と公言します。
なんと堂々たる態度でしょうか。社会的な地位や血筋、財産、権力をものともしないで、語るべきことを語りました。これがキリストの証人、伝道者の本来的姿勢です。
議員たちは、二人の傍らに癒やされた人が立っているので、何も言い返せなかった、とあります。彼らは、二人が無学な普通の人であることをとらえて、無礼である、というようなことを言いたかったのでしょう。何も言えませんでした。そこで、二人を議場から出して、相談します。「彼らが行ったことは、もはや否定できない。知れ渡っている。これ以上知れ渡らないように、今後イエスの名によって語ってはならない、と命じようではないか。」
ここには「脅しておこう」という言葉があります。
脅す行為は、わたしたちの日常生活では、たいへん有効です。私たちが弱虫で、気が小さいからです。自分の無力さを知っているからです。逆に、脅す側は、相手が弱いと見ると徹底的に脅してきます。脅しは、弱いものいじめです。最も卑怯なことです。恥じるべきです。力のない幼児に対する虐待も同じことです。
繰り返される脅しに対してペトロとヨハネは、恐れることなく答えます。19節
彼らは、いわゆる偉い人たちに答えていますが、その顔は、眼差しは主イエスを、父なる神を仰いでいます。そして答えました。「人の言葉に従うよりも、神に従います。」
こうして二人は釈放されました。そして仲間のところへ行きます。すべてのことを語り告げ、共に喜び、感謝と讃美を捧げました。心を一つに祈り終えると、聖霊に満たされて、大胆に神の言葉を語りだしました。キリストの福音を証言したのです。
神山教会は、療養所の仲間に伝道することが使命であると認識していました。
ですから今、終末期に入った状況であっても礼拝をやめようとはしません。他の何が出来るというのでもありません。ただ礼拝を続けることで、伝道の使命を最期まで果たそう、と決意しているのです。神山教会は、祈りの教会です。
私が、地元御殿場の牧師として、神山教会を訪問するまで17年間、地元の教会と交わることが出来るように、祈り求めてきた、と聞きました。せめてその期間と同じ位は通わせていただけるかな、と思いました。行く度に祈りの力をいただきます。
伝道する教会は、祈りの教会です。祈祷会の出席が少ない、と言われます。さまざまな原因があるのでしょう。それでも、私は信じています。それぞれが、その場にあって祈っている、その祈りと心を合わせることは出来る。そうして祈りの教会になるのだ、と。
教会の方向を示されたことを感謝しましょう。
大胆とは自由であること
公然として、人を憚からないこと、喜びと確信に満ちていること