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2006年2月19日

《買い取り、所有とした》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記23:1〜20

サラの死、127歳の生涯。「キルヤト・アルバすなわちヘブロンで死んだ」。
ヘブロンは死海の中央部を西、地中海へ向かったところにある古い町である。ヴェエル・シェバから北の方、エルサレムへ向かって死海の西側の山脈を登ってゆくと、半ばほどのところにある。ヴェエル・シェバでイサクを産み、その後その成長に従って生活の根拠を移したのかも知れない。イサクには、多くのことを経験し、成長する時期であっただろう。アブラハム137歳、イサク37歳。サラにとってこの37年間は、喜びと感謝に溢れ、神のみ名を褒め称えることが多かったであろう。サラは、その人生の盛りにおいて、悲しむべきこと、苦しいことが非常に多かった。それらを補うものであったに違いない。充実の中に衰えが兆し、喜びの中に、突然悲しみがやって来る。命の終わりを迎える。その葬送をしなければならない。
悲しみに浸っていたい、という思いもあろう。その中から立ち上がるためにも、なすべきことが与えられる。現代の我々には、前夜式、葬儀という形である。
創世記は、人の命、生を、土の塵でで人の形を作り、その鼻に神の息を吹き入れられると人は生きたものとなった、と記す。葬りは、この土から造られた形を土に返すことである。
2節を、ある人たちはこのように訳している。
「アブラハムは、サラのために葬儀と哀悼の儀を催した」。現代とは違うだろうけれども、悲しみの心を隠さず表し、葬りの礼拝を捧げたと言えよう。単なる悲しみに留まらず、社会的な儀礼を行っていたのです。
 
アブラハムは、サラの葬りの時に、サラの墓とする土地を求めました。当然、サラに相応しい場所を捜したでしょう。生涯、放浪の生活を続け、神が約束された土地は、ひとかけらも所有してはいなかった。そのなきがらを横たえる土地を与えたい、与えられたいと願ったでしょう。約束の地の初めとなるのです。
どうやら、この時代ヘブロン周辺にはヘト人が住み、支配していたようです。このヘト人は、かつて黒海の南から出発して地中海一帯を支配したヒッタイト人の末裔のようです。ある時代、エジプトへ侵入して、ヨセフ一族と関係を持ち、ヨセフを宰相にしたのがこのヒッタイト系のエジプト王朝であったと考えられています。
アブラハムは、寄留の他国人として、彼らに礼儀正しく語りかけます。
ここに記されている交渉は、非常に丁寧な形で進められていますが、当時の良識ある商人どうしでは、尋常な形の交渉であると考えられます。今日とは逆なようです。
買い手は十分に支払わせてください、と言います。それに対して、売り手の側は、あなたのような立派な方から代金をいただくなどとんでもない。差し上げましょう、と語ります。
人々の間の信頼が、基礎となって生きていた良い時代がその姿を見せます。
だんだんと本音が表れ、詳細な詰めに移って行きます。しかし、互いに相手の利益を考える、という基本は失われません。そして最後に13節「どうか畑の代金を払わせてください。どうぞ受け取ってください。そうすれば、亡くなった妻をあそこに葬ってやれます」。相手への思いやりと謙遜さ、礼儀正しさの中で行われる取引は、このように成立してゆきます。「受け取ってください、そうすれば私は、安心して妻を葬ることが出来ます」。
「銀400シェケルが何だというのです。葬りなさい」。
エフロンが口にした金額が支払われ、交渉は妥結します。すべて町の門の広場でなされました。長老や司が集い、正義と公正、憐みと慈しみが求められるところでした。生気の取引であったことが知られます。50年前、アラブを旅した人は今でも同じであると報告します。
アブラハムは、サラの死によって、神が約束されたカナンの地の、最初の一片を手に入れます。力によって奪うのではなく、言葉を交わすことにより平和のうちに。 

これが、イスラエルの土地取得の初めです。いろいろな疑問が生じます。
アブラハムは恩恵として与えられることを好まず、正当な代価を支払い、正規の所有とすることを求めました。それ以前、このヘブロンの人、ヘト人は何処から所有権を付与されたのだろうか?

個人所有の根拠は何処に求められるのだろうか。ヘト人の私有財産意識はどのようなものだったのだろうか。
日本の個人所有は何処から始まるのだろうか?
 律令国家の班田制から荘園制、封建制は、朝廷の主権下において貴族、または守護大名、武家が統治を委託される。いずれ、略奪や簒奪者という形で個人所有を主張しても、体制への反逆として処分されてきた。それが崩れるのは明治維新である。近代国家を形成するとは、西欧列強に倣い、自由なデモクラシーを確立することである、という考えを持つようになった革命である。ご一新後、新しい明治政府の高官となった者たちが、徳川政権下にあって幕府から使用を認められていただけの旗本屋敷、大名屋敷を私物化した。
西欧的な土地私有制の始まりである。

余談になるが、一言。当時官営の事業が次々に起こされた。未だ利益を生むことが出来ないうちに、それを民間に払い下げ、巨額の利を与えた。それが財閥の始まりである。貧富の格差を生じ、若者は名利を求めて国を出て都へ上り、官・軍・産にその道を求めた。
現代の規制緩和、民間移行、起業という言葉は、かつてのあの時代を思い起こさせる。
一部の少数者が利益を得て肥え太り、多くの民は労苦の淵に沈んでゆく時代がまた来ている。話を土地私有に戻しましょう。
 
帝政ローマにおいては、不動産業者が早くも活動していたことが知られる。また皇帝の政府と元老院は、長年軍団の兵士として祖国のために軍役、兵役に服した者たちに対しては、ローマの市民権と報償金そして植民都市の土地を与え、生活できるように配慮した。これがヴェテランズである(老練兵、帰還兵)。植民都市は帝国が征服した都市や町や村である。そのことから、帝国主義的な領土拡張政策から私有制が始まったのではないか、と考える。
北米大陸における所有権の始まり。
先住民の間では私有権の発生は考えられていない。必要なものが必要な期間利用し、終了すれば、元のようにしておき、必要とする者の利用に任せる。垣根をめぐらせる事すら知られてはいない。誰でも通り抜けることが出来る。個人が利用している時でも、それは公共のもの、共用する大地なのだ。西欧の帝国主義的拡張政策が、これを崩壊させた。
 このことに関しては、牧師室に数冊の参考書籍があるので、ご希望する方は、読まれると宜しいでしょう。絵本もあります。大酋長シアトルの演説が良く知られる。
 16世紀から始まるコンキスタドール(イスパニアの征服者たち)や、英国人たちの植民活動が、新大陸における土地の個人所有の初めである。

アブラハムは、他の人から、恵みとして与えられることを望みませんでした。拒絶します。神の約束の成就にこだわります。代価を支払う力を神によって得たと考え、買い取ることで所有権は神から与えられる、と考えただろう。アブラハムは今や、神の恵みに基づく約束を、正当な取引によって実現させました。多くの成就の先駆けとして、これは喜ばれます。 
このように思いがけない形で、神の祝福は次第に形をとって来ました。
約束は実現して行きます。

河野進詩集より 『安心』
祈らずに
思い通りになるより
祈って
思い通りならなければ
安心です
神様は
遥かに善い道を用意して下さいます
祈って待つ希望を

死によってしか実現されない約束もあります。愛する者を失うことによって与えられる慰めもあります。悲しみの中で、しみじみ味わう感謝もあります。共に祈りましょう。


欄外

秦の始皇帝が編集させたとされる『説文解字』に拠れば、上の草と下の草の間に亡骸・死体を横たえることが『葬』の意である。この辞書は、それまでの甲骨文字などが地方ごとに異なっていたものを、国家統一と同時に文字の統一を図ったものである。始皇帝は、度量衡や軌(車の輪の間隔)の規格統一など偉大な業績を残したことは確かである。


ヒッタイト人。前17世紀頃、アナトリヤにヒッタイト王国を築いた彼らの一部は、前14世紀頃からシリヤに進出していた。エジプトでは、ラメセス王朝によって、取って代わられていた。その先祖は鉄の兵器・武具を用いてエジプトへ攻め込み、エジプト人の王朝を倒して、ヒクソス王朝を興した。それが、ヨセフのエジプト入りの時代。


土地問題という主題は、岩波書店の講座・世界歴史でも詳細に扱っている。
総合索引では二ページに渡ってその項目が並び、とても読む時間などありそうにないほどである。既得の知識を基に考えることしか出来なかった。