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2008年7月13日

《一人の父の、十二人の息子》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記42:29〜38

  聖霊降臨節第十主日 讃美歌82,169,387、交読文17(詩65篇)
聖書日課 列王記上17:8〜16、ローマ14:10〜23、詩編68:2〜11、

梅雨明け宣言は出ていませんが、まるで真夏、連日30度超の気温。そして湿度の高さ。
こうした時は、外出は控えたほうが宜しいでしょう。とりわけ午後2時3時ごろ外にいることがない様にしたいものです。涼しい室内が宜しいようです。室内で冷たいものでも召し上がるように心がけたいものです。何しろ室内でも水分不足の熱中症が恐ろしい、と聞きました。

佐川から近況のご報告がありました。本日は、学長が来るので、信徒と共に植木の手入れをした。セミの抜け殻が五つ六つ。トンボがたくさん飛んでいる、ということでした。
 玉出でも先週セミの羽音を耳にしました。昨日朝には、セミの羽が一枚だけ落ちていました。羽化したけれど、飛び立つ前に小鳥かカラスに襲われたのかもしれません。もうじき懐かしい夏の音、クマゼミの声を耳にすることになります。覚悟しなさいよ、と自分に言い聞かせています。

前回は、ヨセフがエジプトの宰相に上げられ、その政策を行なったことまで学びました。
その中で語られたメッセージは、「この世界の主なる神ヤハウェは、その御力をもって絶えず働いておられる」ということでした。ヨセフは、その権威をますます高めます。それは同時に、飢饉が世界中に広がり、激しくなって行くことでもありました。

雨が降らない。干天が広がり、農作物が不作となる。最も基本的な小麦が不足する。蓄えもなくなる。翌年のタネさえも食べてしまう。誰を責めることもできない。

今生きることが最優先されます。来年の種を残しても、種蒔きする人間が死に絶えていたらなんの役に立つでしょう。

カナンの地に住むヤコブ一族も同じでした。打ち続く飢饉のため、食用の穀物に不足を生じます。良質の食糧を安定的に供給することは、いつの時代でも家長、族長、領主の責任です。安全、安価、大量、無制限的な供給です。

現代においても個人の責任にとどまらず、国家・政府の責任です。

 ヤコブは年老いています。それでもなお責任を果たそうとします。エジプトには食物がある、と噂を聞きました。息子たちに言います。42:2「何時までも顔を見合わせていないで、早くエジプトへ行きなさい。エジプトには穀物があるというぞ。我われは生き延びることが出来る」。生き延びる、という言葉は、その時すでに限界に近かったことを示しています。このままだと、確実に滅亡するしかない。民衆は食糧を求めます。

そこで十人の息子たちはエジプトへ旅立ちます。そして他のカナンの住人たちの群れに入りました。皆穀物を求め、エジプトを目指します。ヤコブは末の息子ベニヤミンだけは同行させませんでした。ベニヤミンはヨセフと同じラケルが母親です。ラケルはすでになく、ヨセフは死んだと伝えられました。ラケル唯一の忘れ形見を失いたくなかったのでしょう。当時の旅は危険が一杯です。何が起こるか判らない。ヨセフ同様、万一のことがない様に、ベニヤミンは手元に残しました。

6節からはエジプトが舞台です。ようやくエジプトへ到着した十人の兄弟たち、すべての穀物販売をヨセフが監督していたとは思えませんが、彼らはヨセフの前に連れて来られました。エジプトの最高位の役人です。誰もが平伏します。凶作、飢饉の時、完全に売り手市場です。ご好意によって売っていただく、という感じではないでしょうか。買い手は命がけです。なんとしてでも必要量を確保しなければ帰れない。

ヨセフの対応は、誰に対するものとも変わらなかったことでしょう。「どこから来たのか」

答えは、「カナン地方から食糧を求めて」。

 8・9節は物語としての面白さが充分に出ています。

ヨセフは、自分の兄たちであることがすぐに分った。兄たちには何も分らなかった。しかし夢で見たとおり、兄たちは弟を拝んでいる。
「ヨセフは、そのとき、かつて兄たちについてみた夢を思い起こした。」
夢は現実になりました。

このところでスタディバイブルは、次のような説明を加えています。

「兄たちがヨセフを約20年前に奴隷として売ったとき、ヨセフは十代であった。ヨセフの容貌は変わり、しかも兄たちはエジプトで支配者となったヨセフに会うとは思ってもみなかった。」

しかもヨセフはエジプト式の装束に身を包み、エジプトの言葉を話しています。

その時、ヨセフは思いがけないことを言い出します。「お前たちは回し者だ。この国の手薄な所を調べに来たに違いない」。ヨセフは、兄たちに対して復讐しようとしているわけではありません。本気で疑っているのでもありません。穀物の貯蔵が豊かなエジプトは、獲物としては合理的、しかし豊かであれば備えも強い。攻撃目標としては非合理的。

何も知らない兄たちは、懸命に弁解に努めます。「僕どもは食料を買いに来たのです。ある男の息子で、正直者です。決して回し者などではありません。」嘘偽りは申しません、と言っているわけですが、ヨセフにはそこにある嘘が分っています。あなたがたは妬みのために私を奴隷として売った。父には何を言ったのか、どのような嘘を言ったのだろうか。

そうしたすべてのことを知りたいものだ、ということだったのでしょう。

 やり取りのうちに、兄たちは自分たちがある男の息子で、12人兄弟、ひとりは失いましたが、末の弟は父のもとに残してきました。嘘偽りはありません、と話します。

ヨセフはそのところに付け込みます。「いちばん末の弟を此処に連れてこさせなさい。一人を使いに出して、連れてこさせる。それまで残りの者は監禁する」。これを「ファラオの命にかけて」と言っています。ファラオはエジプトの神の最高神官、その命にかけてと言うことは、キリスト教徒がキリストの名にかけてと言うほどに強い誓いなのでしょう。

三日間牢獄に監禁されました。三日目にヨセフは彼らに言います。

「私は神を畏れるもの、命を助けてやろう。一人だけ牢に監禁する。ほかの者たちは飢えている家族のため穀物をもって帰れ、そして末の弟を此処へ連れて来い。正直な人間かどうか判る。殺しはしない。」

兄たちはこの申し出でに同意します。そして語り合います。21節

「私たちは、弟のことで罰を受けているのだ。弟が助けを求めた時、耳を貸そうともしなかった。それでこの苦しみが降りかかったのだ」。

長男のルベンも語ります。「あの時私が止めたのに言うことを聞かなかったからだ。あの子の血の報いを受けているのだ」。

ヨセフはこれを聞いています。兄たちは、これまでいつも通訳が付いているので、話が通じているとは知りません。ヨセフは彼らから離れて泣き、戻ってきます。恐らく、かつての日々を思い返したこと、兄たちがあの時以来絶えず後悔していることなどを知ったための涙でしょう。

 ヨセフは、シメオンを選び出し、目の前で縛り上げます。シメオンはルベンの次の年長者です。ルベンはあの時反対したことを知ったため、二番目・シメオンにした、と説明されます。私は、積極的にルベンをカナンへ帰らせたように考えます。たくさんの家畜とその積荷は貴重です。カナンへ帰らせる責任は、長男ルベンにあります。

更にヨセフは不思議なことを命じます。

穀物を袋に詰めさせ、その代銀を袋の中に戻させます。「道中の食糧を与えた」というのをどの様に理解するか、少し困りました。代銀をどの袋に入れるかは、どの袋が開けられるか、ということに関わります。最初に開けるのは道中の食糧が入った袋、これは間違いありません。「自分の袋を開けた」というときそれは道中用の食糧袋でしょう。此処に返されている代銀を見つけました。兄弟たちは驚きます。何事だろうか、と怪しみ、震えます。「これは一体、どういうことだ。神が我われになさったことは」。古代人の信仰です。

何事によらず、不可解なことがあれば、それは神がなされたこととする。現代の人間はもっと理知的に考える、と言われます。そして同じように、いやもっと深く分らない、と呟きます。

 信仰、神を信じるとはどういうことでしょうか。非科学的といわれても良い、感覚的、情緒的といわれても良いではありませんか。すべてのことの第一原因を神に求めること、これが信仰です。主キリストに第一原因を求めるのです。分らなければ、主キリストに尋ね求めるのです。

兄弟たちは、代銀を返しに行こうとはしませんでした。確かにこの態度、しなかった行動は、疑問の余地が残ります。しかし彼らにとっては、カナンに帰って、族長ヤコブと共に神の意志を問うことが優先します。神に語りかけること、祈りです。

此処から29節以下になります。帰って来た息子たちは父親に報告します。

あの国の主君である人の厳しい態度、回し者と疑われたこと、やむなく一人の父親の十二人の息子であること、一人を失い末の弟は父のもとにいることを話しました。すると、それが本当であることを末の息子を連れて来ることで証明するように求められ、シメオンは縛り上げられました。そして一番の目的、穀物は如何であったか、首尾を知らせ、袋を開けます。すると支払ったはずの代銀が、袋の口に戻されていました。

この報告を聞き、銀を見たヤコブは、嘆きます。ヨセフを失い、シメオンも失った。ベニヤミンまで取り上げないでくれ。わたしを苦しめないでくれ。

長男のルベンが説得しようとします。ベニヤミンを連れて行かせてください。必ず連れて帰りますから。連れ帰らなかったら、私の二人の子供を殺しても構いません。

父親ヤコブは言います。「この子の兄は死んでしまい、残っているのは、この子だけではないか」。そうです、彼は自分の妻としてはラケルひとりを考えているようです。ここでヤコブは、神に問うことをしません。自分の感情、自分の愛情を第一とし、それ以外のことを追い出しています。「老いの一徹」かもしれません。

これは、私たちのこととしては反省しなければなりません。

私たちの信仰の基本は、?テサロニケ5:16〜18にあります。「常に喜べ、絶えず祈れ、すべてのこと感謝せよ。これキリスト・イエスによりて神の汝らに求めたもう所なり」

旧約聖書は、愛するゆえの現実を示します。苦しみ、悲しみがあることを語ります(38節)。
これは、やがて父なる神が、その民を愛する故に、独り子を犠牲とすることへ、と結び付くのです。

『民族大移動を巡って』2008年7月13日、

8月12日の朝日新聞、朝刊文化面に≪歴史に探る気候変動≫という署名記事がありました。その一部、「歴史家は、気候に原因を求めることを『環境決定論』として忌避してきた。人間の意志や生産力の拡大をこそ、社会や時代を動かす要因として重視したからだ。」とあります。更に九州大学の宮本教授(考古学)の所説を紹介しています。

「環境と人間社会は相互に関係し歴史が再生産されてきたことに、近年の温暖化で現代人が気付くようになった」と。

これに基づき、弥生時代の始まりが従来の考えより500年遡るとの年代測定を踏まえて、稲作農耕民は寒冷化のため日本移住を決意した、と考えます。

エジプトをはじめとする当時の世界的大飢饉は、民族の移動を惹き起こしたはずです。

ゲルマンの大移動や、フン族の大移動・ヨーロッパ侵入攻撃は何故起こったか、何故終わったのか、という謎があります。一つの理由だけではないでしょう。そこには、幾つもの競合的原因・契機が存在したことでしょう。環境悪化、放棄、移動、闘争、獲得、定住。

エジプトの王朝はヒクソスにより、ナイル川南方に押し込められ、エジプトのナイルデルタ地帯は、BC1700年ごろから約150年間、ヒクソス支配となる。

ヒッタイト、ヒクソスはよく似た名で、また時代も同じなので、時折混同される。

ヒクソスは、エジプトで「外国人の王」という意味で呼ばれたもので、ヒッタイト人がエジプトを支配したわけではない。

 ヒクソスは、ヒッタイトに圧迫されエジプトに南下侵入してきたヘブライ人、先住の印欧語族系の人種、フルリ系の人種等の混合部隊であったという。ヒッタイトの隆盛期は、BC1500〜1400とされる。

 BC1580年、エジプトの第18王朝によってヒクソスは制圧され、かなりの者たちは奴隷身分となる。ヒッタイトは占領地原住民の国家組織を温存し、自治的統治を許し、少数のヒッタイト人が貴族階級となって、征服王朝を築いた。