聖霊降臨節第八(三位一体後第七)主日、
讃美歌23,276,527、交読文28(詩119篇)、
聖書日課 エレミヤ7:1〜7、使徒19:13〜20、マタイ7:15〜29、詩編119:105〜112、
昨日、牧師室南で、百日紅の花が開いているのに気付きました。薄紅色が綺麗です。
前週の月曜日からは、毎朝早くから蝉時雨。それもお昼ごろにはいつの間にか消えてしまっています。暑い盛りは嫌いなようです。セミ以上に、人間は暑さを嫌います。暑さは人間を傷つけます。夏の間、説教は短くするように努めましょう。たとえ5分間でも。
《新しく生きる》という主題は、聖書日課では《生活の刷新》となっています。選挙のマニュフェストのように感じてしまいました。そこで変えた、というわけです。生活という言葉には良い意味で現実味があります。それでいて、上辺だけのもの、うわっすべりしそうな危うさがあります。もちろん、この主題がそのようなことを意味するはずもありません。しかし言葉は人の口から出されると、勝手に一人歩きしてしまいます。
ここでは、生活の方法や技術ではなく、生き方そのものを根本から変革することが問われている、とお話しましょう。
さて本日の聖書は、使徒言行録19:13〜20、中途半端な箇所から始まります。何回も確かめました。週報を作る担当者から、間違っている、という連絡もありませんでした。
原文ではここから行換え、一字下げになっています。ギリシャ語を常用される先生方にとっては、ここから始めるのが当たり前。和訳聖書を常用している私などには、不思議に思えるだけのことでした。
パウロがエフェソに来たときのことです。彼は、会堂で三ヶ月に亘り、神の国を論じ、反論する者たちにはティラノの講堂で、毎日論じていました。この結果、アジア州に住むものは誰もが主の言葉を聞くことになりました。
その一方、パウロは目覚しい奇跡を行っていました。正確には「神がパウロの手を通して行われた」と記されます。奇跡は何処まで行っても、人間が為し得る事ではなく、神がなされることです。
パウロが身に着けていた手拭や前掛けを持って行って病人に当てると、病気は癒やされ、悪霊は出て行きました。
当時の風俗が記されます。ユダヤ人の巡回祈祷師がいた、ということです。他では読むこともありませんが、ユダヤ人の居住地が各地にあったことによるのでしょう。
祭司長がこの地に居た、と記されています。エルサレムの神殿に付属するもの、と考えていました。これは会堂長ではないか、と思いますが、わかりません。このままで考えれば、祭司長がこの地域全体のユダヤ人の礼拝を司り、奉げものを受け取っていた。祈祷師は定住せずに、巡回して、ユダヤ人の個人的、私的な宗教的求めに応えていたのでしょう。エリヤやエリシャという預言者、また祭司エリ(サムエル上1:12以下)も、かつてはその役を果たしていたようです。
巡回祈祷師の中に、試みにイエスの名を唱え、癒やしを行なう者がいました。
ユダヤの祭司長スケワの七人の息子たちも仲間であり、同じことをしました。すると、悪霊たちが言い返します。15節「イエスのことは知っている。パウロのことも良く知っている。だが、いったいお前たちは何者だ。」
悪霊に押さえつけられていた男は、この七人の祈祷師に飛び掛り、押さえつけ、酷い目にあわせました。彼らは裸にされ、傷付けられ、その家から逃げ出します。喜劇的ですが、もう少し考えてみましょう。
第一に、彼ら七人は、祭司長の息子たちであった、ということ。祭司の家柄はユダヤ社会では名誉ある家です。祭司は世襲の仕事でした。間もなく、彼らもその仕事を受け継ぐことになったはずです。にも関わらず、彼らは良く知らず、信じてもいないイエスの名を利用して、自分の欲望を満足させようとしました。イエスの名は、人が自分の欲望のために利用できるようなものではありません。
第二は、裸にされたことです。私たちはこれをユーモラスな格好悪さ、と考えるかもしれません。しかし、ユダヤ社会では、肌を露出する、肌を見せる、ということは大層悪いことでした。ユダヤ人のファッションをお調べください。成人した者は誰でも袖も裾も長い衣類を身にまとい、決して肌を見せません。肌を露出させて、人に見せるのは奴隷か罪人でした。裸にされた祭司長の息子たちは、奴隷・罪人の身分にされたのです。これにすぐる屈辱はありません。
第三に、このことの結果を考えます。これは、エフェソに住むユダヤ人やギリシャ人全てに知られ、人々は恐れを抱き、主イエスの名は大いに崇められるようになりました。
更に、多くの人が信仰に入り、自分たちの悪行を告白しました。驚くべきことは、魔術を行なっていた多くの者も、その書物を持って来て、みんなの前で焼き捨てたことです。
秦の始皇帝が行った『焚書坑儒』は有名です。その結果失われたものが如何に大きかったか、論じられます。15世紀末、イタリヤのフィレンツェでメディチ家の支配に対しサヴォナローラという修道僧が神聖政治を唱導し、民衆を惹き付け、貴族政治を倒しました。
このときも焚書が行われ多くの芸術・知識が失われました。
どのような改革も焚書を行う時、その正当性を失う、と考えています。
キリストの福音は、人間の手による多くの誤りを抱きながら、前進して行きます。
先日、東京・田園調布教会の元牧師、高橋泰二先生からお便りをいただきました。すでに引退されておられますが、毎月一回、碑文谷教会の講壇を支えておられます。家内の父川添萬夫のことを、その説教の中でお話なさったので、その原稿をお送りくださったのです。岳父のことを東京高裁の民事部総括判事として良い仕事を残した、と評価されています。その上、長老として的確な判断を示し、会議を方向付けてくれた。一緒に仕事をすることが出来たことは感謝であった、と話しておられます。一方、川添の父も生前、自分は岡田先生、高橋先生を尊敬している、と話していました。
実はこの中で先生は、御自分の経歴も話しておられますが、大事なことをたくさん教えられました。先生は、福島県の出身、お母様はキリスト教徒、お父様はそのことを理解しておられた。シアトルで十数年間働いた経験をお持ちであった。その後、太平洋で戦争が始まる前の8月4日受洗されます。「イエス・キリストを信じるほかに、生きる道がないと示された」ためです。教会は、小学校一年以来通っていた福島新町教会、ディサイプル派でした。浸礼と主日毎の聖餐式を良く覚えておられます。
徴兵検査では甲種合格、船舶兵とされたそうです。そこで、仙台工業専門学校機械科、東北大学機械工学科に学びます。沖電気福島工場に就職、仙台の牧師のお嬢さんと結婚。やがて伝道者への幻を与えられ、日本聖書神学校入学、校長は岡田五作先生、1931年任じられて田園調布教会を開拓伝道された牧師。昼は女子聖学院中学・高校で数学と聖書を教えながら卒業し、日本キリスト教団の教師となり、山形県の鶴岡教会へ赴任します。
田園調布教会赴任は1972年、安保、万博問題で学園、教会が荒れたあとにお出でになりました。岡田先生は引退されます。以来20年間、教会に良くお仕えになられました。
私が聖学院に関わった10余年の間に、何回となく高橋先生のお名前を耳にしました。聖学院の校長・学長として嘱望されておられました。キリスト新聞社の懸賞金付き神学論文に応募され、第一位になられました。それほどの能力は、学校関係の方が活かされると感じていました。それにも拘らず、いつも教会の専任牧師の道を選ばれました。
受洗されるときの考えが、生涯を貫いておられるのでしょう。
「イエス・キリストを信じるほかに生きる道がない」
私も東京の頃、先生とお目にかかる機会がありました。しかしこのように二重三重に深い関わりを持つようになろうとは思いもしませんでした。
私たちの教会は、今年度から矢沢俊彦先生の呼びかけに答えて、庄内伝道協議会を通して山形県北部の伝道活動支援に参加しようとしています。東北・奥羽地方は、古くからディサイプルス派の伝道地です。高橋先生、また玉出教会出身で、鶴岡で伝道され、今もお住まいになっておられる鴻池先生との関係を思うと、神のご計画の深さを感じます。
新しく生きるとは、これまで当たり前と考えてきたことに変化が生じることです。
キリスト教の福音は、変化、成長が認められ、悔い改めて、新しくなることが出来る点にあります。赦さないことが当たり前であれば、それを赦すことができるようになる。
力を持ち、力によって他の人を圧倒することに快感を得ていたとすれば、それを恥ずかしく思い、力を他の人の喜びのために用いようとするようになる。
キリストは私たち背く者、罪人を赦し、その罪状書を拭い去ってくださいました。
あり得べからざることが起きました。信じ難いことだからこそ信じます。
新しく生きる人は、これまで当たり前としていたことが、当たり前でなくなる、というほどの変化が起きているはずです。自分が生きているのは当然のこと、それが神の恵みによるもの、多くの人々の支えによるもの、と考えるようになる。
あいつは悪いことをしたのだから、裁かれ、辱められ、追放されて当たり前。
いいや、そうではない。私のような者さえ、神の赦しに与ったのだから、彼もまた赦されて当たり前。私たちの誰も彼を裁くことはしない。裁くのは、ただ主なる神である。主の御手にお委ねしよう。
新しく生きる者は、キリスト・イエスによって新しくされた者です。
罪赦された罪人として生きることです。ここに根元的新しさがあります。
全てのことに神のご計画を見出します。赦されたものである故に、赦すことが出来ます。
愛されたので愛を知りました。知られないように、密かに愛することが出来ます。
使徒言行録4:12「他の者によりては救いを得る事なし。天の下には我らの頼りて救わるべき他の名を、人に賜ひし事なければなり。」
感謝しましょう。