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2006年3月26日

《12年間の祈り》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ福音書5:21〜43

四旬節の意味を少しお話しましょう。
「春分の日の後の、最初の満月の後の、最初の主日」をイースター・復活主日とする。
復活日から逆算して、主日を除く40日間を主の御受難と甦りに備える時とする。この期間は、克己と節制を持って過ごすことが望ましい。
何故主日を除くか、といえば、「主日は、主イエスの甦りを記念し、讃美する日」だからです。

今夜は、いわゆる長血の女のことをお話します。
社会的行動に参加が出来ない。アウトサイダーとされてしまう。強い疎外感。
治療を試みる。あらゆる方法を試す。今日、ガンや白血病、血友病、筋ジストロフィー、その他、難病にかかった人が試みるように、良いと聞けば、聞くと聞けば大枚をはたいて、借金もして試したことだろう。財産を使い果たし・・・ますます悪くなるだけであった。
気の毒としか言いようがありません。こうした時、本当に役立たずなものです。

物理的なことが尽きた時、この女性とその家族にとって万策尽きたわけではなかった。
この時代には、呪術的な方法が残っていた。この方法は、医療以上に正体不明で、その上金がかかるものだった。それも駄目なら、その先に本当の意味で「神頼み」の世界が広がる。良い言葉を使えば「祈り」の世界なのだ。ここに到達したとき、これまでのすべても、清められ、祈りの事柄へと変えられるのだ。
当時のイスラエルは大家族制。一緒にいる家族みんなの祈りが集められたことだろう。

12年間患っていたことは、12年間祈りの世界にいた、と言うことに他ならない。しかしその祈りは聞かれないのだ。それが12年間続くのだ。この女性と家族、とりわけその両親にとって、何故祈りが聞かれないのか、と言う問いかけの歳月、月日でもあった。
周りの者たちに知られないようにしていれば良い、と思うのは我々。
まじめなユダヤ人にとってそれは論外です。
他の人たちに汚れを与え、かみのまえにでられなくしてしまうようなことは、何があっても避けなければならない。そのようなことを自分に許してはならないことなのです。

 ここで主イエスの噂が耳に入ります。多くの病人を癒やしておられます。1,2章wp見るとライ病、ちゅうぶの人が出てきます。さらに悪霊につかれた人や、手のなえた人も射ます。皆癒やされました。長い間わずらってきた女性にも希望が湧いてきました。最後の頼みの綱が見えてきました。
古い訳では、この28節はこうなっていました。「み衣の裾にだに触れなばたちまち癒えん」。
そして彼女はイエスの後ろから近付き、そっとイエスの服に触れました。
全くの奇跡です。合理化することを許さないほどの圧倒的な出来事です。
触れるとこの女性は体の内側で出血が止まります。癒やされます。血の源が乾くのを覚えた、とありました。印象的な表現がなされました。

主イエスの側でも大きな出来事になっています。主は、ご自身の内側から力が出て行くのを感じておられます。力が抜ける、と言うのではなく、力が他の人に向かって働いたことを感じたのでしょう。そこで「私の服に触れたのは誰か」とお尋ねになります。そして周りを見回されます。何故か、見つけたいのです。
大勢詰め掛けているときに特定するのは困難でしょう。

女は名乗り出ます。怖くなって、震えながら前へ出て、認めるのです。
「汝盗むなかれ」第8戒です。エネルギー泥棒と考えればよいでしょう。
昔、アルバイトで線番をしたことを思い出します。朝鮮戦争の時代、銅が高く売れました。
金属なら何でもと言う時代でした。電線まで盗まれるのです。新設されようと準備されたものなど当然、狙われます。一晩中番をしています。その時代電力泥棒もありました。
多いのは露天商、徹夜の工事現場などで。

イエスが捜したのは、彼女からこの泥棒という疑いを取り除くためでした。自分自身、泥棒をしたことになる、という自覚があるのです。いくら病気が癒されても、このまじめな女性にとっては、泥棒になってしまったのでは、この先ずーっと罪人として生きることになります。イエスの優しさがこの女性との新しい関係を生み出しました。

あなたのその必死な思い、信仰があなたを救った、と言われます。盗みではなく、あなたの信仰に私の内の力が反応したのだ、と言うことなのです。
癒やされた、泥棒でもない。安心して行きなさい。
本当の必要に対して答えられます。
12年間の祈り、神山教会の18年間の祈り、二つが一つになります。
信頼して必要が満たされることを祈りましょう。マタイ6:32以下