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2007年12月23日

《キリストの降誕 (夕拝にて)》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ルカ福音書2:1〜20

夕礼拝では、この一年以上、マルコ福音書を読んできました。
今夕もマルコ、と思いましたが、クリスマスの主日礼拝の夕べです。クリスマスに相応しいことをお話したい、と願いました。そこで今夕は、クリスマスの讃美歌のは無しにしよう、と決めました。
それが、フィリップ・ブルックス(1835〜93)の名作讃美歌115「ああベツレヘムよ などかひとり」O little town of Bethlehem,PHILIPPS BROOKSです。
フィリップス・ブルックスは、19世紀中頃のアメリカ人。ボストンの聖公会主教でした。
彼はハーバード大学出身。ヴァージニア州の聖公会神学校に学び、1859年からの10年間はフィラデルフィアの教会の牧師、ボストンの聖トリニティ教会牧師として22年間。
2メートル近い長身、194センチ。早口だが、確信をもって聴く者に迫る説教。アメリカ最大の説教家。母校ハ−バードのキャンパスに「フィリップス・ブルックス・ホール」がある。その中に掲げられている記念碑には次の言葉がある。
『正義と希望の説教者、その風格は荘重、説教にネツあり、彼は真理を喜び、教派、教区に限られず、生活と教義によりて民衆に新鮮な信仰を与え、古き時代の信条の新しき意味をもたらした。彼は変わりなき愛と大いなる奉仕と高き模範とを示した』。
終生独身。子供に対する愛情豊かな人。

 子供に関するエピソード
街中で、子供が玄関の呼び鈴を押そうとしているが、背が低いので背伸びしても届かない。
そばへ行って押してあげた。子供は逃げ出す。いたずらの手伝いをしてしまったことになる。お詫びが大変。でも良く知られているので大丈夫。
ブルックス先生がなくなったとき一人の少女
「きっと天国の天使たちが、先生を迎えることが出来て喜んでいるわ」と言ったとか。

ブルックスは明治の日本を見ているのです。
園部治夫先生『聖歌の友』1970年11月号
明治22年、ブルックスはマックヴィカーチ牧師と共に來日。二人で日光見物、馬車を雇う。
ところがこの二人共に巨体であったために、道中で馬車が壊れてしまった、という。

日本の子どもたちは、彼を見て『大仏』と呼んだという。

さて115番作詞の事情をお話しましょう。

日本の明治元年ごろ、1867年、聖地巡礼を思い立ち、クリスマスイブにはエルサレムとベツレヘムをひなびたベツレヘムの景色を眺めながら、馬で訪れていた。東の方、羊飼いの野原まで遠出した。
その情景を、彼は次のように書いている。
「日暮れ前に部落を通り過ぎて、かつて羊飼いたちが星を見たという野原までやってきた。
そこは囲いがしてあって、その中に洞穴があり、驚いたことには、そこにはちゃんと羊飼いたちまでいた。そこいらじゅうの羊飼いたちも行ったかも知れない様な野原まで乗り回った。丁度そこを去ろうとした時、羊飼いたちはまだ その羊の群れを見張って いたり、羊どもをおりに追い立てたりしていた。」
この旅行の翌年秋、彼は思い出も新に、この聖歌を造り上げた。

 他の人は、違うことを書いている。1865年の夏、ブルックス30歳の時、一年間の休暇。彼はパレスチナへ行った。クリスマスはエルサレムで過ごす計画。12月24日・日曜日、ベツレヘムへ。古い聖誕教会の礼拝に参加。夜10時から翌日3時に及ぶ長いもの。深い感銘を受けた。三年後、教会の子供たちのためにキャロルを書こうと思い立ち書き上げたもの。そしてオルガニストのルイス・H・ドナーに渡して、作曲を依頼した。クリスマスの直前、夜寝ている時に曲想が浮かび、この美しい旋律となった、と言います。このレドナーは不動産業者。日曜学校校長として良い働きをされた。僅か36人の生徒で始めたものが後には1000人にまでなったと言います。私たちの教会の望みとなるでしょうか。
119番の曲を作った鳥居忠五郎先生も日曜学校の校長でした。

 この詩を書いた時代、ボストンではユニテリアンが盛んでした。その中にあって聖三一の信仰、キリスト中心の信仰を強調しています。また米国は独立以来強大な国家になり続けており、ナポレオンのフランスに味方してイギリスと戦いました。新興国にも拘らず、その海軍は、無敵を誇った英国艦隊の攻撃を支えた。そして和平に持ち込んだ。
国中に勢いが満ち溢れ、豊かであった。南北戦争、インディアン戦争。不要になった武器はアジア・アフリカに売り込み、戦争のきっかけを作った。
アメリカの社会は確かに恐ろしい状態だった。物を求める傲慢さ。なんでもする。

この心を清め、住み給え。ブルックスの信仰だ。
ことばを味わいながら歌いましょう。