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2006年9月3日

《すべての人に対する教会の働き》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ福音書12:1〜12

聖書日課 イザヤ5:1〜7、使徒13:44〜52、詩編40:2〜12、

聖霊降臨の記事を読むと、先ずその家一杯に風が吹き渡ったことが記されます。これは、一つの共同体、教会の出発です。それから炎のようなものが舌のように分かれて一人ひとりの上に臨んだ、とされます。全体から部分へ、教会から個人へ、ここに教会の働きの基本があります。


イザヤ書5:1〜7、ブドウ畑の歌。ここではイスラエルが、ブドウ畑に例えられています。
その所有者は神であり、なすべきことをなして、善い結実を待ったが、酸いブドウしか実らなかった。それはなぜなのか。所有主はこれを棄てる、見棄てる、と言われる。
7節は、このブドウ畑はどのような状況だったか。そのことをはっきりと書いています。
「主は裁き(ミシュパト)を待っておられたのに
見よ、流血(ミシパハ)
正義(ツェダカ)を待っておられたのに
見よ、叫喚(ツェアカ)。
神の国たるブドウ畑を支配していたものは、正義ではなかった。
罪なくして裁かれ、虐げられる貧しい者たちの流す血の匂いがする。彼らの叫びが、悲鳴が聞こえてくる。


使徒言行録13章は、シリアのアンティオキア教会がパウロとバルナバに手を置いて祈り、異邦人伝道に送り出した事が記されます。彼らは、初めキュプロスヘ行き、サラミスで宣教し、ピシディアのアンティオキアで説教しています。44節以下は、その第二日のことです。求められるままに、会堂で安息日説教をしますが、受け入れるものもあり、拒絶するものありで、混乱があったのでしょう。
アンティオキアの町が幾つか登場するのは、アレキサンダー大王の部下で、その後継者の一人となったアンティオコス将軍の名によります。

43節「神を崇める人」は、神を敬う人や、神を畏れる人と同様に、ユダヤ教の同調者であるが、まだ「改宗者とはなっていない異邦人」を指す術語。

言行録は、使徒たちの働きが効果を収めたという形の報告を書きますが、事実とは異なるようです。少し過大な評価を遺します。そのためにその後の状況が合わなくなります。大勢が入信した、と書きますが、宗団の勢力は依然として小さい。

13章では、ユダヤ人の嫉妬のため、扇動のため、迫害が起こり、パウロとバルナバは出て行ったように書かれます。事実は、受け入れる者は少数派であった、ということです。それだから、反対する勢力に押されて出て行かざるを得なかったのです。「二人はこの地方から追い出された」というのが実際のところです。
そして彼らは、「見なさい、私たちは異邦人の方に行く」と告げました。負けじ魂です。
様々な苦境を、困難を、神のご計画として受け取りなおすのです。
人間の混乱は、神の摂理、積極的に捉えています。
反面、それほどにこの地のユダヤ人たちの勢力は強く、迫害は厳しかったのです。それでも、主イエス・キリストの福音は、神の聖霊の助けにより宣べ伝えられて行きます。

マルコ福音書12:1〜12、悪い農夫のたとえ話。ここにもぶどう園が出てきます。
主人は、すっかり整備の出来たぶどう園を農夫たちに貸して旅に出ました。と言いますのも、彼は当時の大地主の一人で、他の遠い所に住まいしておりました。大都市または外国の自宅へと旅立ったのです。
収穫の時期となったので、僕を遣わし、収穫を受け取ろうとします。ところが農夫たちは、約束を守らず、この僕を袋叩きにして、手ぶらのまま帰らせました。
主人はまた僕を送りました。殴られ、侮辱され、帰されました。
もう一人送ります。今度は殺されました。
次々に送りますが、いずれも殴られ、殺されてしまいます。
最後に、一人息子を送ることにしました。「私の息子なら敬ってくれるだろう」と考えたのです。ところが、農夫たちは、これは跡取りだから、殺してしまえば財産はすべて我々のものになる、と考え、相談の上殺して、ぶどう園の外にほうり出してしまいました。

この件が裁判に掛けられたら、裁判官はどの様な判決を書くでしょうか。
「自分の利益を図り、そのために血も涙もない非情な犯行に及んだもので、情状酌量の余地なし」。最近多くなっている事件のひとつかも知れません。人間が、目先の利益のためにどれほど非情になれるものか、驚きと共に考えさせられます。私自身がそのひとりかも、と思うと恐ろしい。

ぶどう園の主人は、どうするでしょうか。ここへやって来て、農夫たちを滅ぼす、と記されます。単に取り上げる、というのではありません。処罰する、のでもありません。もっと厳しく、彼らの存在を抹消する、というのです。もはや誰も彼らを記憶しないようになる、のです。イスラエルは、子孫が多いことを神の祝福、と考えました。子孫に記憶されることが喜ばれたのです。記憶されている限り、生き続ける、と考えられたようです。
「滅び」とは、もはや誰にも記憶されなくなることです。
そして、このぶどう園を他の人たちに与えてしまいます。
受け取ったのは私たちです。ここに神の恵みがあります。

10節は、詩編118:22〜23の引用です。もちろん、書斎で資料を脇に置いて見ながら書いたものではありません。記憶を頼りに、そのおよその内容を引用します。

農夫たちの譬は、イエスを捕らえようとして出てきた人々に対するあてつけでした。
お前たちが捕らえようとしているのは、いわば跡取り息子を殺そうとしているようなものだ、と言っているのです。彼らはそのことを確実に知りました。群衆も理解したでしょうか。何も書かれていません。しかし、多くの場合と同様、イエスの話には力があり、群衆をひきつけます。その時に、イエスを捕らえることは困難です。彼らは、その場を立ち去ります。

 さてこの三つの日課は、何をわたしたちに与えるのでしょうか。
キリストの福音は、それを当然と考える人々ではなく、本来それを知ることすら考えられないような人々に与えられる、ということです。
 私たちは、他の人たちに善いものを差し上げたい、と考えます。しかし、彼らの求めと、私たちの考えが食い違います。私が与えることの出来るものは、彼の喜びにはならない、と理解すると、悲しくなります。教会が持っているものも同じなのです。教会は、多くの人々が喜びをもって受け入れることの出来るものを持っています。そのことを理解してもらうことが出来ないでいます。
 教会はある時には、救貧、救ライなど慈善事業に力を注ぎました。またある時には教育に取り組みました。時には音楽や美術に関心を示しました。政治に取り組む人もありました。しかし時が移り、時代が変わるとそれらは行政の仕事となって行きました。
日本で最初に寝たきり老人のお世話をしたのは、聖隷事業団、長谷川保さんのグループです。鈴木生二さん、鈴木唯男さんは遠州教会の長老でした。生二さんは、後に御殿場教会に移ります。「十字の園」を10年毎に作り、人材を育てました。法律は、それを追認する形で作られ、やがて行政の仕事にして行きました。
 
 教会は時代の変化に関係なく、教会だけがなしうることをする、この覚悟が必要です。それは、教会の福音そのものをすべての人に伝えることです。
異邦人とは、国籍、民族、血筋、言語、習慣が異なるものです。実は同じ民族と言いながら、異邦人のような関係もあります。違和感があり、近付きにくいのです。
それらに対して、拒絶するのではなく、福音をもって接すること、福音を伝えることが教えられます。私たちに伝えられたように。