聖霊降臨節第20主日、讃美歌8,161,392、交読文41(マタイ伝5章)
聖書日課 レビ25:39〜46、フィレモン1〜25、詩編82:1〜8、
庭の南に彼岸花が咲いています。柿が色づいてきました。ぶどうは亜麻かなり、鳥に食べられる前に、ワークデイの折、皆様がお召し上がりくださいました。収穫の秋の到来を感じます。
前週は、御殿場の神山教会へ行かせていただきました。本当に小さな教会で、間もなくその役割を終える時がやって来ると感じられます。25年前400人を越えていた入所者は、120人台となりました。昨年は140人台でした。礼拝出席数もかつての半分になりました。後何回の礼拝の御用だろうか、と感じながらの礼拝でした。
あの日は丁度、富士スピードウエイでF1グランプリの決勝戦が行なわれることになっており、交通網の渋滞が予想されていました。二週間ほど前にそのことが伝えられ、余裕を持っておいでください、ということでした。すぐに一時間半繰り上げて行くことに手配しました。ところが金曜日になって、渋滞は殆んど見られません、と知らせがありました。予定を変更することも難しく、だいぶ時間を無駄にしたようですが、それもまたよし、ということです。
昨日の朝刊に、「一日1ドル以下で暮らす人が10億人、3秒に一人子供が死んでいる」と報じられました。この国ではどのくらいなのでしょうか。一日の生活費、これは様々でしょう。ケイタイの費用だけでも一ドルをはるかに上回るのがこの国の現状です。幼児の死亡数、事故のために三人が一度に死んだら大事件です。健全な感覚です。しかし同時に、イラク、アフガニスタンなどではもっと多くの子どもが銃撃や爆弾の犠牲になっています。
命の値打ちは同じはずですが、余りにもたやすく失われる命もあります。
それでは本日の聖書を読みましょう。はじめは旧約の日課、レビ記25:39〜46です。
ここでは様々な奴隷の区分とその扱い、とりわけ同胞の貧しい者が身売りした場合の扱いが、述べられています。同じイスラエル人の場合、報酬なしに働く奴隷の扱いではなく、賃金を支払う雇い人同様にすることが求められています。出エジプト21:2、申命?5:12などには、奴隷となった同胞は7年目に解放される事が定められています。
ヨベルの年(50年目)には、家族の元に帰り、売られた土地も取り戻されます。
こうした規定は、その守られ方に疑問が残ります。手厚い処遇では不利になるとして、このような困窮者を買うものがいなくなり、身売りしたくても出来なくなってしまう。人間は、何らかの便法を考え出すものです。
苛酷な扱いの禁止が基本原則です。寄留の外国人に対する扱いも同様です。
そのよって来る所は、かつてイスラエルもエジプトで奴隷であったこと、すべてのイスラエルは神のもの、神の所有であるゆえです。
旧約聖書の律法を読むとき、それがとても人道主義的であることに驚かれる、と思います。
弱い者への思いやりに満ちているのです。排除、排斥、無視と言うことはなかなか見られません。3000年以上昔のものとはとても思えません。それはあの同態報復法、≪目には目を、歯には歯を≫にも見られるものです。
円錐柱の碑文には、神の命により、民の幸ある生活のための法律を定めた、と記されています。時代を超え、民族を越え、宗教を超えて弱い者を護る法が存在します。
それを正しく執行する責任が私たちにあります。
実際に弱い者を護ろうと考え、それを実行しようとしたことが記され、残されています。
フィレモン1〜25、399ページです。テトスへの手紙とヘブライ人への手紙に挟まれた小さな、個人的な手紙です。これは、一番読まれることが少ないかもしれません。
書名のフィレモンは、コロサイの富裕な商人と考えられています。当然のこととして、多くの奴隷を所有し、その主人でした。更に彼は自分の家を開放して、キリストを信じる者たちの集会所としていました。このフィレモンの奴隷の一人、オネシモが脱走しパウロを頼って来ました。
奴隷制度についてパウロは、?コリント7:20〜22で肯定的に書いています。19世紀になってヨーロッパ・アメリカ世界は奴隷反対に舵を切ります。その事を考えれば、現代の私たちがパウロの姿勢を批判することは出来ません。いまだに偏見に基づく差別と階級を保持している事を自己批判するべきでしょう。
さて、オネシモという名は、ギリシャ語で、役に立つと言う意味です。獄中のパウロにとってもオネシモは大変役立ちました。パウロのうちに沸きあがる感謝は、オネシモを逃亡奴隷から、大事な僕へと引き上げよう、と考えさせました。フィレモンもオネシモも共にパウロの大事な友人です。そこでどうするか。
パウロはオネシモをフィレモンのもとに送り返すことにします。
その折、フィレモンにあてた手紙をオネシモに持たせます。それがこの書簡です。
逃亡奴隷オネシモを元の主人の元に返すと、厳しく処罰されるのが普通でした。奴隷制度は当時の産業・経済生活にあって、大事な生産手段でした。それだけに逃亡を許すと、連鎖反応式に広がることが恐れられていました。
パウロにとって、このような奴隷制度は当然のことでした。逃亡者を帰すのも当然でした。ただ、奴隷の主人がキリストの愛を受けたものとして、自分の僕に優しくする事を求めます。ガラテヤ3:26〜28でもパウロは奴隷に言及し、信仰を共にする奴隷とその主人、自由人は神の家族に連なるものである、と語ります。
パウロは優しくして欲しい、と願いますが、それを優越的な立場からの押し付けではなく、フィレモンの内側からあふれ出る愛の故であって欲しい、と語ります。
伝承によれば、このオネシモは、後に教会の司教にまで進んだ、とされています。
キリスト・イエスを信じる者は兄弟姉妹とされました。だから愛をもって優しく、と言われても少々違和感が生じるのはやむをえないでしょう。親子兄弟の間で殺人事件が起こる時代です。険悪な関係もありうるのです。
そこで読まれるのが、ルカ福音書17:1〜10、です。新共同訳の小見出しでは、最初の「躓き」の部分が欠落してしまいます。全体をひとつの言葉で表すことも困難です。小さく分けてしまうほうが実際的でしょう。躓き、赦し、信仰、そして7節以下の部分です。
新共同訳はこれを「奉仕」としました。ある人は「謙遜のすすめ」とします。通じ合うものはあります。しかし重点を何処におくか、という違いがあります。このところと、前にお読みしたレビ、フィレモンとはどのような関係があるのでしょうか。
レビ記はイスラエルが護る最高法規として、同国人が事情あって奴隷となったとき、特別にやさしく扱いなさい、と教えました。フィレモンへの手紙で、パウロは逃亡奴隷オネシモに優しくしました。でもそれは、当時の掟を破るものではありません。奴隷の主人フィレモンに優しさを求めるものでした。その結果、オネシモは大変有用な人物へ成長しました。《弱者をいたわる》という主題の通り、実行されたのです。
そこで、このところが生きてきます。実行したからと言って偉いわけではありません。当たり前のことです。あくまでも謙遜でありなさい、と諭されます。
「自分に命じられたことをみな果たしたら、『わたしどもは取るに足りない僕です。しなければならないことをしただけです』と言いなさい」。
昨年奈良へ行きました。飛鳥寺で小さな碑文を見つけました。
『春風以って 人に接し 秋霜以って 己を持す
慇懃以って 人に接し 恭謙以って 己を持す』
五言絶句と同じく、五文字一行で四行、僅か二十文字。
人に優しく、自分には厳しくありなさい。宗教の枠を超えて等しく求められる徳目です。
聖書は、主イエスご自身が私たちを弱者と見て、この傍らに立ってくださることを語ります。それだからこそ、パウロはフィレモンに優しくあることを求めました。優しく出来ることを知っているのです。ここに福音があります。傍らに主イエスが居られる、その故に優しく出来る。感謝しましょう。