最近、何方かと「いたち」の話をしていました。まだいたちが出ますか。出ます、見ます。数日前、牧師館の食堂で仕事をしていたとき、眼の端で何か動くものを感じました。視野周辺の感覚的なものです。視線を動かし、よく見ると、小ぶりないたち三匹でした。背中部分の色はかなり黒が勝っています。他はいたちの薄い茶色です。仲良く遊びながら、東から西へと庭を横断して姿を消しました。塀があります。穴は開いていないはずです。何処へ行ったのでしょうか。それでも確実に、この環境の中で、繁殖しているようです。共存共生できる事を喜び、感謝しています。
前週の説教を読み直していました。少々曖昧すぎる表現がありました。サマリアはガリラヤ湖から南、ヨルダン川の西側、と言っていますがこれでは広すぎて、何処を指しているか判りません。勿論、賢明な諸兄姉はお分かりと存じます。ガリラヤ地方からエルサレムに降り中間ぐらいまできたところに、ゲリジム山があり、その辺がサマリアです。エフライムの嗣業に属するのでしょうか。ヨルダン川中流域の東にはヤボク川が流れます。その対岸を更に西へ行くとサマリアです。
さて、本日も旧約の日課から読みましょう。エレミヤ38:1〜13です。
この預言書は、現在壮年会がお読みになっておられますが、少しばかり読みにくい所があります。それは、当時の世界情勢とイスラエル・南ユダ王国の関係が良く判らないことによる、と思われます。余り時間もありませんが、壮年会のためにも、少しだけお話しておきましょう。
エレミヤは預言者としての活動を紀元前627年に始めた(エレミヤ1:2)とされます。
この時代、ユダではヨシアが前640年に王位につきます。そして前622年に「申命記改革」と呼ばれる宗教改革を断行、偶像礼拝の根絶を図ります。エレミヤはその少し前から活動を始め、ヨシア王の改革を熱烈に支持します。
メソポタミア全体に目を移します。同じく前627年に、アッシリアのアシュルバニパル王が死にます。アッシリアの覇権は、徐々に、ネブカドレツアルの率いる新バビロニアに移ります。ヨシア王はその混乱に乗じて、北王国の支配権を確保しようとします。そこにエジプトのパロ・ネコが介入します。アッシリアの残党を支援し、シリア・パレスチナを支配しようとします。ネブカドレツアルと手を組んだヨシア王は、前609年、メギドでパロ・ネコと戦い、戦死。後継には次男ヨアハズが立ちます。パロ・ネコは、帰国の前にヨアハズを捕らえ、エジプトへ連行し、王位には長男ヨヤキムをつけます。
そして、バビロニアとエジプトは、前605年、カルケミシュで再戦、ネブカドレツアル有利。前601年にはエジプト国境で戦いパロ・ネコ有利。当初バビロニアに従ったヨアキムも、バビロニア不利という戦況で、バビロニアに反旗を翻します。
前598年、ヨアキムが死に、その息子ヨヤキンが王位に就くと、間もなくネブカドレツアルは正規軍に出動を命じます。エルサレムを占領、王を初め、高位高官たち、将軍や技術者をバビロンへ連行しました。これが第一次バビロン捕囚です。戦争準備、指導に当たるものを連行することによって、平和を確保しようとしています。
ヨヤキンの即位から3ヵ月後、前597年のことでした。
王位は叔父のゼデキヤが継ぐことになりました(37:1)。彼はかなりの期間バビロニアに従いますが、親エジプトの大衆の力に押されて反バビロニアの旗を掲げます。ネブカドレツアルは、ユダ全土の徹底的な攻略、破壊を目指します。重要な要塞都市を陥落させ、エルサレムを3年にわたり包囲、前587年陥落。徹底的に破壊され、ゼデキヤ王は目をくり抜かれ、バビロンに連行されました。第二次捕囚。こうしてイスラエルは滅びました。
こうした中でエレミヤはどのような事を語り、どのような態度を示したのでしょうか。基本は神の御言葉に対する真実です。「私はそれ(みことば)をむさぼり食べました。
御言葉はわたしのものとなり、私の心は喜び踊りました」(エレミヤ15:15〜20)。
民の神殿に対する信仰(エレミヤ7:1〜15)は空しいものだ。偶像礼拝と社会の不正義とは、全く同根である。御言葉に生かされていないからなのです。それは、彼らの願望を神とする礼拝に過ぎません。偽預言者と民の信仰をしかり、社会の不正、不公平を断罪しました。
それらの罪の故に、神ヤハウェはあなた方を裁き、バビロニアの手に渡される。静かにそれを受け入れなさい。「平安がないのに平安平安と言う」偽預言者の言葉に誘われてはならない。捕囚は70年、三代にわたる(エレミヤ29:4〜10)腰を落ち着けた生活をしなさい。 29:10 「バビロンに70年の時が満ちたなら、わたしはあなたたちを顧みる。
わたしは恵みの約束を果たし、あなたたちをこの地に連れ戻す」。
これがエレミヤの預言でした。その活動です。
それに対してユダの民は、エジプトを頼み、バビロニアと戦おう、と主張しました。
エレミヤは「エジプトの馬に頼るな」と語りました。
いつの時代でも主戦論は威勢がよく、格好よく見えるものです。
「美しい国を守るために、戦える国、戦争できる憲法を作りましょう」。
沖縄を、ヒロシマを、ナガサキを忘れたのですか。
アジアの国々に与えた惨禍を忘れたのですか。平和の誓いを忘れたのですね。
ユダの指導者たちは、バビロニア帝国軍が猛威を振るう前に、エレミヤを捕らえ、エジプトへ連れて行ったようです。そこでは、ナイル中流域のエレファンティン島(ヌビア遺跡、アブシンベル神殿の近く)に居留地を造ることが許されたようです。エレミヤの消息は知られていません。
エレミヤは、ある時期から、全く孤独な預言者でした。ヨシア王が戦死を遂げてしまうと、ユダの国の中ではエレミヤの居場所はないような状況になったようです。
王の宮廷の役人たち、四人の名がここ38:1に記されます。それらは決して味方ではなく、敵対者として現れています。エレミヤの言葉を聞きました。カルデア軍に降参する事を説いています。この者を死刑にしましょう。
ゼデキヤ王の答えも面白い。
「お前たちに任せる。王であっても、お前たちの意に反しては何も出来ないのだから」。
側近政治なのか、民主的なのか、判りませんが、専制的絶対的な王制とはだいぶ違う様相が見えています。英国流の君臨すれど統治せず、に近かったのかもしれません。
カルデア軍と言う表現も珍しい。これまではバビロニア、ネブカドレツアルが普通。
「カルデアは本来メソポタミア南部の地名。王家がこの地方出身であったことから新バビロニア帝国全体を指すようになった」。37:5から用いられる。
ネブカドレツアルはネブカドネツアルのもう一つの表記法。どちらかと言えば、アッカド語に近いもの。
結局、水溜めに放り込まれました。それを見ていたクシュ人の宦官エベド・エレクは王に訴えます。「あれでは預言者が死んでしまいます。都には、もうパンがないのです」。
王は、彼に30人を連れて行き、預言者を助けるように命じます。その方法まで丁寧に書かれています。そしてゼデキヤ王は、エレミヤを呼び、話を聞きます。エレミヤの言うことは変わりません。
今すでにユダの人々の命は絶えてしまったのと同じです。その回復の道は、ただカルデア軍、バビロニア軍に降伏することです。家族も、都も生き残ります。
この神の言葉に従うことが命を回復する道なのです。他のことは何も語られてはいません。預言者は常に、神の言葉への服従を、神への立ち返りを求める人です。
使徒20:7〜12、パウロは、エフェソのアルテミス神殿で、ユダヤ人の陰謀のわなに落ち、円形野外劇場に連れ込まれます。ここは19世紀後半に発掘され、今では観光客も目にすることが出来ます。エフェソの街路、傍らに、知られざる神に、と書かれた石の板がありました、と木下順二先生が嬉しそうにお話くださいました。百聞は一見にしかず。
エウティコの生き返り物語です。ペトロもタピタを生き返らせます(言行録9:36以下)。
ルカ福音書7:7〜17、ナインのやもめの一人息子が生き返らせられます。
10節までに引き続き、二つの生き返り物語です。更に福音書ではヤイロの娘(ルカ8:40〜56)、ラザロ(ヨハネ11:38〜44)が生き返らされる。
ナインは、ガリラヤ南部の小さな町。やもめにとって一人息子は、当然最愛の息子。それだけではなく、将来自分の生活を支える望みでもありました。また自分の記憶を次の世代へと引き継いでくれる唯一の望みでした。これは命です。愛と望みのすべてであるこの子を失い、涙に暮れている母親を見てイエスは憐れに思いました。棺に手を触れられます。
棺に触れることは、死の穢れを身に受けることでした。死は、命の流失、喪失です。
主イエスは、命の流失をその身によって止め、生命を回復されました。
イエスは、息子をその母にお返しになりました。命を返されたのです。回復です。
これは、ただ神の憐みによります。今すべての罪人の命は神の前で失われています。
憐みによって、この私の生命が回復された事を信じ感謝しましょう。