マルコ福音書を書いた人はマルコである、と考えられています。
彼と彼の仲間達は、ユダヤの宗教の伝統に大変忠実でした。16章の初めに、「安息日が終わると」と記されます。これは彼が、敬虔、忠実なユダヤ教徒であり、まじめに律法を守っていることを示すものなのです。律法は、安息日に歩行できる距離を厳格に定めています。
いかなる労働もしてはならないからです。十字架から取り降ろされたイエスは、安息日にならないように、日のあるうちに手早く新墓地へ葬られました。安息日に墓まで行くことは、思いもよりません。
ここに名前が記される女たちや、記されてはいない多くの者たちが、不安のうちに安息日を過ごしたことでしょう。早く夜が明けないか、じりじりするような思いで過ごしたに違いありません。深い闇の中でした。なんと言っても、多くの者たちが救い主と仰いだイエスが、先生が十字架に付けられて殺されてしまったのです。その頃のイスラエルは次第に混迷の度を加えていました。そこに一層拍車を掛けるような形でイエスの処刑が起こったのです。先行きの見えない暗黒が濃くなりました。
イエスに従った者たちだけではありません。対抗し、イエスこそこの国の秩序、安寧を危うくするものだ、と断じ、殺害の策謀をめぐらした人々。祭司長、律法学者、パリサイ人たち、彼らにとっても不安な二晩でした。受難と復活の預言は知られていたでしょう。
それを、弟子たちによる亡骸の奪取と考え、番兵たちを配備しました。それでも不安はぬぐえません。過ぎ越しの祝いにかこつけて、宴会で不安を紛らしていたかもしれません。
皆様方も知るとおり、一旦不安を感じると考えないようにしようとすればするほど、しつこく考えていて、不安が次々と湧いてくるものです。彼らもまた、闇の中で不安な夜を過ごしました。
不思議なものです。全く考えの違う者たちが、全く同じように不安に捉えられて夜を過ごしているのです。
さて、朝の光が射し込みました。相反する立場、考えの者たちは、相反する方向に向って歩み出すことになります。女たちと祭司長や総督たちです。
女たちは、まずマグダラのマリヤの名が最初に挙げられます。この順序に意味があるか否か意見が分かれるところです。よく知られ、証人としての効果が高い人の名を初めに持ってくるものでしょう。この人は、ガリラヤ西岸の漁港の人。ルカ8:2によれば、七つの悪霊を追い出してもらい、それ以来、代表的な信奉者となっています。
ルカ7章は、パリサイ人の家での会食を描いて有名です。マタイ16:6以下、マルコ14:3以下、ヨハネ12:1以下は、その並行記事です。この町で有名な罪の女が更生し、このとき家に入り、涙で足を濡らし、髪の毛でそれを拭い、イエスの頭に香油を注ぎました。名は記されていません。遅くも6世紀には、この人は、マグダラのマリヤである、と信じられていました。
次はヤコブの母マリヤ、マルコの理解では、15:40の「小ヤコブとヨセとの母マリヤ」、および15:47「ヨセのマリヤ」、16:1の「ヤコブのマリヤ」とは同じ人物であろう。
三人目はサロメ。ゼベダイの子等、ヤコブとヨハネの母として知られます。イエスが十字架に付けられたとき、十字架の下に居た女性の一人。このサロメは、イエスの母マリヤの妹であったかもしれません。
三人の女性は、夜明けを待つように、香油を塗るために墓に急ぎます。イエスの葬りのためになすべきことを、済ませていなかったのです。これも不安の原因でした。亡骸が腐ってしまうのではないか。その前に済ませたい。こうした思いです。
これらの女たちは、墓の入り口の石を誰が転がしてくれるだろうか、と心配しています。
墓は崖の下に空いた横穴になっています。入り口は狭いけれど、中はベッド二つ分以上の広さがあります。入って右手の、少し高くなった部分にイエスが横たえられました。そして入り口は、下に溝が彫られて、円盤状の石が転がされるようになっています。落とすときは小さな力でも出来ますが、開けるために転がそうとするとかなりの力が必要です。
「誰が、私たちのためにやってくれるか」。そこには兵隊たちが居ます。彼らは隊長の命令があれば、石を転がすでしょう。しかし、カナ序たちのために、命令なしでしてくれることは決してありません。彼らの任務は、開ける事ではなく、誰も開けないように見張ることでした。この兵士たちのことは、マタイ27:62以下に記されています。ピラトの言葉を読むと、この兵士はローマの軍団兵よりも、祭司長たちの兵卒のように思われます。神殿警護のための兵士でしょう。
祭司長たちが、弟子たちが死体を盗みに来て、復活したと言いふらすかもしれない、と言い、番兵を求めました。それに対して「ピラトは言った、『あなたたちには、番兵が居るはずだ。行って、しっかりと見張らせるがよい』」。
ピラトの兵隊ではなく、祭司長たちの兵卒、と考えます。ヘロデ王にも兵士がありますが、それは考えられません。イドマヤ人の血を引くヘロデとイスラエルの純粋な血筋を誇る祭司たちは、決した仲良しではないからです。
マルコは、この兵士の存在を知らないのでしょうか。何故書いていないのでしょうか?
マルコは、イエスの十字架と復活にだけ集中しようとしています。マルコ福音書の大きな特徴です。私たちも書かれ、知らされることに集中しましょう。
女たちが墓へ着くと、すでに石が転がされていて、人影は見えません。奇跡を思わせます。彼女たちは、墓の中に入ります。亡骸を横たえたところを見ると、そこに座っている「白い長い衣を着た若者が見え」ました。これは驚きです。一体何事か。
マルコは、ここでも私たちの疑問に答えようとはしません。この若者以外誰も居なかったのです。兵士たちはどうしたのか。番兵は、都のうちへ帰って、祭司長たちに報告をしています。このことは、マタイ28:11以下に記されます。このことからも、彼らが神殿の警護兵であることが分かります。
さて、この若者は驚き畏れる女性たちに言われます。「あの方は、復活したのだから、ここにはおられない。弟子たちとペトロに伝えなさい。ガリラヤへ行きなさい。そこでこそお目にかかれます」。ガリラヤは、弟子たちや彼女たちの本来の生活の場所です。
ここには空っぽの墓があるだけです。イエスの亡骸はありません。甦ったのだ、という告知があります。これが宣教の基本の形です。それを受け入れるか否か、これが信仰です。
「弟子たちとペトロ」に伝えなさい、という言葉は、ペトロは弟子ではないかのごとくに聞こえます。そうではなく、弟子の中でもペトロを特別な配慮を要する者としているのです。ペトロは、弟子たちの中で代表格を自他共に認めていました。しかし、その彼が、イエスのことを知らない、と三度繰り返したのです。
このペトロには、特別な慰めと励ましが必要なのです。それは彼の特別な地位、身分を保証するものではありません。教会の首長、神と人の仲介者としてのローマ教皇の地位を主張する根拠ではありません。
復活のメッセージは、科学的な言葉を用いて証明できるものではありませんでした。その最初から、空っぽの墓、見つからないイエスの亡骸、慰めと励ましの言葉で構成されていました。「ガリラヤへ行きなさい、そこでこそお目にかかれます」。
女性たちは、この言葉の前で不安になり、恐れおののき、他の人々に何も伝えることが出来ませんでした。「ガリラヤへ」、希望の灯が点されました。幻が与えられました。次第にそれは現実のことになりました。弟子たちも女性たちも、この出来事を受け入れて生きるようになりました。甦りは、意気阻喪していた者たちに、新しい命を与えました。信じる者たちは、この甦りを記念して、安息日を土曜から日曜に変えてしまいました。どれほど大きな出来事であったか、大きな力を与えられたことか、お分かりいただけるでしょう。
ここに福音があります。