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2006年1月8日

《神を畏れぬ世界》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記20:1〜13

讃美歌55,177,276、交読文1(詩1篇)

 正月寒波、豪雪。例年、クリスマス寒波襲来が言われ、最近は聞かなくなっていたものが復活した。30年ほど前は、上空5000メートルにマイナス50度の寒波が襲来、などとニュースや予報で告げられていたことを憶えている。

江戸時代末期に、越後の人、鈴木牧之は利雪を説いた。雪を敵とするのではなく、味方につけ、利用する心構えで、考えるべきだ、と説いている。どのように調べたのか、雪の結晶を観察し、その細かな図をたくさん採取、掲載している。説得力がある。『北越雪譜』。 

しかし3メートル超の積雪と聞くと、恐ろしくなり、豪雪地帯へは顔が向かなくなる。

それでも、オレは雪が好きだからそういう所へ行きたい、と語る人もいる。

人生いろいろ、人さまざま。世界は一つ、とディズニーは歌う。現実世界は様々である。

違いを理解し、それぞれを尊重しなければならない。

 
アブラハムの物語を読むと、今日と全く同じさまざまな人生模様が現れてくることに驚かされる。あるいは同じ人物が、ある時には誠実であり、また他の時には不実に見えたりする。聖書は一つの文学として立派に成立する、と言われる。この考えは順序が逆になっているのではないだろうか。元来、聖書が先に存在し、一つの文学の模範を示していたのだ。その後の文筆に関わる営みは、聖書をモデルとして利用しながら成長・発展したもの。

この部分は、ソドムとゴモラの滅亡に関する部分を除いて、直接18:15から続く。

 20章のアブラハムは、これまでとはかなり違う人物として登場する。一家を束ね、隆盛へと導き、策略を用いて戦い、家族を守る。人生経験のある分、神の言葉にも疑いを差し挟んでいた時もある。そして今は、妻サラのおなかがだんだん大きくなり、神への信頼が強まっている時期と思われる。

 そこで疑問が生じる。妊娠中のサラを見て、ゲラルの王アビメレクは、彼女を召し入れたのか。恐らく二つの考えがあるだろう。一つは、同じような物語が他にもあり、それを利用して、アブラハムがどれほど神に助けられ、豊かになったか、と言うことを示そうとしたもの。もう一つは、ごく単純に御告げを聞き、直ちに移動したので、未だ異常が顕れていなかった、とするもの。後者を取り上げたい。同様の物語が幾つも重なって現れるため、簡単にはいかない。創世記12:14〜20は、エジプトのファラオとの間で起こる。

26:1以下では、イサクとリベカの出来事となり、同じアビメレクの名が登場する。

一つのエピソードをアレンジして用いたものだろう。

時間的に考えれば、み告げを受けてすぐ移動を始めたふた月ほどの間でしょう。

 物語は、アブラハムの「恐れ」から始まります。

ゲラルの地へやってきたアブラハム、この地の人々には神への恐れがない、信仰心が欠けている、と見えた。そこでは何が起こるか恐ろしいと考えた。

そこで妻サラに頼みます。「私の妹だと言ってくれ。これが私のためにお前が出来る慈愛に満ちた行為だ」と。私たちには、これは嘘だ、とわかります。しかし、アビメレクと言うこの土地の領主は、そのことを知らず、サラを召し入れます。その夜、この王の夢に神が顕れ、「あの女の故にお前は死ぬ」と告げられます。

王は慌てます。私には悪いところはない。彼女が人妻だとは知らなかった。あの二人は口裏を合わせて私を謀りました。あなたは正しいものを殺されるのですか。

ここで、ソドムとゴモラのためにアブラハムが神に執り成したことが下敷きになっていることが判ります。ソドム滅亡物語は、アブラハムの預言者としての働き、とりなしを伝え、このアビメレク物語の伏線となっています。

 
このアビメレクの発言は、アブラハムに対する告発にもなっています。

アビメレクは、アブラハムの嘘を知らなかったのであって、誰に対しても悪を行っていない。自分は正しい、と言う主張であり、これは神によって受け入れられています。

更に神は言います。お前の中に悪意がないことを知っていたから、アブラハムの嘘のため罪を犯すことのないようにした。彼の妻を帰しなさい。そうすれば、彼はお前のためにとりなしをするだろう。これも、ソドムとゴモラのためにアブラハムがした執り成しを下敷きにしています。

 アビメレクは翌朝、王宮の者たちを集めて事情を説明します。情報の共有化でしょうか。その結果、人々の心の中に、神への恐れが湧き起こります。その後、アビメレクはアブラハムを呼び寄せ、問いかけます。「何を見たからこのようなことをしたのか?」と。新共同訳は、「どういうつもりで、こんなことをしたのか」と訳します。元の言葉は、文字通り、「一体何を見たからなのか」となっています。アブラハムは、このゲラルの王国へ来て、何を見たのでしょうか。

 このところでのアブラハムの答えは、私にとっては重要です。「この土地には、神を畏れることが全くないので、妻の故に殺される、と思った」。これは、神を畏れぬ者が、この当時、普通にしていたことを示しています。そして、同時にアブラハムの見たものが、人間に対する不安と恐怖を惹き起こすものであったことを指し示します。この国には、このゲラルの世界には、神への畏敬がない。神を畏怖することがない。当然神への憧憬、憧れもありません。そのような世界では、神の創造の秩序は失われます。相応しい助け手であろうとはしていない。それぞれ自分勝手な要求を通そうとしている。他の人間を、自分の欲望充足の道具としている。非人格化です。更に全地は自分の前にある、自分のものである、と語ります。神のものではないでしょうか。

 アブラハムは、ゲラルの地の人々を見て、彼らを恐れました。神を畏れることを忘れました。そのために、人間的な方法を選びました。それが、私たちに不可解な印象を与えるのです。この時、神を畏れ、神に委ねることが必要でした。

 アビメレクは、アブラハムに「全地はあなたの前にあり、すべて我が意のまま、自由にせよ」と告げます。個人所有です。大地もまた、神の創造であることを思い出しましょう。

人間は思い上がっています。現代の私たちも。

現代を生きている私たちは、この世界をどのように感じ、考えているでしょうか。

実にこの社会は、神を畏れぬ世界なのです。それどころか畏れるべきものを知らない世界です。アンファン・テリブル、と言う言葉があります。恐れを知らぬ子どもたち。

そのように言われた子どもたちはすでに死に絶えた世代。その後も言われたことがあります。いつの時代も、大人の子どもに対するまなざしは厳しく、冷たいのです。神ではなく、自分たち大人世代に対して敬意が足りない、伝統やしきたりに対して敬意を払わない、それをもって恐れを知らない子どもたち、と呼びました。

 いわゆる大人たちは、自分たちの経験や力量を頼みとして、いつの間にやら神を畏れることを忘れてしまっています。神よりも前に、先ず私の言うことを聞きなさい、耳を傾けなさい、となっていませんか。親が子どもに対する姿勢にそれを見てきました。親子が共に神の前で姿勢を正すことが大切です。共に神を畏れるものになるとき、その家庭は、祝福されます。

 この記事は、なんとも不可解なものを孕んでいます。しかし、神の使信は明確です。

人の冨さえも神のみ手の内にあります。

神への畏敬を、畏怖の念を持たない世界にまことの祝福はありません。

そして、御子イエスの語降誕の喜びは今も響いてくるのです。神を畏れない世界に、神は一人児イエスを生まれさせ、ご自身の愛を明らかにされたのです。

神を畏れぬ私たちの世界に愛をもたらされました。闇の世界に光を与えてくださいました。これが私たちへのグッドニュース、福音です。感謝しましょう。
欄外

「カデシとシュルの間」、後にイシュマエルの子孫が住むことになるシナイ半島の一部(25:18)。イシュマエルの子孫となるのが、御子イエス後降誕の時のユダヤ王ヘロデです。イドマヤ人と呼ばれ、ユダヤ人からは大変嫌われました。

ゲラルは、ガザの東南約20キロほどの地域。アビメレクは、このほか21:22以下、26:6以下にも同名の人物が現れる。恐らく同じ伝承を基にしたために、このようになったのだろう。あるいはゲラルの王は歴代、同じ名を用いた可能性を退けることは出来ない。

7節「あなたのために祈り」、後の預言者像がここに投影されている。

10節「どういうつもりで」、字義通りには「何を見て」。そこから「何を考えて」、「何を恐れて」と訳されてきた。アビメレクの領土内を見てのこと、と読む。

11節「神への畏れ」は神信仰の古代西アジア的表現。

12節、アブラハムの弁明が事実を語っているか否か、聖書本文は明らかにしない(11:29参照)。

13節、私に尽くすと思って、とあるが、字義の上では「あなたが私に行う慈愛はこれです」。異訳「私のために、こうしてくれたらありがたい」

15節「我が地はあなたの前にあり」

 アンファン・テリブル、パスカルの時代にも言われました。戦後世代に対しても言われました。いつの時代でも臆することなく自己主張する者たちに対して、風当たりは強かったのです。現代でもごくわずかの異常者の行動を、まるですべての者が行おうとしているかのように大騒ぎするのです。若い世代は、自分のやり方に固執する所があります。私たち古い世代は、若い頃同じように反抗的だったはずです。私などは酷いものです。自分では、反抗などしなかった、ように思っています。しかし、親の目からは、最も激烈な反抗期であったそうです。その経験を誰しも忘れずに居れば、もう少し寛容になれるのではないでしょうか。「大人とは、自分が子どもであったことを忘れてしまった者のことである」。これは、サン・テグジュペリの言葉です。