降誕前夜燭火礼拝
教会は、季節ごとに色彩を変えています。春夏秋冬ではなく、クリスマス、復活節など教会の大きな祝祭にあわせるようになっています。紫は悔い改めと謹慎。白は太陽と純潔。
赤は犠牲と命。東方教会では殆んど赤と白しか用いません。
アメリカの教会は、クリスマスの色として赤、白、緑を使うようです。国によって、教会によって様々のようです。なんだかサンタクロースとクリスマストゥリーのようですね。教会はもっと深い意味を考えています。緑はエバーグリーン、永遠の命を表すようです。
この1年、たくさんの生命が失われました。中には、いじめに耐えられないで自ら命を断った少年少女がいました。そこで学校や政府、文科省は何といったでしょうか。学校は生命を大事にしましょう、と教える。
しかし命を大事にして、生きよう、とは語らない。語れないのかも知れない。「命と生命」、の違いを誰も考えようとしないのです。アルバート・シュバイツアーは「生命の畏敬」をその哲学、思想の軸としました。アフリカの生活の中で昆虫1匹の生命も大事にしました。
それは立派なことです。
生命は生物学的概念。命は社会学的概念であり、実存的なもの。
ありのままの自分を認めろと要求する。
そこでは、存在に対する一切の批判は許されなくなってしまう。
自分自身の欠点や、間違い、無恥、偏見、非常識も「そのままで良し」としようとする。
これは傲慢ではありませんか。
み子イエスは、今宵ベツレヘムでお生まれになりました。婚約者ヨセフに守られて。
現代のベツレヘムは、大きな教会はあります。しかし小さな町です。
ヨセフは、義理や成り行きではなく、ダビデの子孫として恥ずかしくないように生きよう年ました。王者のように勇気と誇りと愛をもってマリアを守り、生まれたイエスを守りました。
この愛こそが新しい命です。最近の傾向として、自分が愛されているかどうか判らない。どの様に子どもを愛したらよいのか判らない、ということがあります。考える前に愛することです。親だけが親ばかになれるのです。イエスは、長じて教えを語り、奇跡を行ない、十字架に掛けられるまでに人々を愛しました。愛する愛を選び取るところに新しい命があります。そして、自らの命を守りつつ、相手の命を重んじる優しさが生まれます。
クリスマスのイエス様は、守られ成長し、愛するものとなりました。メリークリスマス!