聖書日課 アモス7:10〜15、使徒言行録13:1〜12、詩篇107:17〜22、
先週、25日午後、北谷先生の就任式が、笠岡教会で行われました。教区議長の司式により、64名が出席。礼拝堂一杯の人たちでした。その中には、園長時代の知人・玉島教会の信徒もおられました。週報にもありますように、元会員だった2名の方もお見えくださり、どれ程か心強く感じられたこと、と存じます。北谷先生は、高校長を定年退職後、神学校に進まれました。若いころから読んでこられた聖書更にを学びたい、という心持だったようです。学びつつ、長年の疲れが癒やされることを知り、献身へと心が動きました。伝道者として残る人生を捧げよう、と決心を固めました。そこには聖霊の働きがあったことでしょう。私たちにはうかがい知ることの出来ないものがあります。そして卒業。あの時の喜びようは、私にとっても格別のものがありました。「やったぞー」、という叫びが聞こえるように感じました。そして初の任地へ赴任し、教区総会で補教師の准允を受け、晴れて就任式となりまし多。先生にとっては、まさに宣教への派遣でした。
そのことの意味を共に考え、主なる神の御旨を学びましょう。
マルコ6:1〜13、主イエスが、故郷へ帰ったところ、故郷ナザレでは受け入れられませんでした。預言者は故郷では受け入れられない、という言葉が生きているのか、このことから言われるようになったのでしょうか。起源はもっと古いように感じられます。すでに諺のようになっていたものを主が用いられた、と考えます。
「マリヤの息子ではないか」。ナザレの人々の判りきった言葉ですが、この中に一つの秘密が潜んでいます。この時代、イスラエルの人々は、父親の名前をつけて呼ばれました。
たとえば「・・・の息子シメオン」です。母の名をもって呼ばれるのは例外的なことです。父なし子を意味する、といわれることもありますが、大工ヨセフのことを知っている様子もあります。父ヨセフが亡くなってかなり時間が経っているのでしょう。
ここではイエスの兄弟の名が挙げられています。ヤコブは、殉教する「主の兄弟ヤコブ」でしょう。ガラテヤ1:19、ヤコブ1:1参照。
他にも数名の兄弟が伝道者、宣教者になったようです。
?コリント9:5参照。ここではパウロが、その時代の宣教者の慣わしについて述べています。
主ご自身、宣教のためにナザレにいらしたはずです。神の国を宣ベ伝えることです。
しかし思いがけない困難に遭遇されたわけです。派遣されるとき、それが何処でも、何時でも、困難は必ず存在します。必要ならば、それを乗り越える道が用意され、力が与えられるでしょう。
次いで主は、12人の弟子たちを二人ずつ一組にして派遣します。これは当時の旅の常識だった可能性があります。安全を考えてのことだったでしょう。しかしこれが後の教会に受け継がれたとき、その中に主の素晴らしい知恵を感じることになります。福音宣教の者たちは、使徒言行録1:22にあるように、「主の復活の証人となります」。そして申命記19:15は、二人ないし三人の証言によって立証されねばならない、とはっきり述べています。
このことは今日でも重んじられています。「関東教区通信」の仕事をさせていただいたことがあります。ある宣教師を取材することになりました。此方も委員二人・三人で参りました。取材が終わりましたが、宣教師自身の声も欲しい、ということで感想程度のもので結構です。書いて送っていただきたい、と言ってお別れしました。その後送られてきた原稿を見ると、ご夫妻二人の原稿でした。取材のときも言っておられたのですが、原則として、宣教師は夫婦共に宣教師の資格で宣教の地へ行くことになっています、ということでした。
私どもの認識不足でした。二人が宣教師であっても、お一人が原稿を書いてくださればよい、と言う程度に考えていました。完全に自立した二人が助け合って宣教の働きをする、という考えでした。それは主が弟子たちを派遣したときの考えに基づいている、と言えましょう。外国への宣教では、かなり守られています。しかし、国内では事情が変わりました。特にプロテスタント教会では、二人一組、ということは少なくなっています。二人を必要とするような規模の教会は少ない、という事情があるでしょう。
ホーリネス教会の系統では、今でも夫婦一組、という考えです。
私たちは、自立した伝道者であること、なってゆくことが大切だ、と考えています。
さて、弟子たちを派遣するに当たって、主は何を教えられたでしょうか。
教えの前に、汚れた霊に対する権能を授けた、と記されます。汚れた霊に疲れている人は、その社会から追い出された存在でした。神の国の福音は、それらの人々も神の御支配の中に含まれる、と教えます。そして、事実、彼らは霊を追い出し、病気を癒やすことが出来ました。神の力が到来していることを見ることが出来たのです。
そして、宣教の旅について語ります。当時の旅行の常識とは違います。
杖一本のほか何も持たず、靴を履き、パンも袋も金も持つな、というのです。
これは驚きです。これでは出かけることが出来ません。この時代の人々にとっても驚きだったでしょう。よく考えたようです。パウロは、先ほどの?コリント9:4節以下で、宣教者の権利、ということを記します。14節、「主は、福音を宣べ伝えている者たちが福音によって生活すべきことを、定められたのである」。そして自身は「宣教者として持つ権利を利用しない」と語ります。これは、パウロの覚悟です。
一つの土地では一つの家にとどまりなさい、と言われました。あちらこちらと渡り歩き、待遇の良いところを捜すようではいけません、ということです。後になると、心配されたとおりのことが起こります。長逗留も起こり、迷惑になりました。
宣教活動は、何を目指すのでしょうか。福音書記者は、悔い改めさせるため、と書き記しました。悔い改めは、方向転換のことです。神様に背を向けていたものが、顔を向けるようになることです。自分のことばかり考えていた者が、神の御心を考えるようになることです。自分のご都合ばかり気にしていた者が、神のご計画に従うことを喜ぶようになることです。そのためにイエスの福音、神の御支配がやって来ている、と宣べ伝えるのです。
神の支配を立証するため悪霊を追い出し、病人を癒やしたのです。
もう一つの新約日課は、使徒言行録13:1〜12です。ここにはパウロとバルナバがアンティオキアから宣教旅行に出かけることが記されています。長くなりますので省略します。
パウロの伝道旅行は、聖霊が命じられたことである、と明記されます。
更に、キプロス島での出来事が記されます。魔術師バル・イエスに対し、パウロは聖霊に満ちて対抗した、と書かれています。
旧約の日課は、アモス7:10〜15です。
イスラエルでは、サムエルによって預言者の時代が始まりました。王国が統一され、サウル、ダビデが王となった時代です。
その後暫く時代が過ぎると、次の世代の預言者が登場します。王国が南北に分裂し、とりわけ北王国が信仰面で乱れた時代に、それを正そうとする預言者が現れました。それがホセア、アモスです。旧約聖書では三大預言書の後に置かれますが、それらよりもだいぶ早い時代です。およそ紀元前700年代になります。
アモスは南ユダのテコアの羊飼いでした。そこから出て北王国へ行き、活動します。
彼は律法主義的な多くのイスラエル人たちを非難します。自分たちは神の掟を守っている、と言うが、巷に溢れるのは虐げられた人、見棄てられた人たち。これはどういうことなのだ、と鋭く迫ります。2:6〜8、5:11、8:4は有名です。ベテルの祭司アマジヤは言います。「お前は、自分の国へ帰れ、この地へ来るな。ここは国の聖所だから」。
アマジヤは、恐れと不安に満ちているのです。アモスの言葉は受け入れがたい、しかし実は正しいことを語っている。自分一個の力では対抗できない。ヤラベアム王の名を、その権威を利用しよう。
アモスは、神の力が語らせることを止められるか、と言います。み霊によって始められたことは誰も止められません。12人の宣教もそうでした。そのゆえに誰も止めることが出来ず、今日に至っているのです。最新のところでは、北谷先生が派遣されたのです。