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2007年7月1日

《すべての人に対する教会の働き》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ルカ福音書17:11〜19

花が咲きました。そのあとに青い小さな実がついています。全部が大きくなるとも思えませんが、今年はあの黄金色のみを見ることが出来そうです。皆さんもお楽しみください。
 
本日は、伝統的に教会暦に従った聖書日課です。順に読みましょう。
ルカ17:11〜19は「重い皮膚病を患っている十人の人を癒やす」物語です。
「重い皮膚病」、新共同訳の後ろに語句解説があります。時に役立つものがあります。しかし、この重い皮膚病について、何も記載されていません。聖書改訳のきっかけは、50年以上経った、社会が変化して言葉も変わった、表現も変わった、差別用語がある、というようなものだった、と記憶しています。その中でも重要な語が、『らい病』でした。口語訳まで用いられていましたが、戦後の状況は変わりました。プロミンを始め特効薬が発見され、かつて不治の業病と呼ばれた『らい』は、治る病気、感染症となりました。『らい』という名の下、差別されてきたから、聖書の中からその名を消しましょう、ということは大きなきっかけになっていたはずです。嗚呼!それなのにそれなのに、何も説明がありません。  

スタディバイブルには次のような記述があります。
「多種多様な皮膚病の総称。特定の皮膚病と診断された者は穢れていると考えられ、神を礼拝する人々の共同体に加わる事を拒絶された(レビ記13・14章)。ユダヤ人の共同体では、穢れた人や物に触れた者が社会生活へ戻るためには沐浴をして清めの儀式を経なければならなかった。」
 
この十人のがどのような病気であったか、あるいは病気の重さなど好奇心はありますが、ここでの本来的な問題ではありません。むしろ、律法の定めに従い、ユダヤ社会、その共同体からはじき出されていた、ということに注目したいものです。癒やされたい、しかし、彼らを癒やすことは誰にも出来ません。自分本来の共同体でその権利を回復したい。どの様に金を払っても、禁じられているまじない、呪術でも、神々でも、ヤハウェに願っても癒やされません。それどころか、ヤハウェの神殿や会堂に入る事を禁じられていました。他の人との接触すら禁じられています。道を行くときは、鈴を鳴らし、諸人の注意を喚起し、道を避けてもらうのです。

こうした極限の状況にはどうしても宗教が必要だ、という理解はいつの時代にもあります。現代日本にもあります。日本国憲法は、原則政教分離です。
政治と教育をさす場合もありますが、多くの場合政治と宗教です。従って、国の施設には宗教は入れないのが原則です。原則には例外がつき物です。ハンセン病の療養所には必ず礼拝所があります。収容された人は必ずどれかの宗教団体に登録されるそうです。と言うことは人の生死には宗教がつきもの、と考えていることになります。

主イエスの時代のこの病人たちもそうです。癒されがたい病を身に負っている、だからこそ神殿へ行きたい、祈りたい、慰めを得たい。そのとき、神殿から、律法により、言い伝えにより、人々の厳しいまなざしによって遠く隔てられてしまうのです。
現代日本なら、学校におけるいじめの問題が相当しそうです。
50年前、私もいじめられ、自分の居場所を失いそうでした。

そのような状況に置かれた者たちが十人、そのうちの一人は、なんとサマリヤ人でした。
ユダヤ人はサマリヤ人を外国人と見なし、付き合おうとしません。しかしはじき出された者同士になったとき、彼らは行動を共にすることが出来るようになりました。
 
イエスに声をかけ癒やされます。祭司のところへ行って見せなさい。癒やされている事を証明してもらうのです。途中で癒やされている事を知った十人です。喜んで祭司のところへ、そして久し振りの郷里へと道を急いだことでしょう。エルサレムから南のユダ地方か北側にある小さなベニヤミンの土地です。
 サマリヤ人の地は、遥か北、ガリラヤの西の地方です。彼は何故敵対関係にあるユダの地へやって来たのでしょうか。何も書かれていませんが、サマリヤにいられなかった、ということは出来るでしょう。帰る事も困難な状況がそこにあったのです。

 それでも彼が外国人であることには変わりはありません。外国人が、イエスのもとに来てひれ伏し、拝み、讃美することが出来ました。


ルツ記1:1〜18、これはルツ記の始まり部分です。
ユダのベツレヘムの人が、飢饉を逃れてモアブの野に移住しました。ベツレヘムはダビデの町、彼の郷里です。パンの場所という意味ですから、本来は小麦の豊かな収穫でよく知られている所です。そしてモアブは、「死海の東、アブラハムの甥、ロトの子孫の地とされます。彼らは偶像を礼拝し、イスラエルに敵対した」。祝福の地を逃れて、呪われた地へ行った、ということになります。エリメレクは「わたしの神は王、」ナオミは「愛されるもの」もしくわ「心地よい」の意。マフロンは「病」、キルヨンは「弱さ」を意味します。

二人の息子の結婚と男三人の相次ぐ死、ナオミの帰郷の心が語られます。
そして、二人の嫁には各自の郷里へ帰るように言い聞かせますが、ルツはどうしても聞き入れません。16・17節にその固い決意が記されます。特に感銘深い言葉があります。
「あなたの民はわたしの民、あなたの神は私の神。
あなたのなくなられるところで私も死に、そこに葬られるのです。」

 こうして、家族四人で下った道を、女二人になって上ってゆきます。のろいの地から祝福の地へと。不思議な経過で外国人が、イスラエルの神ヤハウェを拝する者になります。そして、この血筋からダビデが生まれ、イエスへと続きます。

使徒言行録11:4〜18、この直前1節から3節には、その間の事情が記されています。エルサレム教会へペトロがやってきた時、丁度、異邦人問題が大きくなった時であった。元来、ユダヤ教徒は異教徒と食事を共にしない定めであったのに、カイサリアのコルネリウスの家でペトロたちが一緒に食事をしたことが聞こえてきました。その上、異邦人にバプテスマを授けた、ということも判りました。
そこでユダヤ教徒のある者たちは、それらのことでペトロたちを非難し始めました。
ペトロはそうした非難に対して応えます。説明責任を果たします。ヨッパの町で何が起こったか、順序を正して説教します。要点は、神が清めたものを、人が不浄なものとしてはならない、ということ。これは、神の言葉よりも人の言葉、言い伝えを大事にするのは間違いです、ということです。聖霊降臨の出来事も、エルサレムだけの事ではなく、このヨッパでも起こったのだから、神は我々と同じ賜物をお与えくださったことになります。神の御意志に逆らうことは誰にも出来ません。逆らってはなりません。

 本日の三つの聖句は、全体で三つのことを語っていると考えられます。
私たちは信仰者です。その生活の中で何を大事にしているでしょうか。周囲の人々の思惑、考え、慣わしを優先させてはいませんか。
本日の聖書は、ただ神の御意志こそ大切にされるべきです、と告げています。
そのような者だけが知る神の祝福があります。

それは聖書の神が、この全世界の神だからです。

更にもう一つのことがあります。神の救いの業は、イスラエルという枠を超えて諸国、諸外国人にいたる、ということです。すべての創られたものが、今や神の愛の対象である、ことが明示されました。この程度の者、私もまた神の被造物として恵みに与っているのです。感謝いたしましょう。