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2008年1月13日

《最初の弟子たち》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ヨハネ福音書1:35〜51

本日は、先ほどお読みいただいたヨハネ福音書1:35〜51から始めましょう。
シモン・ペトロの兄弟アンデレともうひとりの弟子が、師匠である洗礼者ヨハネと連れ立って歩いていました。するとヨハネ先生が、一人の人に目を留め、「見なさい、あの人が神の子羊です」と言いました。それがナザレから出て来たイエスのことでした。
すると二人の弟子は、イエスの後について行きます。ヨハネの弟子からイエスの弟子になります。ヨハネは自分の弟子を失います。このヨハネは、自らをイエスの証人と認めています。証人に徹する時、自分のものすら失うことがあります。むしろ放棄するのです。

 ここに登場する名無しの「もうひとりの弟子」は誰でしょうか。ヨハネ20:1以下にも「もうひとりの弟子」が出てきます。これは文脈によって、主が特別に愛した弟子、ヨハネであることが分ります。彼がこの福音書を書いたと信じられています。恐らく自分で書いているだけに、名を記すことを遠慮したのだろう、と考えられます。
 
こうしたことは、教会でよく言われてきたことに対する逆のしるしであろうか、と思います。「教会では、先生は一人だけです」という言葉があります。要するにその教会では牧師だけが大切で、信徒はその弟子なのだ、ということのようです。在任中の牧師の牧会を受ける点ではそのとおりです。養いを受けることが大事です。その責任があります。しかし転任した時点ですべては引き継がれます。牧師には自分のものは何もないのかな、と思います。自分のものにしてはならないのです。教会の私物化です。どこまでも主キリストのものです。牧師自身も主のものです。キリストの弟子であるためには、なるためには、自分のものという考えをすべて捨てることが求められます。富める青年がそうでした。

ついて来る二人を見て、主イエスは彼らに言われます。「何を求めているのか」
二人は答えます。「何処にお泊りですか」
問答が成立していないように感じませんか。質問と答えが食い違っているのです。

プロ野球のイチロー選手は、試合後の取材に対して丁寧に答えるようです。その一場面で、それとは全く違う姿を見ました。記者・レポーターへの返答を拒否するのです。
「そんなくだらない質問には答える必要を認めない」ということでした。
もっと好く準備して、良い質問をしてください、とも言っていました。いつも真剣勝負のイチロー選手らしいな、と感じました。
 
 主イエスの答えもこれと似ています。「泊まる所、そんなことならついて来たら分るさ」。
分る、と訳された語は「見る」と訳すことも出来ます。答えるまでもない、ついて来れば見るだろう、と言われたのでしょう。午後四時ごろ、これは第十刻であり、日没のおよそ二時間前を指します。さて、何を見ることになるでしょうか。
「キリストを見た」ヘブライ語のメシアをギリシャ語に訳すとキリストになります。
泊まる所は何処だろうか、と考え、主イエスに質問した二人は、主の言われるままについて行きました。そこで見出したものは「メシア・キリスト」でした。
アンデレは、その兄弟ペトロにそのことを伝えます。そして主イエスのもとに連れてきます。自分でそのことを説明したり、証明しようとしたりはしません。
弟子とされた者は、自分の力ではなく、主がなされることを信頼し、主のもとに連れてくることが大切なのです。

 主はペトロを見て、名付けられます。バル・ヨナ・シモン、ヨナ、ヨハネの子シモン、あなたはケファである。これは「岩」を意味します。ケファをギリシャ語に訳すとペトラになります。女性形です。男性形でペトロです。名は体を顕す、と言います。このペトロはどのような体を顕すのでしょうか。
ある人は、彼が漁師で頑健な体格だから、そのことを指して言われたのだろう、と言います。
マタイ福音書16:16には同じような場面があります。弟子たちを代表するような形でパウロが告白します。「あなたはメシア、生ける神の子です」と。そして18節で主が言われます。「あなたはペトロ、わたしはこの岩の上に私の教会を建てる」。

この場面でのペトロについては解釈が分かれています。ローマ教会はペトロという人格が教会の基礎、いしずえとされたのだ、と理解し、歴代の教皇はその人格の継承者である、と主張してきました。宗教改革者たちは、その点で考えが違います。これはペトロの告白が教会の基礎である、という意味で仰せられたものだと主張しました。いまだに平行線のままです。私たちは改革者たちの主張が正しいと考えていますし、教皇と言う権威を打ち立てるのは上手なやり方だ、と認めますがそれだけのことです。決して教皇や司教・司祭の特別な権威を認め、それに従うことは致しません。いかなる権威も、私たちを従わせ、黙らせ、平伏させ、頼らせようとするならば、それに従うことは致しません。

明治期に来日した若いアメリカ女性の日記を読む機会がありました。クララ・ホイットニーさんの『クララの明治日記』。後に勝安房の三男梅太郎と結婚し、離婚する人です。彼女は舅である勝安房を終生、尊敬しています。勝安房の血筋は今もアメリカで繁栄しているようです。
クララは、徳川慶喜公や有栖川宮家など、当時の貴紳・顕官の家に出入りし、福沢諭吉は礼儀知らずなどと書きます。一方で、この国の人たちは他の人の前でひれ伏すことを当然のことと考えている。私はそれを認めることは出来ない、とも書いています。彼女はクリスティアンとしてキリスト以外のいかなる権威にも、ひれ伏すことなど出来ないと考えているのです。
 
キリストの弟子は、キリスト以外のいかなる権威も認めません。権威を振りかざし、その前に屈服することを求めることも認めません。権威を要求することも教会の私物化です。

ヨハネ福音書の後半、43節以下はフィリポとナタナエルの記事になります。
先ず主イエスご自身がフィリポを見つけます。従ってきなさい、と言われます。
恐らくフィリポは、アンデレとペトロと知り合い、仲間だったろうと考えられています。
 次いでフィリポがナタナエルを見つけ、告げます。預言されていた方に出会った、と。
フィリポはその人がナザレの出身である事も告げます。するとナタナエルは答えます。
「ナザレから良い者が出るはずがない」と。
そこでフィリポは言います。「来て、見なさい」、試験的に来てみてよ、ということではありません。英語はカム アンド シーとなっているはずです。来なさい、そして見なさい。
ヘブライの言葉の感じでは、見ることは、理解する、納得する、という意味になります。一番良い訳は、「来ればわかるよ」のように感じます。

 大変高い評価を主イエスから戴いているナタナエルですが、この所とヨハネ21:2「ガリラヤのカナ出身のナタナエル」にも甦りの主が現れたと記され、名が出ているだけです。
マタイ10:3「フィリポとバルトロマイ」 マルコ3:18「アンデレ、フィリポ、バルトロマイ」ルカ6:14「フィリポ、バルトロマイ」言行録1:13「フィリポ、トマス、バルトロマイ」と記されるバルトロマイが同一人物であろう、とされています。

 同じ時期に弟子へと招かれた人たちですが、その働きはさまざまでした。十二人の弟子たちは、その名前は知られていますが、その働きは殆んど記録されていません。ペトロは弟子の筆頭としてしばしば名が現れます。すべての弟子が筆頭になるわけはありません。最初の弟子たちの中でその後が分っている人も少なく、伝説で悲惨な最期が伝えられるだけです。それでも招きに応えて歩んだ者たちは充足した生涯を送りました。

 本日の旧約の日課はサムエル上3:1〜10、432ページです。
これは大変良く知られた出来事が記されています。「僕聴く、主語りたまえ」です。
教会学校、昔の日曜学校で良く愛読され、学ばれました。有名な聖画があり、童サムエルの愛らしい姿が目に焼きつくほどです。

 この記事は、預言者への召命と言って宜しいでしょう。預言者は、神のことばをお預かりして、それを語るものです。語るためには預かる、そのためには聴かなければなりません。教える者は先ず学ぶ者にならなければなりません。
預言する者は先ず聴く者になります。自分が聴きたいものではありません。
ある時には、自分の聞きたいものを放棄しなければならなくなります。痛みがあるでしょう。主が痛みを覚えてくださいます。否むしろ私たちよりも前に苦しんでくださっているのです。ここに慰めを見出すもの、福音を見出すのがクリスティアンです。

 私たちはキリストの弟子であること、弟子になりつつあることを喜び、感謝しようではありませんか。それぞれの働きは異なります。性格も違う、能力も違う。氏素性も違う。そのような私たちが等しく弟子とされました。招かれたものは皆、強いものも弱いものも、主イエスに支えられていることを喜びましょう。感謝し、讃美しましょう。