降誕前第三(待降節第2)主日、社会事業奨励日
讃美歌6,94、?編80、交読文5(詩19篇)
聖書日課 エレミヤ36:1〜10、?テモテ3:14〜4:8、マルコ7:1〜13、詩編19:8〜11、
師走、一年の最後の月になりました。壁のカレンダーも残り一枚だけになりました。
庭の桜がすっかり色づき、はらはらと落ちて、錦のじゅうたんを敷き詰めたようになります。綺麗なのでお見せしたいものだ、と思いつつ余りに多いので、一度だけ掃き寄せました。残念ながら昨夜の風で殆んど落ちてしまいました。11月は適当な間隔で雨が降ってくれました。補植したツツジも移植した枯れかけのツツジも、勢い良く新芽を見せています。綺麗な色です。これから寒くなるのに大丈夫だろうか、と心配になります。スイセンも伸びてきました。例年より早いかもしれません。11月から、とは気付きませんでした。
本日の主題は《旧約における神の言》、聖書は旧約聖書のエレミヤ書36:1〜10です。
玉出教会は、新約聖書主義を伝統としています。それ以外のものを排除するわけです。
これはもう一つの伝統、無信条主義と表裏一体をなすものではないか、と考えます。
ディサイプルスの無信条主義は、新約以外の何ものをも正典、信仰の基準とはしない、ということなのです。
ディサイプルス教会が始まるきっかけになったのは、アメリカで長老主義教会の宣教師が、開拓時代の奥地へ分け入り教会を始め、周囲の長老主義教会の人たちにも聖晩餐に与ることを許可したことでした。牧師がいないために長年にわたり陪餐できなかった人たちは喜んで参加しました。ところが長老主義教会の本部はこれを認めません。違法な聖餐式執行である、としてこれを責めました。教会の会議の決定を第一のこととしたのです。
これを契機に、このとき二人の牧師は従来の教会を離れ、独立伝道者となりました。
そのために、信仰の基準となる正典は新約聖書だけ、排除の基準とするような教会の教理、会議の議決などは認めない、と主張するようになりました。
こうした背景を知る時、新約主義、無信条主義は理解できます。その上でごく一般的に言えば、主義、という言葉の持つ人間の思想の影を恐れます。信条に代わって、人間の思想を主としたのでは、当初の願いを果たせなくなるし、キリストの教会ではなくなってしまいます。それでも現在の玉出教会は、信条・告白に対しては余り接近していません。
新約主義に関しては、それを打破しようとしています。旧約聖書には、キリスト・イエスの福音を明確にする守役という大切な役割があるからです。旧約聖書は、人名、地名が面倒くさいけれど、読むと面白いものです。
エレミヤ書36:1以下を、ご一緒に見て行きましょう。
ユダは、ダビデの子孫が王となっている国です。北イスラエルに対して南ユダとも呼ばれます。ヨヤキム王の第4年は、紀元前605年になります。
この年、主の言葉が、預言者エレミヤに臨みました。彼は、すでにこの時に至る長い活動を続けてきました。「ヨシアの時代から」と言われます。ヨシア王の治世は、紀元前640年から609年に至ります。エレミヤは627年頃から、神の裁きの言葉を、ユダの民に語ってきました。この辺の事情は、エレミヤ25章、26章に語られています。
今、エレミヤに語られた神の言葉は、これまでの神の言葉をすべて書き留めなさい、というものです。「イスラエルとユダ、および諸国について、あなたに語ってきた言葉を残らず書き記しなさい。」これはその目的に続きます。
「ユダの家は、私が下そうと考えているすべての災いを聞いて、それぞれ悪の道から立ち返るかもしれない。そうすれば、わたしは彼らの罪と咎を赦す。」36:3
神の赦しの言葉です。これこそがエレミヤに預言させ、そのすべてを書き残させる目的です。それは、「赦すかも知れない」とか、「赦すだろう」ではなく、明確に断言しています。
この言葉は、民の前で読まれました。更に多くの者が、これを聞くことを求めました。
そして結局、これを聞いた役人は、これを理解し、王に伝えねばならない、と考えました。然し王がこれを認めず、怒り、拒絶するであろう事も理解していました。エレミヤと書記のバルクに身を隠すように語ります(19節)。役人の報告を聞いたヨヤキム王は、その巻物を切り裂き、暖炉に投げ込み焼いてしまいます。24節には、「王もその側近も誰一人恐れを抱かず、衣服を裂こうともしなかった」とあります。耳はあるけれども、神の言葉を聞くことができなかったのです。
言葉とは何でしょうか。これは良く問題になります。しかも、何ら考えないままに用いているのも、この言葉です。生まれてすぐにこの言葉に親しみ、記憶し、口から出し始めています。
最近の問題の一つとして取り上げられるものに『キレル』ということがあります。これは、言葉が出ない、出ても聴かれない、そのために暴力に訴えてしまう、と説明されています。たいていの場合、焦り、不満、怒りなどの感情が認められます。自己抑制、制御が出来ないのです。それほどに激しいのでしょうか。安直なのでしょうか。
どの様に説明できても、それだから暴力も正当な行為である、とは言えません。
1932(昭和7)年、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相は、『話せば解る』と言ったと伝えられています。それに対して襲撃者は、『問答無用』と叫んで射殺しています。犬養首相は漢学の素養が深く、孫文とは親友。一般庶民の教養・討議能力にはあまり信を置いていなかった、と言われます。たいへん皮肉なことです。言葉がその本来の能力を失っていました。
言葉とは何でしょうか。さまざまな定義がなされていることでしょう。
私は「思想や感情、知識、経験を他に伝えるため、口や体全体を用いて発せられるもの」と考えています。昔は、言語すなわち話し、聴かれ、書かれ、読まれる言葉を考えればよかったのですが、現代人はそれ以外にたくさんの言葉を使用しています。
良く知られるものの一つは、音楽でしょう。音楽は世界を繋ぐ、と言われます。言葉以上の言葉と評価されます。彫刻、絵画、工芸品、たくさんの言葉を発しています。
意外な言葉もあります。それは「沈黙」です。雄弁は銀、沈黙は金、とも言うようです。聞き手によるかもしれませんが、確かに沈黙はたくさんのことを話してくれます。
一所懸命話しているときに相槌を打つでもなく、黙然と聞いている。これは否定か拒絶を意味する沈黙です。それとは反対のこともあります。
密かに顔を背けて笑う姿は、創世記に記されます。
これは神の言葉を信じることが出来ずに、それを嘲笑したものです。
創世記17:17「アブラハムはひれ伏した。然し笑って、密かに言った『百歳の男に子どもが生まれるだろうか。九十歳のサラに子どもが産めるだろうか。』」
18:12「サラは密かに笑った。自分は年をとり、もはや楽しみがあるはずもなし、主人も年老いているのに、と思ったのである。」
この二人は、この後すぐに神から直接言葉を掛けられ、態度を変えます。たかが言葉、されど言葉、と言うべきでしょう。言葉は、時として大きな力を発揮します。その言葉を認め、受け入れ、信じる者たちの間で大きな力を持ち、外部に向かって働きかけ、変革を起こします。
旧約聖書で、その言葉を使って、神は何を伝えようとしたのでしょうか。
預言者を通して伝えられた神の言葉は、民の罪を裁くものでした。断罪の言葉です。
ある時は、その民を震え慄かせました。他の時には無視され、結果として裁きの通り処罰されます。
此処に見る神の言葉は裁き、断罪です。間違いありません。然し、その中に見逃してはならないもっと大きなもの、もっと違うものがあります。
神が裁きの言葉を通して伝えようとしたものは、赦しの愛でした。
先ほどお話した36:3にあるとおりです。36:7でも繰り返されています。
重要なことほど繰り返されるのです。民の反応はさまざまでした。
この神の愛の言葉を他の箇所でも読むことが出来ます。良く知られるエデンの園の物語です。創世記2:16〜17
「園のすべての木から取って食べなさい。ただし善悪の知識の木からは、決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう。」
創世記3:3女がヘビに答える。
「私たちは園の木の果実を食べても良いのです。でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
此処では話したいことが一杯ですが、今は省略し、他の機会を待たねばなりません。
大事な事は、此処で園の中で禁じられた木の実は、それを食べると確実に死に至る、ということです。いわば、死ぬことが禁じられています。「死ぬといけないから。」
私は、明日上京して、友人である55歳の男性の葬儀を司式せねばなりません。死んでほしくありません。友人である故に、ひとしお強く感じます。
創造主は、その被造物に対し、もっと深い愛をもっておられます。
死ぬといけないから、という愛をもって禁じておられます。
ユダの家が、悪の道から立ち返るかもしれない。・・・彼らの罪と咎を赦す。
これが旧約における神の言葉です。この愛の言葉は、ベツレヘムでお生まれになる嬰児イエス、という形に結晶します。
この神の言葉は、今私たちに向けられています。聞くように、読むように求められています。
アウグスティヌスは、「取りて読め、取りて読め」という子供の声に従い、聖書を読み、主に従う者となりました。私たちもこの神の言葉によって、神の愛に生かされ、導きのままに歩もうではありませんか。 感謝しましょう