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2008年7月27日

《イスラエルは旅立った》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記46:1〜27

  聖霊降臨節第12主日 讃美歌12,290,520、交読文33(詩146篇)
聖書日課 士師記6:36〜40、?ヨハネ5:?〜5、ヨハネ7:1〜17、詩146:1〜10、

いよいよ暑さの盛り、来週はもっと熱くなると言います。恐ろしいような感じです。

元気な者でも恐れるような夏の暑さ、弱い者、病床にある者はもっと大変だろう、と感じます。夕立や雷雨が来て、少しでもこの暑さを緩めてくれるようにと願います。

 子供たちは夏休み、大きく成長する時です。親はそのためにいろいろなことを計画します。一緒に旅行をすることもその一つでしょう。ガソリンをはじめ諸物価の高騰、不景気、

さまざまな状況にあっても、旅行は人を成長させます。凶悪な事件が連続していますので難しいか、と存じますが、子供の一人旅は大事なことです。学校行事の折、提案したことがあります。現地集合にしてはどうか、各人が経路を選び、計画をたて、行動する。その間に事故が起きたら誰が責任を取るか、という発言が強く、実施されませんでした。女子学院ではとっくの昔からやっているのになー、と思いましたが沈黙。出来ない理由を考えるのではなく、どうすれば出来るかを一緒に考えるほうが有益だ、と感じています。

 子供の一人旅も、できない理由を並べるよりも、可能にする方法を考えたいものです。

2005年夏も創世記の説教でした。9月25日《テラはウルを出発した》11:10〜32、

10月2日《アブラハムの旅立ち》12:1〜9、9日《初めてのエジプト》、そして今回は《イスラエルは旅立った》となります。私たちの礼拝は、足掛け4年になります。その間にそれぞれ大きな変化、成長を経験されたはずです。一つの旅がありました。

さて前回は、ヨセフが自分こそあなたがたの弟ヨセフです、と告げた所まででした。

そして、兄たちの驚きと不安を見て取ると、その心配を鎮めます。45:5〜8

「命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです」。

そのために、私はこのエジプト王ファラオの顧問、全国を治める者とされたのです。奴隷に売られたことも、このエジプトの宰相にされていることも、神のご計画があったのです、とヨセフは言いました。此処までは前回お話した部分となります。

45:9で、ヨセフは兄たちへ言います。これから、5年間は飢饉が続きます。早く帰って、父に私のところに来るように、ゴシェンの地で羊や牛の群れを飼うことができます。皆が私のそばで暮らせるのです、と伝えてください。急いで父上を此処に連れてきてください。

ヨセフは弟ベニヤミンの首を抱いて泣きます。兄弟たちとも口づけし、泣きます。そして皆は話し合いました。

ファラオの宮廷全体も、この知らせを聞いて喜びました。エジプト全体を豊かに、安泰にしてくれた宰相に対する感謝でしょう。ヨセフの家族を迎えることに関しても積極的です。ファラオ自ら命じます。17節後半からです。「私は、エジプトの国の最良のものを与えよう・・・最上の産物を食べるが良い。エジプトの国で最良のものが、あなたたちのものになるのだから」。カナンの地のもの、家財道具などにも未練を残してはならない、と言いました。こうした言葉に、兄弟たちは従います。ヨセフは彼らに贈り物をします。

贈り物は、エジプトに来てからにすれば良いのに、と考えるのはおかしいでしょうか。持ち帰って、また持って来ることになります。この批判はある意味、合理的でしょう。しかし大切なことを見落としているかもしれません。素晴らしい贈り物を持ち帰ることで、ヨセフの現状を証拠立てることが出来ます。更に今後の生活についての保障を与えることにもなります。そしてヤコブの一族の者たちへも決断の根拠を示すことになり、共にエジプトへ下ろう、と呼びかけやすくなります。優れた行政能力、先への見通しの力を持つヨセフはそのくらい考えているはずです。

 兄弟たちは、急ぎカナンへ帰り、父ヤコブに報告します。父は気が遠くなった、とあります。そうでしょう、20年来死んだと思っていた息子が、生きていたというのですから。

私の母方の祖母、母の弟、妹たちは昭和20年3月10日の大空襲で行方不明となりました。捜しに行った父は、代わりに焼け跡から、デラウェアー種のぶどうの木の焼け残りを拾ってきました。練馬の庭、大塚の庭に植えました。大きくなり、毎年実をつけました。以来40年ほど経ったでしょうか。母がぽつんと言いました。「もう諦めましょう。法事をしてもらいます」。私は驚きました。これまで何回も「死んだのさ」、と言っていたのに、その実、何時か帰って来るのではないか、と考えて、法事をしないでいた。

父ヤコブの心情を思います。死んだ、と思いながらきっとどこかで生きていて、今にもその姿を見せてくれるのではないか、と願っていた。それが遠くエジプトの地で生きている、しかもエジプトを治める宰相として、自分たちを迎える、と言っている。

信じられなくて卒倒したのではありません。あまりの嬉しさに、あまりの喜びに気が遠くなったに違いありません。元気を取り戻したヤコブは、「私は行こう。死ぬ前に、どうしても会いたい」と言います。

こうしてイスラエルは、一家を挙げてエジプトに向かって、旅立ちます。

すでに死んだと思っていたヨセフとの再会を楽しみにし、これで安心して生活できる、と希望を持っています。同時に、神がアブラハムとその子孫に約束された地、カナンを離れることへの不安を抱いています。エジプトへ行ったら約束は無効になるのではないか。アブラハム・イサク・ヤコブの神は、エジプトでは無力になってしまうのではなかろうか。でもヨセフはエジプトで、カナンの神ヤハウェに守られ、導かれた。大丈夫だ、神を信頼し、不安をお委ねして歩もうとしま

その間の経過を示すのが、46章冒頭、ベエル・シェバの夜のことです。

ベエル・シェバは、アブラハム(21:33)も、イサク(26:23〜25)も此処で礼拝を捧げた由緒ある場所です。カナンの南、ネゲブ砂漠に入ったところ、誓いの井戸または七つの井戸を意味するように、豊かなオアシスです。此処に到着したヤコブは族長・家長としていけにえを捧げ、礼拝しました。こうした礼拝は、神と人との関係を修復、維持するためのものと考えられます。ヤコブは、カナン、約束の地を出て行くことへの不安を持っていました。ここで神と和解する必要がある、と考えたのでしょう。

その夜、幻の中で、神がヤコブに語りかけられます。「ヤコブ、エジプトへ下ることを恐れてはならない。あそこで大いなる国民とする。私があなたと共にエジプトへ下り、私があなたを必ず連れ戻す。」

 ヤコブは、はっきりとは分らないながらも、神共にいましたもうなら安心、と感じました。かつて兄エサウを怒らせてしまい、母リベカに言われ、パダン・アラムのハラン目指して、旅立った時のことを思い起こしたに違いありません(28:10以下)。あの時、神は同じように約束してくださいました。それは現実のこととなりました。ヤコブは、神は真実な方であり、必ず守り、導いてくださることを知っていました。頭の中のことではありません。経験的に、全人格的に知っているのです。ヤコブは、安心してカナンから、エジプトに向かい、旅立ちます。約束の成就を信じて、仰ぎ望みつつ歩みます。

この後聖書は、エジプト行きの名簿を作成します。すでにエジプトにいるヨセフと、その二人の息子、そしてヤコブを入れて総数70人。これは、後の七十人訳聖書や使徒言行録が75人としている(7:14)ものと喰い違います。70に対しては、これは聖なる数であるから、と説明されます。これが元の形なら、後の者が何故75という聖ではない数に変えたのか、理由があるだろうと考えます。しかし残念ながら、納得の行く説明はありません。

 どちらの数をとっても余り変わりはない、というのが私の考えです。

多くもない数の者たちが、エジプトへ下って行った。神はそれを守り導き、大いなる民とする、と約束された。約250年後、BC13世紀、出エジプトの民の数を見て、私たちは驚きます。70が62万になります。

神の約束は、確実に成就されることを聖書は語ります。

エジプトへの旅立ちは、約束の成就への第一歩でもありました。

その上、アブラハムの旅の続きでもあります。テラはウルを出発した。

アブラハムは、神の言葉に従い、75歳でハランを旅立ちました。神の言葉は、アブラハムとその子孫を祝福するものでした。いまだ、何も持っていないときに、アブラハムは主を信じました。

今、ヤコブは神の約束の地を離れます。

その先に何があるか、彼らはそのことを見通すことは出来ません。

人は神のご計画を知ることは出来ません。信じることが許されています。

ヤコブはエジプトへ旅立ちました。それはアブラハムに与えられた大いなる救いの完成への、長大な旅路の一部をなすものでした。ヤコブはアブラハムの旅を受け継ぎ、歩み続けます。私たちもこれを受け継ぎ、その救いに与る者です。

感謝と讃美を捧げましょう。