復活節第二主日、讃美歌28,148,154、交読文27(詩118篇)
聖書日課 出エジプト15:1〜11、?ペトロ1:3〜9、詩編118:13〜25、
教会の桜も満開、木々も芽吹いて、すっかり春になりました。
春、と口にするようになったら、ストーブだとかエアコンの暖房スイッチを入れにくくなりました。単純人間だからでしょうね。
本日は、玉出教会の総会開催日となります。規則は、三月中の日曜日、主日の礼拝後に開催することを求めています。本年はイースター礼拝の次週となり、少々忙しい感じになりました。総会は、教団の一教会としてのものと、宗教法人としてのものを兼ねる形になります。普段は意識することのない組織としての教会ですが、年に一度は、社会的に承認され、法によって守られる教会というものを意識していただきたいものです。
この教会は、何処にその起源があるでしょうか。主イエスの弟子たちの集団が起源です。
すぐ「十二弟子」を思い出されると思います。間違いないことですが、福音書や使徒言行録を読むと、主イエスの周りにはもっと多くの人たちがいて、その人達も「弟子たち」と呼ばれています。人的には、この集団が教会の起こりです。
起源には、その時間の面があります。「いつから」ということです。十字架は、弟子たちが逃げ出した時のように感じられます。甦りこそ彼らが結集して語り合い、祈りをささげたときです。公式には、聖霊が下り、彼らが力を受け、地の果てまで主の甦りの証人となった、とされます。ペンテコステが教会の誕生日ということです。
内容的に考えると、教会は主の復活があって始めて、伝える内容が整ったと言うべきでしょう。場所のことも考えるべきでしょう。エルサレムで集まっていた時、とありますので教会はエルサレムで始まりました。このような教会の始まりが、本日の聖書には含まれています。
本日も旧約日課から学びましょう。117ページです。
出エジプト15:1〜11、モーセと民が主を讃美した『海の歌』。これに続くミリアムの歌と共に、聖書の中でも最古の詩に属するとされます。
この中で、イスラエルの主ヤハウェは、その民のために戦われる戦士として描かれます。
エジプトで奴隷の生活を送っていたイスラエルを、神は憐れみ、奴隷の身分から解放し、乳と蜜の流れる地、カナンへ導き出します。エジプトの王、最高神官パロとの折衝における神の関与、ようやく脱出できた民を追跡し、逃亡奴隷を連れ戻そうとするエジプトの軍勢。戦車と馬を用いる完全武装の精鋭です。
それに対しイスラエルは、何も持たないようにと戒められ、着たきりのような軽装です。前には紅海が広がり、うしろからはエジプトの軍勢が追いすがってきます。進退極まったと思われたとき、神はその大能の御力を発揮され、海を動かされます。イスラエルが通る時には大きく開き、エジプト軍が追いかけてくると彼らを呑み込み海は元に返りました。
救われた。そこで歌われたのが、この神の圧倒的な力を讃美する「海の歌」です。
これは、救われた者たちの歓喜の歌、徹底的に神の力を讃美するものです。
11節、主よ、神々の中にあなたのような方が誰かあるでしょうか。
誰か、あなたのようにせいにおいて輝き
ほむべき御業において畏れられ
くすしき御業を行う方があるでしょうか。
《復活顕現》は、この出エジプトと同じく神の力の現れるとき、民が救われ、生かされるときです。
続いて福音書を学びましょう。先ほどお読みいただいた210ページです。
ヨハネ20:19〜31、甦りの主イエスが、弟子たちに顕れたことが記されています。これはマタイ、マルコ、ルカ、にもそれぞれ記されています。非常に正直なことが欠かれています。何もかも包み隠さず、あからさまにします。
主イエスの処刑、埋葬、甦りの直後、弟子たちは、あのガリラヤの者の仲間たち、と指摘され、迫害されることを恐れていました。集団で閉じこもり症候群になってしまいました。家の戸に鍵をかけた、とされますからかなり重症です。今ならだいぶ時間がかかるだろう、と言われるようです。
するとイエスが彼らの真ん中に立ち、言われます。「あなたがたに平和があるように」。
随分改まったご挨拶に感じられませんか。でも、これはごくごく通常の挨拶だ、ということです。平和はギリシャ語・エイレーネーが用いられています。それをユダヤの言語、ヒブル語にするとシャロームになります。?編讃美歌202番をご覧戴くと、このような記述があります。「シャロームは、平安があなたにあるようにの意」。
友よ、また会う日まで、シャローム、シャローム、
恵みの主、守りたもう、シャローム、シャローム、
シャローム ハベリム、シャローム ハベリム、シャローム シャローム
レヒトラオートゥ、レヒトラオートゥ、シャローム シャローム
現代のイスラエルでも朝に夕に、何時でも挨拶に用いられています。
主イエスは、コンニチハ、というような調子で挨拶されたのではないでしょうか。