聖霊降臨節第四(三位一体後第三)主日、讃美歌30,314,326、交読文18(詩67編)
聖書日課 イザヤ60:19〜22、フィリピ2:12〜18、マタイ5:21〜37、 詩編67:2〜6、
早いものです、夏至になりました。最も日が長いころあいです。午後七時になってもまだ明るい。およそ14時間以上も明るい時が続きます。短い時は9時間ぐらいでしょうか。
明るいことは良いことで、喜ぶべきなのでしょう。しかし明るい時間が続くと疲れるのではないでしょうか。ゲーテは、死の床で『もっと光を』と言ったそうです。次第に光が失われて行く中でのことばです。強い光を当て、眠らせないようにするのは、拷問の一つの方法です。
また23日は沖縄戦終了の日、本土防衛の名の下に、沖縄の人たちに大きな苦しみを与えたことを忘れることは許されません。最近各界で沖縄出身の人が活躍する姿を見て、喜びと安心を感じています。また元自民党幹事長・野中広務さんの発言の一部には、共感できるものがありました。とりわけ、戦争をしてはならん、最近の若い政治家は戦争を知らんから、という言葉に共感していました。
日本は継戦能力をもっていません。線香花火程度のものです。そして戦争は庶民の生活を直撃します。たくさんの涙が流されます。戦場に立たない者、利益を獲る者の言葉に惑わされてはいけません。嫌なもの、したくないことをはっきり言うようにしたいものです。国家とか、国体、歴史、伝統を楯に従うことを求め、黙ることを強いるようなことがあってはなりません。
平和は武力によって来たらされるべきものではありません。来たらせることが出来るものでもありません。敗戦国は、負けたときから、報復の時を目指しているのです。
二度の世界大戦では、戦争を終わらせ、平和を来たらせるために銃をとろうというスローガンのもと、多くの若者が駆り出され、帰らぬ人となりました。戦場ではないはずの所が無差別爆撃によって、戦場にあるのと同様の惨禍を被りました。日本人は、忘れやすい、と言われます。忘れてはならないものを、ことを忘れてしまうようです。水に流してしまうのです。
平和を武力以外の方法で求めることは出来ないのでしょうか。現代の政治家は、そんなものありはしない、といわんばかりに、憲法改定と軍備拡張を求めています。戦争をするだけの軍備を整えたら、当然日本の財政は崩壊します。庶民の生活は悲惨なものになるでしょう。輸入に頼るわが国は、平和を求めます。世界に貢献する道を探し、歩みます。
さて、本日の聖書。古くは「山上の垂訓」と呼ばれていたものの一部です。
多くの人に読まれ、愛されている箇所です。母教会の老牧師は、良くこのところについて話されました。
「ロシアの文豪トルストイは、聖書全巻が失われても山上の垂訓が残れば大丈夫、と言いました。それほど大事な箇所です」、と言われました。
トルストイの思想は人道主義とされます。日本では武者小路実篤がそれを受け継ぎ、『白樺派』の文芸活動、『新しき村運動』などを展開しました。埼玉の毛呂山村に活動拠点のひとつがあり、其処から時々礼拝に来る方がありました。お誘いいただき、何回かお尋ねしたことがありました。イスラエルのキブツ(共同体農場)と似た所がありました。キブツでも同じようなシステムでした。それぞれが自由に、自分に適した労働に従事する。何も強制されない。午後は更に自由に、各自の創作活動を行なう。農産物は東京が近いために、有機栽培のお米、野菜、卵などに人気が出て、この頃は利益があります、とのことでした。
トルストイが、山上の教えを大事にしたことは、大変結構な事ですが、それが全てではないと感じます。人道主義に関して、何方でしたか、書いておられました。
「人間中心の人道主義」と。聖書はあくまでも神中心の書物です。神を基準とする正典です。我々人間が自分中心に読もうとして、その中から神中心へと変えられて行くものである、と承知しています。それが福音的な聖書の読み方です。
13節は、「あなたがたは地の塩である」と始まります。東京に、ちしお、地の塩と言う名の先輩牧師さんが居られました。この名を付けられたのはお父様で牧師さんだと思います。
立派な信仰をお持ちだなあ、と感服しました。では私もそうするか、と言うとそうは出来ません。その名に願いを託すのが名を付ける行為です。その意味では私の名付けも似ていました。平和を作り出す人、新しい訳では、平和を実現する人々、になることを願って長男に和人と名付けました。その下の子供たちも同じです。何方も同じでしょう。親たるものは子に己の願いを託しているものです。
ここで注意したいことは、『塩である』と言う表現です。イエスの教えを聞こうとして集まってきた全ての人に向かって言われた言葉です。理解度や解釈の方向性、その実現性を調べたわけではありません。私の言葉を、今聞いているあなたがたは、地の塩ですよ、と仰っておられます。
地の塩について、スタディ版は、書いています。
地の塩 塩は食べ物の調味料や防腐剤として用いられた。塩が食べ物の味付けを助けるように、他者を助けるべきだと、イエスは語った。マルコ9:50、ルカ14:34、35参照。
どのような人々が、主イエスの言葉を聞こうとしたのでしょうか。
4章で宣教を開始され、弟子を呼び集められました。それに続く時期です。評価も定まりません。いろいろな人がやって来たことでしょう。職業、身分、財産、家柄、能力、年齢、性別、実にさまざまです。恐らく教えの中身を調べようとする律法学者の一味がいたでしょう。安息日の話を依頼する会堂長かその部下も来ていたでしょう。
間違いなく、この時代の虐げられた人々がいたでしょう。悩み苦しむ人たちです。
解放されることを必死になって、求めている人々が来ています。イスラエルの信仰共同体で最下層の人たち、はみ出し者は、神の義と愛による御支配を求めています。
持たざる者たちは変革を願い、新しい教えを聞きに来ました。
何の役にも立たない、と言われ、社会から捨てられている者たちに主は言われます。
「お前たちは、この世にあって、そのままで、地の塩ですよ」と。役立たず、と言われていても、そのあなたがたを主なる神様は、役立つ者と見てくださっています、と言われました。 喜びの響きがどよめいています。
「塩気がなくなれば、捨てられる」とも言われます。あなたがたは塩です、と言われたのですから、塩気がなくなることはありません。私たちが、その人である限りは。
さまざまなスポーツ選手が、自分なりのプレイをしたい、と言います。そこには満足があります。自己実現、自己充足があります。塩も同じです。
次いで、「あなたがたは世の光である」と言われます。
スタディ版は短く説明します。
光・・・ともし火 当時、両の手のひらに入るような小さい陶製のランプでオリーブ油を燃やした。聖書では神の言葉は「照らす灯火」にたとえられる(詩119:105)。ヨハネ8:12,9:5参照
ここでも、地の塩と同じように語られました。「世の光である」と。
仏教にも同じような言葉があります。『一隅を照らす』
これについても解釈の違いがある、と聞きました。世の中の薄暗い片隅にあって、其処の光となり、明るくなるよう照らし出す。もう一つあります。
光となって、世の片隅に光を、望みを与えることである。
マタイ福音書は、小さな灯火を指しています。然しそれは時として大きな燈台のような働きをすることもある、と語っています。それは、闇が深ければ深いほど灯火は明るく、大きく見える、ということを指しているのでしょう。海の上では、何キロも先から、マッチやタバコの火を見ることが出来る、と聞きました。
さて、「あなたがたは世の光である」と言われたことは、大変光栄な事、喜ばしい事ですが、私たちは本当に光でしょうか。周囲の人たちを勇気付け、明るくして行く人は、世の光を自認できるでしょう。現実は如何でしょうか。
私のことで言えば、疲れを覚え、出掛けることが少なくなっている。引きこもりかな。
あるいは、老人性ウツのため、と仰る方もあるでしょう。
他の人を明るくするよりも、暗い所に引きずり込んでいたりするのではないだろうか。
確かに、私たちの現実は薄暗く、厳しいものがあります。それにも拘らず、パウロは、フィリピの信徒に次のように書き送りました。2:14以下
「何事も、不平や理屈を言わずに行ないなさい。そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非の打ち所のない神のことして、世にあって星のように輝き、命の言葉をしっかり保つでしょう。」
地の塩、世の光は、主イエスの言葉を保つ者です。イエスの御言葉によって塩気が補充されます。何時までも塩気が失せることはありません。主イエスは私たちの光です。私たちはイエスの光を反射するものです。自ら光るものではありません。
「主があなたのとこしえの光となり、あなたの神があなたの輝きとなられる」 イザヤ60:19
教会の月報に、以前ご紹介した詩を、今一度。
「春風以って人に接し 秋霜以って己を持す
慇懃以って人に接し 恭謙もって己を持す」
2006年5月16日、明日香村を尋ね、遺跡を見学しました。その時、飛鳥寺の庭で見つけた石碑のことばです。最近これが江戸時代の儒者、佐藤一斎のものであることが分かりました。この人は、1772年〜1859年、大塩平八郎と同時代で、交流もあったようです。
『自分自身に対しては、秋の冷たい霜のように厳しく律する必要があろう。しかし人に対しては、春風のようにあたたかく、優しく接したいものである。』更に言葉があります。
「順境は春の如し。出でて花を観る。逆境は冬の如し。伏して雪を見る。春固より楽しむべし。冬また悪しからず。」
佐藤一斎の『言志後録』の中に、春風・秋霜の行があります。これは60歳代の著作。70歳代で『言志晩録』、80歳代で『言志耄録(碌)』を表す。初めの『言志録』は壮年時代に書かれたものです。人生50、といわれた時代に大変なことだったに違いありません。
このような人生態度も、聖書の地の塩、世の光の成就と見たようです。
他の人々に仕える姿勢で、できる限り平和に過ごしたいものです。
感謝しましょう。