元旦礼拝
今朝、与えられました聖書は、ベツレヘムの虐殺、としてよく知られるところです。よく知られる故に、あまり読まれない。間違っているでしょうか。
幼児の虐殺、知れば知るほど読みたくなくなります。聖書日課にはありませんが、今読まなければ、読む機会を失するかもしれない、という思いもありました。
元旦、という晴れの日には、とりわけ相応しくないように感じます。皆様のお許しをいただき、福音の言葉を聞き取るよう心を鎮め、耳を傾けてまいりましょう。
ヘロデのもとを、東方の学者たちが尋ねてきました。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は何処にいらっしゃいますか。」
私は長い間、何とちぐはぐなことを学者先生はすることか、と感じていました。
結論を知っているから、ヘロデのところをたずねてはならない、一番悪いところ、と知っていたわけです。結論を知らなければ、ユダヤ人の王としてお生まれになる場所は、王の宮殿が最も相応しいのです。宮殿で、王子として生まれ、錦の産着に包まれているだろう。これが天下の常識というものです。
ヘロデは心当たりもありませんので、律法学者、祭司長たちを召し集め、尋ねます。
「ユダヤ人の王として生まれるとしたら、その場所はどこか」。
この学者たちは、聖書と言い伝えを調べました。ミカ書の預言を基に、それはベツレヘムに違いない、と答えます。ヘロデは、東から来た学者たちに答えを与え、更に求めます。
「言って、見聞きしたことを私に伝えよ。」その次は凄い、と思います。
「私も行って、礼拝しょうと思うから」。
ヘロデは、その50年ほどの治世のうちで、自分の王位を窺う力がある、と認めた者を次々と殺害してきました。「ユダヤ人の王として生まれるもの」がいたら、生かしておくはずがありません。当時は、誰でもが知っていることです。
ヘロデは、自分の王位、権力維持のために学者たちを騙そうとしました。
殺す者は、自分も殺されることがある、と気付きます。
騙すものは、自分も騙され得ることに気付かなければなりません。
気付かずに、騙されない、騙すだけと考えているときに騙されると、傷付けられた,と言って猛り狂うようなことがよく起こります。
遠くから来た学者は、そのようなことは知らないだろう、と多寡を括ったのかもしれません。しかし、この学者先生たちには、強い味方がついていました。学者たちは、神の御告げを受けて、ほかの道を通って東方の故郷へ帰って行きました。
さて、帰ってこない学者たちに怒りを燃やしたヘロデは、ベツレヘムで2歳以下の嬰児たちを殺すように命令します。当時の人口から、このとき殺害された実数を割り出そうとする向きがあります。数は問題になりません。たとえ殺されたのが一人であっても、その父、母を初めとして悲しむ人の数は限りなく続きます。事故で、戦争で死ぬ人の場合も同じです。私たちは戦争そのものに反対するし、事故がない様に願うのです。裁判の判決では、死者が複数あれば刑が重くなる、というように言われます。割り切れない思いを遺族は持っています。
ヘロデがしたことは一体、何でしょうか。
人間一般の自己防御本能、という事を考え、彼が、王位を維持するためにしたことであり、私たちも同じ事をする、と言うことは出来るでしょう。しかしそれは、「一億総懺悔」と同じで、自分が背負わねばならない責任を、他のすべての人々に負わせることで帳消しにしようとするようなものです。
ヘロデはユダヤの王ですが、その出自はイドマヤ人の将軍であり、王位簒奪者としてユダヤ人から嫌われ、侮蔑されていました。そのため、何とかして真正のユダヤ人となり、民族を支配し、民族から崇拝されるような王になる事を求めていました。そのために流血を繰り返してきました。尊崇される王になろうとして、最も嫌われ、退けられるような事をしてしまうのです。いつの時代でも、劣等感を抱く人間によく見られる行動パターンです。実にヘロデは、そのような人間でした。
この国民、ユダヤの民にとって「子ども」とは何を意味するのでしょうか。
子どもは、矢筒を満たす矢、祝福の源、喜びと祝福そのものでした。
アブラハムとサラの物語を想起するとよくわかります。子どものなかった二人に、男の子イサクが与えられます。そのときの喜び、そしてイサクを捧げる事を求められたときのアブラハムの悲しみ、そうしたところによく描かれています。我が子イサクを捧げること、殺すことは一人の命ではなく、アブラハムの祝福の源を破壊すること、その将来を失わせることでした。創世記22章などをお読みください。
さて元に戻りましょう。ここにあるのは、理由もなく殺された子どもたちと、同様に何ら正当な理由なく、愛する我が子を失った、奪われた母親たちの出来事です。
私たちがしばしば、何故このような苦しみを、悲しみをお与えになるのですか、と嘆き、呻くことが究極の形で示されているのです。しかし、それに対する答えは、何も与えられていません。
出来事自体が答えです。愛子を失い嘆く親の心は、そのまま父なる神のものです。
水野源三さんの詩を印刷して置きました。ご覧ください。
主よ なぜですか
主よ なぜですか
父に続いて 母までも
御国へ召されたのですか
涙が あふれて
主よ主よと ただ呼ぶだけで
次の言葉が出てきません
主よ あなたも私と一緒に
泣いて くださるのですか
この詩は1975年、母の死後のものです。父の死に続いて母の死が襲った時のものです。
源三さんは、ひたすらに嘆き悲しむ自分の姿をあらわにします。その深い底にあって、突然のように、彼の眼差しは主に注がれます。
誰でも、自分の悲しみの底を見つめても、救いを見出すことは出来ません。目を転じて主を仰ぐとき、慰めと望みを見出します。
ベツレヘムの嬰児たちは、最初の殉教者として、神の御国へ召されたに違いありません。
その父親、母親の悲しみは、復讐することや、ヘロデの死に快哉を叫ぶことでは癒やされません。かえつて、その悲しみは、重く、深く沈殿してゆきます。
自分の苦悩を見つめることから目を転じ、神の愛に基づくご計画に着目するとき、嘆きは昇華されます。美しく花咲き、実を結ぶものになります。
嬰児イエスの母マリヤは、夫ヨセフに伴われ、ヘロデの魔の手を逃れてエジプトへ行きます。ヘロデが死んだ、というニュースに励まされるようにナザレへ帰り、幼子を守り育てます。
今私たちが考えるべきことは、エジプトを、ナザレを、子どもたちのために整え、備えることです。安心して養育できる環境を造り、子どもたちが行ける場を造ることです。
幼稚園の親たちはこんな事を言います。「園の遊具は、保育料を払っている園児が使うもの、開放するのは反対。
お役人も言います。「事故のないよう管理しなさい。責任者を明らかにしなさい」。
地域の人たちは嘆きます。「保育、学業の時間外に自由に遊べる場所がない」。
お互いに規制し、排除しようとする。友達を、場所を必要とする子どもが退けられる。
困難を挙げれば何も始まりません。先ず、教会学校がエジプトです。ナザレです。子供たちを招きましょう。受け入れましょう。そのことが、主によって許されています。