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2007年11月4日

《伝統は祈りとみ言葉》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
出エジプト3:1〜12、?ヨハネ2〜4

天王寺教会と玉出教会が合併して60年、一つの玉出教会となりました。
同じディサイプルス教会の伝統に立つ者同士ゆえに始まり、成立したのでしょう。
他の地方、地域にも同様に合併した教会があります。今でもその合同教会はあります。繁栄しています。しかしその後、合同したはずの人たち、教師によって、新にかつての教会が再建されているように見えるものがあります。人口動態の変化もあるでしょう。それにしても、合同は大変難しいことです。天王寺と玉出の場合、同じ伝統が大きな力を発揮したのではないでしょうか。
 日本基督教団の暦では、本日は「聖徒の日・永眠者記念日」と定められています。この「聖徒」は特別な清い人を指すものではありません。
いわゆる聖人君子でもありません。信仰を抱いてすでに召された人々を指しています。本来は、すべて神のもの・神の所有とされた人を意味しますが、この場合は信仰の先達、先輩を指します。今日は信仰の先輩を記念する日です。その日を玉出教会は合併記念礼拝の日に選びました。それは、合併のために働いたすべての信仰の先達を覚えようという意図から出たもののように感じられます。今朝は諸先輩、特にディサイプルス教会の先輩たちの信仰を学びましょう。

はじめに、ディサイプルス教会発祥の事情です。
複雑な経過があります。煩雑にわたることは避けます。簡潔にご理解いただけるところをお話します。
アメリカの独立戦争から南北戦争にかけての時代、それは国家としての興隆期、力と勢いに満ちていました。同時にそれは恐ろしいほどの混乱、錯誤と偏見に満ち、道徳的、精神的状態は最低でした。西部への無反省な大移動を見るだけでも分るでしょう。
先住民族をインディアンと蔑称し、肌の色、生活習慣を侮蔑しました。その隙間を狙って土地を奪い、狩猟の獲物を絶滅させました。バッファロー
フロリダ州を尋ねたことがあります。先住民たちの聖地、そして墓が、見る影もなくさびれ、若者たちがゴミを捨てる場所になっていました。
社会をただす力を発揮すると期待されるキリスト教会も同じ状態でした。その中で先ず教会を正しい状態に戻そうと考える人が多く出ました。教会改革運動です。そのひとり、ケンタッキー州の長老派牧師バートン・ストーンは、1801年『救いは予定されたものだけでなく万人のものである』と説教します。カルヴァンの予定説と違う、と批判されます。
やがて、このためにバートンは長老派を離脱しクリスチャン・チャーチを作ります。
 もう一つのグループがあります。トーマスとキャンベル父子が中心となって出来たワシントン・クリスチャン・チャーチです。ある時大陸奥地へ伝道旅行に出かけたトーマスは、数年間も聖餐に与ることが出来なかった別の派の長老教会の信徒たちを聖餐式に招き、共に讃美することが出来ました。これが問題となり分離せざるを得なくなります。
 この二つのグループが1832年1月、合同してクリスチャン・チャーチ(ディサイプルス・オブ・クライスト)となります。
ディサイプルスが生まれました。幾つかの考えを軸にします。人間の考えを出来るだけ排除しようとするものです。また教会ではなく、運動である、として協会を目指します。
超教派主義、キリストの教会は大同団結すべきだ。
無信条、一つの信条に拘り互いに争うのは愚かだ、マタイ16:16ペトロの告白だけで充分。
新約聖書中心、新約聖書に帰れ、人の生み出した神学を振りかざすな。
万人祭司、会衆主義。長老教会が宣教長老である牧師に大きな権威と権力を認めたことへの反発でしょうか。この二つを併せ持つ時、多くの場合独裁になります。権威は御言葉に基づくものですから仕方ないとしても、権力は福音と馴染みません。
牧師も信仰者として同じと考えられます。信徒は牧師の言う通りになるのではなく、対等な立場で教会に関わり、礼拝します。
各自が自らの力で聖書を学び、解釈することを強調します。一人一派の可能性もあります。
浸礼(全身を水に沈めるバプテスマ)と主日ごとの聖晩餐

 教会は一つであれ、と考え聖書中心主義を打ち出しました。しかし残念ながらこれは解決策にはなりません。何故なら、宗教改革は聖書の解釈を巡っても分裂しました。教会の一致を来たらせるよりは、分裂を促すものになるでしょう。現実にそうなりました。
 
この考えは、もう一歩を進めると「無教会」になりそうです。一二歩手前で踏みとどまっています。スイスの有名な神学者ブルンナーが東京で一年間、国際基督教大学の客員教授をされました。その合間にいろいろな所に積極的に出かけ、出席されたそうです。その中で一番深い関心を持たれたのが「無教会」でした。参加して研究されました。その成果が『教会の誤解』と題された一書です。「教会は絶えず形成途上にある」という文は忘れがたいものです。

こうしてディサイプルスも、他のミッションに遅れてではありますが、日本伝道に乗り出しました。当時の日本はアメリカにとってどのような存在だったでしょうか。
イギリス、フランス、スペインとの植民地獲得競争の舞台、主要なターゲットです。
南北戦争後の余剰兵器の売り込み先でした。ガトリング銃(機関銃の原型)、騎兵銃など。
北米で盛んな捕鯨業のために補給基地を必要としました(水、食糧、材木など)。開港を迫ります。ペリー提督とその艦隊の来日です。
これからの交易国として狙いをつけたでしょう。すでにスペイン、イギリス、フランスが進出している東南アジア、フィリピン、中国への足がかり程度かもしれない。
アメリカ社会の中で、東洋への関心が高まり、野蛮な非キリストの国への宣教・伝道が考えられていました。

1883年10月、ジョージ・T・スミス夫妻、チャールズ・E・ガースト夫妻が最初の宣教師として派遣され、翌年5月東北・秋田で伝道を開始します。スミス夫人は翌85年次女を出産されて間もなく天に召されます。30歳でした。それを記念して本国では献金が集められ、それを資金に秋田教会の会堂が建てられました。
ガースト宣教師は、1898年46歳で天に帰られました。青山墓地に眠ります。
1893年秋には、ハーヴェイ・H・ガイ博士が来日しました。博士は、1903年、東京駒込の地に聖学院神学校を設立します。日本人自らの手で伝道する伝道者育成を図りました。

日本での伝道、聖学院創立についてお話したいと願っています。今回は時間もなく、これだけにします。

ディサイプルスを始めた人々は長老派でしたが、やむを得ず離脱し、正しいと思う礼拝をなされました。日本へやってこられた宣教師たち、彼らも止むに止まれぬ思いでやってきました。そのことを顕したのは祈りとみ言葉です。

祈りとみ言葉、祈りは神との対話です。対話は会話ではありません。
ダイアログとカンヴァセーション、多くの場合、会話では、楽しい言葉のやり取りがなされます。社交的なことです。従って、常識的に話題としないものが決められたりします。紳士の食卓では政治と宗教。ところがこれほど面白いものはありません。国によってはこれらを話題とすることが許されているため、しょっちゅう喧嘩騒ぎ、それだけに論争が上手になる、とか聞きます。
それでは対話は何でしょうか。自分の考えを相手にぶつけ、それに対する相手の意見を聞き、自分の中で新しい考えを造り上げる。これを両者が行なうことになります。ここでは互いの尊敬と信頼が必要です。さもないと問答無用で背を向け、自分の考えを押し通すだけになります。

祈りは、自らを低くして神の言葉を聴き、自らを変えるものです。自分を押し付けるものではありません。ディサイプルスの運動を始め、そのために長老教会から追い出された人々、彼らは神の御言葉に聞き、それに従い、平穏無事であることを諦め、自らを変えたのです。祈りとみ言葉は分けることが出来ないものです。

また、初めて国を開き、外国人を受け入れるようになった未知の国、日本へ渡ってきました。その頃どれほどこの国の情報があったでしょうか。咸臨丸で太平洋を越えた日本人がいる。彼らは奇妙な服装で、いつも人殺しのための長いナイフを持っている。頭の上にはピストルを載せている。少し情報通なら、パリの万博に出展したものはかなり上質なものらしい、と聞いているでしょう。ヨーロッパではジャポニズムが盛んだ、ということも。
これは神秘の国ニッポンへの憧れを掻き立てる役には立っても、そこでどのような生活が可能か、というようなことまでは教えてくれません。

それでも彼らがこの国へやってきたのは、祈りとみ言葉に基づきます。祈りのうちに御心が示され、御言葉が押し出し、支え、励ましたのです。
出エジプト記3章、モーセは燃える柴の中から神の声を聞きました。その言葉に従い、エジプトのファラオの前に立ちます。彼は追われる身だったにも拘らず、です。ある人は、この記事を読み、神の御旨を悟り、ディサイプルスの運動を始めました。
ヨハネ第三の手紙、あまり読まれないでしょう。しかしよく読むと滋味溢れるものがあります。聖学院のある教師は、これを御自分の祈りとされました。

皆が同じように、弟子になるのがこの教会の伝統です。キリストの言葉を学び、変えられ、聖人になるのです。ローマ教会の特殊な聖人ではありません。全く主キリストに従う、主イエスのものになる聖人です。聖学院は聖学の院です。「聖人を養成する」ことを理想とすることを目指します。いわゆる聖者ではなく、キリストので市となることです。ここにディサイプルスの伝統があります。
この伝統を絶えず新しくすることが出来れば幸いです。それこそ教会合併を意味あるものにする道です。  感謝しましょう。