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2006年12月24日

《告知》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ルカ福音書1:26〜38a

本日の礼拝は、教会の慣例に従ってクリスマス礼拝とされます。
聖書の箇所は、教会暦に従って、降誕前の、マリアへの受胎告知の場面です。
多くの画家の創作意欲を刺激したようです。フラ・アンジェリコを初め、優れた作品が残されています。

マリアはダビデの家系の花嫁となるべき女性です。ヨセフの婚約中の妻であり、ヨセフこそはダビデの末裔です。
『婚約中の妻』とは、随分奇異な感じを受けます。婚約者と言えば解ります。それだけで十分かもしれません。私たちの社会は急速にグローバル化しています。世界中が同じ出来事を経験し、同じように感じ、考えるのです。
その顕著な例が、結婚です。世界中で、従来とは違った結婚が行なわれるようになりました。30年近く前のことです。あるカップルの結婚式をお引き受けしました。式が終わり、披露宴です。その中でお二人のこれまでをスライドで紹介することになりました。そこには婚約前のお二人がバイクで東北を一周しているスナップがたくさんありました。お客様は皆さんたいへん喜ばれて、老いも若きも拍手喝さいでした。かつてなら、不謹慎とされ、白眼視されるところです。こうしたことが受け入れられているのです。おめでた婚、寿婚が認められる素地が出来ていたのです。

ヨセフとマリア、これには当時の事情があります。この頃、若い男女は親が決めた相手と、幼い頃から婚約します。当人たちの意志にかかわりはありません。当然早い時期に結婚することになります。天蓋つきの寝台に二人が座り、その前で祝宴が何日も続きます。
式を行う以前に勝手に夫婦になることは禁じられます。しかし若い二人ですから、大目に見られるようです。厳しいのは、女性が婚約者以外の男性と関係した場合です。姦淫として、石で撃ち殺されます。
 受胎告知は、マリアにとって、このような危機的な状況をもたらすことでした。

ナザレというガリラヤの町、この小さな町は旧約聖書には記述がない。ガリラヤは、BC63年にローマ帝国の一部とされ、イエスの時代には直接支配されていた。
ヨセフ・・・マリア、ヨセフは、イスラエルの最も偉大な王と考えられたダビデの家系の出身であった。イスラエルの預言者たちはメシアがダビデの家系から誕生すると預言した。
イザヤ11:1〜5、マタイ1:17、
イエス、
ヘブライ語でイエス(イェシュア後にイェホシュアと発音)は「主は救う」の意味。
   以上3項目は、スタディバイブルの説明です。

メシア、救い主は、本当にダビデ家から出生したのでしょうか。
主ご自身、そのことを否定なさった。ルカ福音書20:41〜44。
「ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。

ダビデはメシア・キリストを主と呼んでいる、そうであれば、メシアがダビデの子孫のはずはない。
他方、旧約の預言は「メシアはエッサイの根より」、としています。

これは明らかに矛盾撞着。どちらが正しいのか。
神の計画は、メシア降誕を早くから決めている。
「エッサイの根から」、イザヤ11章を読みましょう。新共同訳の1078ページです。

生まれてきた、としてもそのまま救い主ではありません。
その上に主の霊がとどまる、知恵と識別の霊 思慮と勇気の霊 主を知り、畏れ敬う霊。
この霊があって初めて、生まれ来るものは救い主、メシアとなるのです。

次にメシアが到来すると、地上に不思議が起こります。6節以降は、私にはわかりませんでした。何とバカバカしいことだろう、と感じました。
肉食獣と草食の家畜が一緒にいられるはずがない。餌になってしまうだけだ。
よく読むと、それぞれの性格が変わってしまうのです。メシアの上に霊がとどまるなら、このように変わってしまうのです。
毒蛇、マムシも乳飲み子、幼子に対して害を加えようとはしないのです。
救い主が到来する時、自然界に創造の初めの秩序が回復されます。そのことが、ここに語られています。

同時に誰からでも救いを始めることが出来ます。だれでも救い主にすることも出来る、と告げられています。マリアはヨセフとの結婚によって始めてダビデ家の末裔、と認められます。ヨセフが、誰の子か判らないものを身ごもるとは何事か、婚約解消、と言ったらそこで終わりです。

ヨセフはマリアを守ることを決断します。私の子どもです、と告白したのでしょう。
ダビデ家のヨセフは、マリアを守ることが使命でした。ダビデ王家に受け継がれた勇ましく高尚な精神です。

イザヤ55:10、「雨も雪も、ひとたび天から降れば  空しく天に戻ることはない。
  それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ  種まく人には種を与え
  食べる人には糧を与える。」
告知されるのは神の言葉。言葉は、一旦出されると、必ずその使命を果たすものです。

その使命は何だろうか。
ダビデ的な王になることを人々は期待しました。エッサイの若枝を求めました。
軍事、経済、文化、そして領土、更にローマ帝国内における高い地位。
あらゆる面でダビデの王国を回復することを求めました。
しかし、主なる神のご計画はそれと異なりました。
愛をもって、すべての人に仕えることです。ヨセフはそれを実現しました。

生まれてくる幼子は、やがて成長します。エジプトで、ナザレで良い時代を過ごしたことでしょう。健やかに、感性豊かに育ちました。苦しみや悲しみを知らなかったわけではありません。最も大きなことは、マリアの夫、ヨセフの死です。父として育て、大工の仕事を教えたヨセフは、早くに亡くなった、と考えられています。そのために、「ヨセフの子」と呼ばれるはずなのに、「マリアの子」ではないか、と呼ばれています。
ヨセフこそ、ダビデの血筋を受け継ぐものです。彼が、マリアを受け入れ、守らなかったならば、その後のキリスト・イエスの生涯は抹殺されていたかも知れません。

ヨセフという名は、イスラエルの歴史の中では、その先祖ヤコブ・イスラエルの12人の息子の一人として、よく知られています。その11番目に当たります。そして、彼こそは、恐るべき飢饉の時に、イスラエルがエジプトへ逃れるための道を備える者となりました。
その名を与えられたヨセフ、彼には救い主の誕生を守る役割が与えられています。
また、ヘロデ大王の殺意を恐れ、母子を連れてエジプトへ逃れて行く役目も果たしました。昔のヨセフ同様、エジプトへ降り、神のご計画を守ります。マリアへの告知は、ヨセフに対して神の使命を告知するものでした。