前主日が《十字架の勝利》、そして今回《十字架への道》。何かおかしいと感じます。
道が先にあり、それを進んで、結果として何が現れるかと言えば勝利。順序がある。
確かな意図があるのなら、それは私たちの道を語ることにあるだろう、ということです。
ルカ23:32には、二人の犯罪人が、イエスの右と左に架けられたことが記されています。そして46節で、「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」と大声で叫ばれて、息を引き取られました。イエスの十字架の最終場面です。この場面に向かって、イエスはどの様に進まれたのだろうか。
先ほど司会者がお読みくださったルカ19:28〜44は、棕櫚の主日の聖書。最後のエルサレム入場の場面です。多くの民衆が歓呼して、子ロバに乗ったイエスを迎えました。群衆はその上着を道に敷いて、王を迎えるようにしました。棕櫚が出てくるのはヨハネ12:12,13です。口語訳では「しゅろの枝を手に取り、迎えに出て行った」とあります。新共同訳は「なつめやしの枝を持って迎えに出た」と訳しました。なつめやしは、シュロ科の常緑高木で、聖書でシュロと訳されるものの大半はこのナツメヤシを指します。
ゼカリヤ9:9は、メシアのエルサレム入城を預言した箇所です。「エルサレムの王が、雌ろばの子に乗ってこられる。彼の支配は諸国の民に平和を告げるものである」。
詩編46編と同じ言葉が用いられています。戦車、軍馬、弓が絶たれ、平和が・・・。
今入城する王は、平和の君であることが預言されていました。その預言が成就されました。エルサレムの民衆は驚き、喜びました。その様子がよく表されています。
棕櫚の主日が語り、示そうとするものは、平和の王としての御子の入城です。征服者、支配者、抑圧者ではなく、仕える者、愛の故に自らを与える者、救い主としてのイエスの顕れです。
それではどのような形で王となるのか、救いが達成されるのでしょうか。
ヘブライ人への手紙10:1〜10では、この手紙特有の主題が語られます。神の救いの計画に基づき、御子イエスはご自身の体を捧げて、すべての罪人を聖なる者とされた。主イエスは、罪を他にして、すべてのこと私たちと同じように試みられたお方です。その汚れのない、傷やしみやその類のものが一切ない清い存在が、いけにえとして捧げられ、私たちの罪を永遠に贖われました。
イザヤ書56:1〜8には何が書かれているか、何が預言されているのでしょうか。ここからいわゆる第三イザヤが始まります。神殿の回復と神ヤハウェを主と拝するすべての民への恵みが語られます。そこでは、外国人、宦官というイスラエルの国の中では最も歓迎されることのない人々のことが語られています。彼らは食物規定を守っていない、自分の体を傷つけている、ということで汚れた人々とされました。宦官は自分の事を枯れ木と表現したようです。3節にあるように、ここには差別があります。イスラエルを愛する異邦人、宦官にとっては悲しいことに違いありません。愛しているにも拘らず、それ以前に、愛する事を拒絶されてしまうのです。ここでは律法の諸規定よりも安息日を守ることと悪事だけが問われています。安息日を守り、偶像礼拝を避けるなら、彼らもまた神の新しい共同体に招かれるのです。
もちろん、第三イザヤは無条件で恵みを語っているわけではありません。彼は、徹底的に罪を指摘します。59章などはそのよい例でしょう。
「主の手が短くて救えないのではない。
主の耳が鈍くて聞こえないのでもない。
むしろお前たちの悪が
神とお前たちとの間を隔て
お前たちの罪が神の御顔を隠させ
お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ」。
この故にお前たちの間には平和がないのだ、と言われます。
しかし、主は恵みと救いの神です。同じ59章、17節、さらに61章を御覧下さい。そこでは、新約の福音が示されます。
そして65章2節、私が顧みるのは苦しむ人、霊の砕かれた人
わたしの言葉におののく人。
この恵みが、捕囚から帰還したイスラエルのために神殿を再建させるのです。
神殿は、外国人を遠ざける所でした。新しい神殿には、新しい秩序が導かれます。彼らも犠牲を捧げるなら、私はそれを受け入れよう、と言われます。唯一の神を主とすることです。
少しばかり個人的な事をお話させてください。
私の母が3月27日、午前亡くなりました。87歳寸前でした。18歳で結婚し、10人の子どもを産み、育てた女性です。長生きはできっこないさ、というのが口癖のようでした。姉御肌の江戸っ子でした、と皆さんが言っておられました。それでも、50歳過ぎには木目込み人形作りを学び、多くの人々、孫たちに与えるのを楽しみにしていました。60半ばも過ぎてから書道に精を出し、師匠からもほめられ、表装して軸物にしたり、小さな屏風にしたりして皆にも楽しみを与えていました。最後は再び編み物に精出していました。
かつては子供たちに着せるために、今は自分の楽しみもかねて、簡単なものを作り子や孫に与えるのでした。
昔の人の常で、芝居が好きでした。新橋演舞場、明治座、歌舞伎座などへ、忙しい中を都合して、時々行ったようです。私も好みでしたので、歌舞伎座に連れて行かれたこともあります。おばさんとお爺さん・お婆さんばかりで、男子学生らしい若い姿は見当たりませんでした。先代の中村勘三郎さんの舞台は見事でした。艶麗な舞踊と滑稽味と、そして堂々たる立ち姿は、圧倒的な存在感がありました。「椀久」と憶えていましたが、勘三郎の上演目録にはありません。記憶は当てにならないものです。
40年近く前のことになります。神学校を卒業して赴任することになった時、二つの事を言われました。ひとつは、「お前のヤソ道楽はまだ終わらないのかい」。卒業すると終わるだろうと思っていたようです。異なる信心でも許容する寛容さがありました。
もうひとつは、「牧師になったら、役者と同じで、親の死に目に会えると思いなさんな」ということでした。何時、何処で、何をするようになるか判らない、その覚悟を持ちなさい、ということでした。実際、父の時も母の時も臨終には間に合いませんでした。あの牧師と同じような生活が出来る、などと思いなさんな、とも言われました。
これなどは、「お前は自分で理解していないだろうが、十字架の道を進むことですよ」、と教えてくれたのでしょう。私よりも牧師の生活を見ていました、知っていました。
父の向かってか、自分に言い聞かせるためかこのように言いました。「一人が出家すれば九族潤う、といわれるから、出家したと思い許しましょう」。やっぱりヤソ坊主でした。
父が亡くなった後ではこうです。「親に先立つ不幸」というけど、それだけはしないですんだねー。今、父、母を失い、他の多くの皆様同様になった、と感じています。そして次は自分の番だ、とも。
自分の父母の事を申し上げた事をお許しください。二人とも悪い所もたくさんあります。しかし私の目には、他の人を生かす道を選び取って生きた者、と見えます。
知らずにいて、十字架への道を歩みました。
『母性顕神』という言葉があります。小林吉保牧師がよく書かれた言葉です。山梨県出身、バックストンの神学校に学び、関西、関東に伝道し、最後は東京の練馬区桜台に教会をたてました。戦前、フリーメソジスト最後の監督でした。
神の愛の本質は、自らを捨ててでも子どもを生かすことにある。母親は、この神の愛をよく顕す、という意味です。
戦中・戦後、母親たちの多くはこの事を自身の体験としました。自分の食べる分を減らしてでも、育ち盛りの子供たちに、少しでも多く食べさせようと与えました。その意味で、その道は十字架への道でした。自分のための十字架は、主イエスが担ってくださいました。今私たちは、他の人を生かすための十字架を担う道を示されています。たとえ宦官であろうと、外国人であろうと、この道を行くなら、神の民とされるのです。
ナザレから出たイエスは、十字架への道を一筋に進まれました。
イザヤ書は、その姿を預言された苦難の僕の姿と重ね合わせました。多くの人の罪を担い、苦しめられ、嘲られ、見るべき姿も失った方でした。その御子イエスを神は高く引き上げ、御国の支配者、王となさいました。この世界の王とは違います。ゼカリヤが預言し、群衆がその姿を見たように平和の王、平和の君とされるのです。征服する者ではなく、救う者として、仕える者として来られました。
この同じ道を進むなら、たとえ異邦人であっても、この新しい神の国、愛の共同体に招かれるのです。
先ほどは、役員任職式が執り行われました。教会によって考え方の違いがあります。それでも変わらない部分は厳として存在します。役員は、牧師を補佐し、教会の信仰の模範となる、ということです。時には辛いこともおありでしょう。主はそのような時こそ、あなたと共に居られ御守りくださいます。教会員は、あなたがたのために重荷を担ってくれる役員を覚え、お祈りください。