ラッパスイセンの黄色い花が咲きました。アジサイや山吹の葉が出てきました。
桜の花芽がふっくらしてきました。間もなく開花でしょう。造幣局の通り抜けも、今年は行けるかもしれない、と思い、楽しみにしています。紀の三井寺なども行って見たいし、高野山・吉野山も大阪に住む者としては、何時か行きたいものです。
水がめの金魚、メダカも水面に顔をのぞかせるようになりました。
白や黄色の蝶が飛んでいます。
万物が更新される春です。この時期に主イエスが甦られた、というのは如何にも時宜に適ったことですが、余りにも整い過ぎて不思議にも感じます。
本日も旧約の日課から読んでまいりましょう。
イザヤ55:1〜11、旧約の1153ページです。
小見出しは「御言葉の力」となっています。何が力なのか、と考えさせられます。
11節「わたしの口から出るわたしの言葉も
むなしくは、わたしのもとに戻らない。
それはわたしの望むことを成し遂げ
わたしが与えた使命を必ず果たす。」
旧約を読みますと、神の言葉は創造する力と救い出す力を持つようです(創世1章、詩編107:20)。創造する御言葉については、創世記1章をご覧ください。
イザヤの時代には、神の言葉はバビロン捕囚から民を連れ戻し、新しいエルサレムを建設することを助けると約束しています(46:10、54:11〜17)。これが救い出す御言葉の力です。
旧約聖書は『二つの出エジプト』を書き残した、と言われます。一つは、出エジプト記に見られるように、奴隷の民がモーセに率いられてカナンの地に至るものです。モーセ五書は、このためにあるように感じられます。
二つ目は、北十部族滅亡後、残った南ユダ族がバビロニア帝国と争い、敵国の首都バビロンへ捕囚として連れて行かれました。およそ50年後、キュロス王によってイスラエルは解放されます。故郷エルサレムへの帰還が許され、神殿の再建も求められます。キュロス王は、再建に必要な資材を、資金を与えます。更に神殿の黄金の器具も返し、昔ながらの礼拝が出来るように配慮します。異邦人の王が、神ヤハウェに用いられ、ヤハウェの僕としてヤハウェ礼拝の民を創らせられた、と理解されました。
神の言葉は、イスラエルを奴隷の状態から、異邦人の王に屈従することから救い出し、まことの神を礼拝する民、イスラエルを創造されました。
それでは、ヨハネ福音書でロゴス・言葉と呼ばれる御子イエスは何をされるのでしょうか。簡単に申し上げるなら、第三の出エジプトです。新しい礼拝の民、新しいイスラエルを創られるのです。そのことを使徒パウロの手紙から学びます。
?コリント5:6〜8、305ページになります。ここでパウロは、パン種の譬によって、イエスの甦りの意味を教えようとしています。
パン種はイースト菌(酵母)のこと。水と小麦粉とに混ぜてこねるとパン生地が膨れます。少数の者の悪い行いが、コリント教会の信徒全体に悪い影響を与えうる、とパウロは語ります。古いパン種を取り除くことは、毎年過越祭の直前にパン種が入った生地をすべて捨ててしまうユダヤ人の習慣に基づきます。
キリストは・・・私たちの過越しの子羊です。パウロはイエスの死を過越しの子羊の供え物になぞらえています。死をもたらす神の使いからイスラエルの民を救うために、子羊の血が犠牲として用いられたように、イエスの死は、人々を罪と死から救う供え物とされました。それは、神が喜んでお受け入れ下さる献げ物です。この結果、すべての罪人が、罪の奴隷状態から解放され、罪赦された罪人としてまことの神礼拝をなすことが出来るようになりました。これが新しいイスラエルです。
ヨハネ福音書20章、ここにはイエスが葬られた墓を巡る出来事が記されています。それは決して秩序だった事ではなく、無秩序と不可解の闇に閉ざされています。
「週の初めの日、朝早く」、これは安息日の翌日の早朝、すなわち日曜日の朝を意味します。今日の私たちは、日曜を週末と捉えます。ユダヤの人たちは、創世記1章に従い、一週の七日目を週の終わりの日と考えました。そして創造主なる神が、すべての業を終えて休まれた日を安息の日としました。この日には、一切の労働をやめなければなりません。詳細な決まりがありました。歩く距離も定められていました。エルサレム市内も自由に歩くようなことは出来ませんでした。
この安息日が明けた週の初めの日の朝早くに、マグダラのマリアが墓へ行きます。彼女の名前は、ガリラヤ湖の西端の町マグダラの出身であることを表します。他の福音書には、イエスが彼女をいやしたことが記されています(マルコ16:9、ルカ8:2)。
マリアは、この当時何処に住んでいたのでしょうか。墓を訪れ、そこから弟子たちがいるところまで報告に走る。安息日規定を守り、その日は墓へ行かなかったようです。
墓まで来たマリアは、扉になっていた大きな石が取り除かれているのを見て驚愕します。この時代、墓となる横穴の前に溝を掘り、その中に円盤状の大きな石を転がします。
これが蓋であり、落とし度扉のようなものになります。大勢の力を併せなくては取り除くことは出来ません。マリアは中を見るまでもなく、走り去り、ペトロともう一人の弟子の所へ行きます。報告しました。
それを聞いたのは、ペトロとイエスが愛しておられたもう一人の弟子です。この福音書では、イエスがこよなく愛する弟子として特筆されています。これが誰であるかは不明。伝統的にはこの福音書を書いた使徒ヨハネと考えられています。21:24参照。
彼らは、墓へ走りました。若い愛弟子が先に着きました。墓の中には亜麻布だけがあります。遺体は通常、亜麻布で包まれます。芳しい香料や軟膏が塗られることもありました。死者の顔には布がかけられます。
遅れてペトロが来ました。より丹念に見ます。亜麻布は一箇所ではなく、二つの場所に分かれて置かれています。
二人は「見て、信じた」とされます。ここではいつも違和感を感じていました。今回ようやく考えました。見えないものをこそ信じるのです。二人は見えるものを通して見えないものを信じました。空っぽの墓を見て、超越の神がいますこと、主が甦ったことを信じました。
先々週16日の金曜日に大庭神学生の卒業式があり、出席いたしました。どなたかがイースターに関する話をされました。
自分が地方の教会に赴任して間もなくの頃、復活節の説教をした。終わってから年配の役員がやって来て言う。「先生、あれは嘘でしょ、ほらあの甦りって奴、まさかホントに信じてるんじゃないですよね」。
復活を合理化しなければならない人もいるでしょう。しかし、信仰は見えないもの、非現実的なこと、不合理なことに向けられるのです。初代の信者たちは信じざるを得ませんでした。その余りにも強烈なエネルギーは、主日、主の日を生み出しました。
それまではユダヤ教の教えに基づき、週の終わりの日を安息日、礼拝の日としてきました。強烈な経験は、主の甦りを記念する週の初めの日を礼拝の日、主の日と変えたのです。今私たちが守る主の日の礼拝は、私たちに語り掛け、私たちを誘います。
『見えないからこそ、信じなさい。触ることが出来ないからこそ、イエスを主と仰ぎなさい。主イエスは、いつもあなたと共におられます』と。
私たちには見えない主イエスの復活を信じます。私たちの命のさきがけとなって下さった主を信じます。私たちも甦りを生きることを信じています。
この信仰を抱くからこそ、私たちは今日も過越しの晩餐を守り、墓前礼拝を献げるのです。
感謝いたしましょう。