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2009年12月13日

《先駆者》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
イザヤ書40:1〜11

  降誕前第2(待降節第3)主日
  讃美歌 ?編1、96、224、交読文10(詩32篇)
  聖書日課 イザヤ40:1〜11、?ペトロ3:8〜14、マルコ1:1〜8、詩編85:2〜14、

 昨日、10時半頃、メジロが一羽やってきました。気の毒なことに、餌になるものが何もありません。例年なら、高いところに、柿の実が幾つも残っているのに、カラスが、全部食べてしまいました。どこかで見つかると良いなあ、と思います。
 新型インフルエンザの流行は、止まる気配も見えないようです。死者は、全世界で一万人を超えた模様です。予測より少ないのは、ありがたいことですが、この影響は計り知れないものがあります。

 この季節の音楽、クリスマスと風と雪
そうした一つにヘンデルのオラトリオ『メサイア』があります。これは、必ずしもクリスマスに限定されるものではありませんが、その第一部が預言と降誕物語なので、この時期、好まれています。二部、三部は復活、永生になります。春に好まれる、とは聞きません。

 その第1曲は、序曲。管弦楽の演奏です。それに続く
第2曲がテノールの叙唱(レシタティーボ)、『わが民を慰めよ』
Comfort ye my people、イザヤ書40:1〜3
第3曲はテノールの詠唱(アリア)、『諸々の谷は高くされ』
Every valley shall be exalted、イザヤ40:4
第4曲は合唱で『見よ、神の栄光は地にあらわれ』
And the glory of the Lordイザヤ40:5
このあとはハガイ書、マラキ書が続き、再びイザヤ書が現れます。
第9曲、アルトの詠唱と合唱『善き音信告げよ、シオンに』
O thou that tallest good tidings to Zionイザヤ書40:9

 第20曲、アルトとソプラノの詠唱『主は牧者の如く』
He shall feed his flock like a shepherdイザヤ書40:11
これら6曲が、第1部≪救世主の出現の預言とその成就≫21曲のうち、イザヤ書40章に基づく部分です。この他にはマラキ書が2曲、ハガイ書は1曲、他は全てイザヤ書から詞が作られています。

 作曲者ヘンデルは、1685年ドイツで生まれました。同じ年に、JSバッハが生まれています。この音楽が作られたのは、1741年8月から9月にかけての3週間です。
 初演は、1743年4月13日、アイルランドのダブリンで慈善演奏会として。
1750年頃からは、孤児院で慈善演奏会を毎年、開催し、ヘンデルの死の年まで続きます。
1743年3月には、ロンドン初演、
1770年には、ニューヨーク初演、
フランスでは、1900年に、ようやくパリ万博の幕開け公演で演奏されました。
 日本では諸説がありますが、1951年、日比谷公会堂で「芸大メサイア」の第1回が行われました。以来、定期演奏会が、行われてきました。ちなみに53年か54年に、東京ジング・アカデミーという合唱団が、日比谷公会堂でこの全曲演奏に挑みます。なぜか、私も聴きに行っています。残念ながら数曲は省略された、と記憶しています。

 この音楽は、今や世界中で愛され、聴かれ、歌われています。素人合唱団や、学校でも演奏にチャレンジするほどです。クリスマスや、イースターの前後に限らず、苦しい時、悲しいときに聞きたくなります。

 作曲者ヘンデル自身、幾度も破産し、更に病魔とも戦う時期でした。晩年53年には失明しています。親友ジェネンズは、常に彼を助け、励ましました。彼は歌劇やオラトリオの台本を書いた文学者で、シェークスピア全集を出したほどの人物です。こうした助けはありましたが、彼の人生のうち、砂漠、荒れ野の時代と言えるでしょう。
 ジェネンズが、聖書の言葉をもとに編集し、「キリストの降誕、その預言と成就、十字架と復活、福音伝道、そして信者の復活の約束と審判、永遠の生命」を三部にまとめました。ヘンデルは、これを驚異的な短期間で作曲。全53曲、演奏時間2時間以上の曲を3週間で作曲するというのは、まさに神の力、奇跡だ、と言われてきました。

 ヘンデルの同時代の人に、非国教会派のジョンとチャールス(讃美歌224)のウェスレイ兄弟がいます。彼らとは親しかったようで、メソジスト派のために三曲の聖歌を書いています(1750年)。大作曲家が、しかも国王に仕える立場の人が、国教会から出て行った人たちのために音楽を作る。国教会の首長は国王です。国王に対する、反逆行為、と解釈されても文句を言えないことでしょう。如何に親しかったか、ということの一つの証です。

 ヘンデル個人の苦しい状況は、その時代全体の環境とも言えるでしょう。
ある人は、次のように書いています。
「当時の英国は、貧富の差が特に激しく、権力のあるものは権力をほしいままにし、富のある者は贅沢の限りを尽くしていた。また『乞食オペラ、1725年』に出ているように、街道には辻強盗が横行し、海には海賊船、奴隷船が行き交い、一般人民は酒に酔って往来にごろ寝するような有様であった。一方、政治家も宗教家も腐敗し切って、道徳は全く地に落ちていた。」
 これを読むと、現代と変わらないではないか、と思わせられます。昔は英国一国のことでしたが、今はグローバリズムの時代、世界的な規模で同じような現象が起こっています。
科学・技術の進歩、発達は、必ずしも人間を成長させてはいません。歴史は繰り返しています。その故に、ヘンデルの『メサイア』は、いつの世でも喜ばれているのです。

 ジェネンズとヘンデルは、このような砂漠の時代に最も必要なものは何か、神から示され、力を与えられて、このオラトリオを作ったに違いない。社会が乱れ、家庭も荒廃した時代、何を拠り所にしたら良いのか、何処に希望があるのか、救いはあるのか、そのような声に大胆に答えるのがこの『メサイア』です。

 社会の荒廃、生活の困窮、人間関係の混乱、心の悲苦、いつの時代でも、これらは砂漠を、荒野を作り出してきました。
 イザヤ書40章は、このような人々に慰めを、希望を示します。

 イザヤ書40章は、39章までに対して第二イザヤと呼ばれます。
 貴族アモツの子イザヤは預言者として知られ、最初の部分の預言を残しました。「ユダとエルサレムについて見た幻」です。紀元前780年ごろから680年ごろと考えられています。
 それに対して、第二イザヤは、その名も知られない詩人で、まだ歳若な預言者とされます。
紀元前587年のバビロン捕囚以後に預言活動が行われます。この預言者は、捕囚の民に対して、捕囚からの解放の時、エルサレムへの帰還の時が近いことを語り、希望を持ち、主なる神を拝することを求めます。

 此処には興味深い言葉があります。
捕囚の民が解放され、帰国するのなら、自分たちのために『荒れ野に道を備え、・・・荒地に広い道を通せ』と語れば良いはずです。告げれば充分でしょう。ところが、此処には、違う言葉があります。語られています。
「主のために、荒れ野に道を備え、私たちの神のために、荒地に広い道を通せ。」3節
何故、主のため、なのでしょうか。主が迎えに来てくれるのでしょうか。
むしろ、主が先立って、帰還の道を歩まれることを示している、と考えます。その姿が11節に描かれています。
「主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、
子羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。」

 この預言が意味する事は、その時が来たならば、主は、これまでも共に居てくださったたように、帰還の道筋においても共に居り、先に立って導いてくださる。羊飼いのように、襲い来るものとも戦い、私たちを守ってくださる、ということです。

 そうです。敵国バビロニア、そのようなところに神はいない、と思っていたユダの民に、神は、あそこでも私はお前たちと共に居たし、帰還の道でも共に居り、導き、守る、と言われるのです。

 それだけではありません。1節から素晴らしい言葉が響いています。
「慰めよ、私の民を慰めよと  あなたたちの神は言われる。」
ユダの民、その都エルサレムは、その犯した罪のために戦いに敗れ、バビロンに捕らえ移されて来ました。捕囚民として、バビロンの人たちから嘲られ、笑いものにされて来ました。意気消沈して、見る影もないユダの人々。神は私たちを見捨てられた、と考えて当然です。

 ところが、この見捨てられたような民を、ヤハウェは「私の民」と呼んで下さるのです。
そして、「苦役の時は今や満ち、彼女の咎は償われた」と語りかけられます。
捕囚を罪・咎にたいする刑と考え、その刑期が満了した、と言います。その咎に対しても補償がなされた、と言います。支払われるべきものは、生命を贖い取る代価です。誰が支払うことが出来るでしょうか。詩編49:8、口語訳では次のようになります。
  「まことに人は誰も自分をあがなう事は出来ない。
  その命の価を神に支払う事は出来ない。
  とこしえに生きながらえて、墓を見ないためにその命をあがなうためには、
  余りに価高くて、それを満足に払うことが出来ないからである。」
この咎の償いは、神御自身がなさって下さったのです。

 多くの苦しみ、悲しみが満ち溢れている私たちの歩みです。
私たちの外側に、そして内側に荒れ野が広がっています。これも荒れ野、砂漠です。
そのさ中に、神が共にいてくださり、私の民よ、と呼びかけていてくださるのです。

 喜びましょう。感謝しましょう。更に多くの人々に、伝えましょう