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2007年2月11日

《癒やすキリスト》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ルカ福音書5:12〜26

本日の日課はヨブ記から始まり、思い皮膚病の人の癒やし、足の不自由な人の癒やし、
病の癒やしを讃美する詩編に至ります。すべてを学ぶ時間はない、と思いますが、いくつかの事をご一緒に考え、キリストの福音と出会うことが出来れば幸いです。

 ヨブ記は、ウヅの人ヨブの苦難を巡る物語です。そもそもこのウヅという名が問題です。
地名と考えられますが、正確な場所はわかりません。
創世記36:28には、ウツという名がエサウの子孫の名として出ています。エサウの子孫はまとめてエドム人とされ、アラビア半島西北部の人々とされます。そうすると,イスラエルからは東の人々となります。しかし、これには確証がありません。
 正統派イスラエル人ではない人が主人公、ということもおかしなことかもしれません。
反面そのような人も神を崇め、悪を避ける「正しい人」であった、ということで、神の力を顕している、とも考えられます。
 これを現実にあった出来事と考えねばならないのでしょうか。記されていることには誇張があります。しかし主題とされていることは、今日の私たちのものです。このうちのひとつの災いでも、大きな苦しみになります。私にはそれで充分です。

 主題は、人間の苦難の問題です。苦難と神の関わりを問題にしている、といったほうが良いでしょう。それでは2:1〜10を読みましょう。
ヨブは、無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。これがヨブ記2:3にある、神の評価です。天上の会議でサタンはヨブを試みる事を願い出て、許されました。1:12.
その苦しみの中で呼ぶが発した言葉が有名です。1:21、22、
「『私は裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。
主は与え、主は奪う。主の御名ははめたたえられよ』。
このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」

 サタンは再度彼を試みる事を願い出ます。2:5
「皮には皮をと申します。まして命のためには全財産を差し出すものです。手を伸ばして彼の骨と肉に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うに違いありません。」
許されたサタンは、ヨブに手を下し、重い皮膚病にかからせます。象皮病などいくつかの病名が考えられますが、そのことには意味がありません。死よりも苦しい状態に陥った、ということが重要です。そして、「このようになっても、彼は唇をもって罪を犯す事をしなかった」、のです。
私たちの日課は、ここで終わります。面白い、関心ある、この先を知りたい、という方は、家にお帰りになってからお読みください。必ず益する所があります。

ヨブ記の主題は、人間世界に広く存在する幸・不幸に関するものです。スタディバイブルはこのように書いています。
「神を信頼し、祝福されて、多くの子どもと健康、そして豊かな富が与えられていた。しかし、ヨブはそのすべてを失い、恐ろしいほどの苦しみに遭う。ヨブのように正しく敬虔な人物が何故苦しまなければならないのかーーー当然生じる疑問であろう。・・・神が人を苦しめるのか。もしそうなら、何故苦しませるのか。」
 ヨブ記は人間普遍の問題と格闘します。そして多くの人も共にこの格闘に参加します。
終わりまでお読み下さい。きっと得るところがあります。今は福音書に進みます。

 ルカ福音書は先ほどお読みいただきました。5:12〜26です。何が書いてあったのでしょうか。小見出しはこういうときには便利です。「思い皮膚病をわずらっている人を癒やす」とあります。先ほどのヨブは重い皮膚病に罹り、苦しみました。
そこにはユダヤ社会の掟が関係しています。レビ記13,14章に細かい規定があります。次々といろいろな種類の皮膚病が上げられます。そしてその多くは隔離されるべきものとします。汚れているから、清められた事を祭司が証明するまで、社会から出ていなければなりません、ということです。その汚れは他の人に移ると考えられていました。そのため、身体的接触も禁じられました。触れた人は同様な汚れを持っているとされます。

 これは日本におけるハンセン病隔離と似ています。治らない病気、と考え、恐れ、山奥や離島に隔離し、国民の健康を守ろうとしました。ようやく治る病気であることが解り、これまでの政策が間違いであったことに気付き、修正したのは20世紀も後数年(97年?)というときでした。病気の苦しみに社会から隔離される、自分の家族も名前も失ってしまう、という苦しみ、悲しみが加えられました。

 福音書の皮膚病も同じです。病気の苦しみがあります。そうした時こそ神様に訴えたい。助けを求めたい。ところがその時に神から引き離されてしまうのです。ユダヤ社会の祭司たちは、普段、神殿詣でが大事であると教えました。しかし人々が本当に神と語りたいと願うときには、神殿から退けてしまいました。ここに一人の皮膚病に罹った人がいました。イエスを見てひれ伏し言います。病の故に神からも引き離されてしまいます。
そうした中からこの人は叫びます。
「主よ、御心ならば、私を清くすることがおできになります」。これは私を癒やしてください、との願いの言葉でした。するとイエスは手を伸ばしてその人に触れ、『宜しい、清くなれ』といわれると、たちまち重い皮膚病は去った」。
このように記されています。
 すらすらっと読みそうですが、繰り返しお読みください。イスラエルの人々の習慣からすると、おかしなことが書かれています。そうです。『手を伸ばして触った』ということです。汚れた食べ物、血の流出、死体、病気、いずれもそれに触れると汚れが移ると考えられていました。イスラエルの人々は、常識として、そのようなものには近付くことも避けていました。ところが主イエスは、大胆に進み出てその人に向け手を伸ばし、触りました。

 この主イエスの姿は、将にイザヤ書53章に預言される「苦難の僕」の姿そのものではないでしょうか。『彼は軽蔑され、人々に捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている。
   「彼はわたしたちに顔を隠し、私たちは彼を軽蔑し、無視していた。
   彼が担ったのは私たちの病、彼が負ったのは私たちの痛みであったのに、
   私たちは思っていた。
   神の手にかかり、打たれたから、彼は苦しんでいるのだ、と。」
主イエスは私たちの苦しみ、痛み、病、汚れを担うために、私たちのもとに来られたのです。苦しみの時に共にいてくださる方が居られることは大きな救い、そこに人の癒やしがあります。
 
 さて使徒言行録3:1〜10は、「ペトロ、足の不自由な男を癒やす」とあります。
足の不自由な人も、この時代、汚れた人と看做されていました。神殿に入ることは出来ませんでした。「美しの門」、多分「ニカノル門」の側に座り、施しを求めていました。
ペトロは、言います。
「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
癒やされた男は大喜びです。躍り上がっています。神を讃美しています。そして一緒に神殿境内に入って行きました。
 
主イエスの癒やしは、共に神を讃美できるようにすることです。水野源三さんは、決して歩けるようにはなりませんでした。しかし、讃美できる人に変えられました。
昭和萬葉集で知られる明石海人は初め「慟哭の歌人」,やがてキリストを知り「賛美の歌人」となります。玉木愛子さんも同じです。自分の苦しみから十字架と復活のイエス・キリストに目を転じたとき讃美します。「目を捧げ 手足を捧げ 降誕祭」。
苦しみのさなかに目を転に上げるとき、讃美が生まれます。
ここに本当の癒やしがあります。奇跡がありました。私たちも共に讃美しましょう。