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2005年9月4日

《ノアの息子たち》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記9:18〜29

讃美歌15,169,360、



これほど真夏日、熱帯夜が続くものとは思いもしませんでした。8月下旬には、牧師館の庭で、可愛いイタチを見ました。何処から出てきたのでしょうか。大きな水盤の方角から南のフェンスまで行って、暫らくの間斜めに体を伸ばして様子見、やがて東のはずれの石垣へゆっくりと歩み、そこで視界から消えました。薄い茶色で優雅な感触。しかし辞典などで読むと、鋭利な歯を持ち,血を吸うようです。幼稚園のハトをやったのもイタチだろうと考えています。美しいものが残酷、冷酷というのは本当のことのようです。どのようなものも、生きるためには大変な事をするように造られているのです。



前回は、契約のしるしとして、雲の中に虹・弓が置かれたことを学びました。

この後[契約]は、幾たびか交わされます。アブラハム契約(17:7他)、シナイ契約(出31:16)、ダビデ契約(サム下23:5他)、アロン契約(レビ24:8他)などです。これらの契約は、特定の民や家系を選び出しているのに対して、ノアに対する「永遠の契約」は、全人類およびすべての自然に対してなされました。大きな特徴と言うべきでしょう。



さて、今朝は「ノアと息子たち」という小見出しが付けられているところを読みました。この小見出しは、両者の関係あるいはその間に何事かが起こったことを想像させようとするものです。説教題は、そこまで要求せずに、軽い気持ちで読んでみましょう、そうすれば何かわかるでしょう、という優しい気持ちを持っているつもりです。

私たちは、講壇や教会の諸集会では、小見出しを読まないことにしています。それは、ここで見たように、一つの解釈に捉われることになりそうだからです。いずれにせよ、何かの解釈に捉まってしまうのじゃあないか、という反問があって当然です。それに対しては、私たちは、誰でも自分で読むことが出来るように知力を与えられされているのだから、難しかろうとも、自力で読み、考える努力は必要なのです。小見出しにとらわれず、自分の小見出しを付けるぐらいに、読もうではありませんか。



ノアの息子は、セム、ハム、ヤフェト。二番目のハムにだけその息子の名が記されます。「ハムはカナンの父である」。旧約聖書を読む者にとって、カナンは馴染み深い名前です。それが意外なところに出てくるのです。出エジプト記には[乳と蜜の流れる地、カナン]と記され、はるか遠くエジプトから脱出した者たちが恋い慕う目的地となっています。

カナンという名は特別な響きを持つものと認められているのです。この物語は、その理由を語ろうとするものかもしれない、という予感めいたものを感じます。

箱舟を出たノアは、農夫となったといわれます。これは元来「大地の人」を意味しています。パール・バック女史の「大地」を連想します。

 このところの物語は、洪水後日譚のひとつであり、地名の由来物語でもあります。

そしてもうひとつ、裸を恥とする文化の起源を説明するものでもあるようです。

洪水後の物語としては、農夫となったノアの身の上に起きた、余り芳しからざることです。

農夫と言ってもノアは、ブドウ畑を作り、栽培する者となりました。生食するよりも酒造りに主眼が置かれていたようです。昔も今も商売には、変わりが無いようです。製品、産品に更に手をかけたほうが値打ちを認められ、高く売れるようになり、利益を売ることが出来るからです。

本来、商人は、商品に手を着けてはならないものだと聞きます。売れるものが売れないで量が減っていく、こんなことがあってはならないのです。しかしノアは、商人であるよりは製造者でした。自分の手が生み出したブドウの酒と考えたとき、その余りの良さを、旨さを喜び、自分で味わい過ぎたのでしょうか。したたかに飲み喰らい、酩酊してしまいました。



「酒は男の憂さの捨て所」、何時頃、誰によって言われたのか知りません。しかしよく言われる言葉です。聞く言葉です。確かにノアにも、その心のうちに何らかの鬱屈があったろうことは想像できます。丸一年の厳しい箱舟生活、その後の開拓生活。ようやく出来たブドウ酒です。感慨は一入のものがあったに違いありません。

 ところがこの時、ノアの傍には誰もいないのです。一人で飲む酒、喜びも悲しみも分かち合う者がいないのです。どうしたのでしょうか。箱舟作り、洪水の一年、大地での新しい生活。どこかで何かがあったために、出来上がりを共に喜ぶことが出来なかったのです。そうした時、寂しさはいや増さるものではないでしょうか。ノアは独り酩酊して、裸のまま大の字になって、眠ってしまったようです。

 天幕の中で、ということに異議を唱える人もあります。既に遊牧民ではないのだから、遊牧民の天幕に寝るというのはおかしいと言うのです。大規模な生活用の天幕であれば、その通りでしょう。天幕にも色々あるでしょう。離れた場所にブドウ畑を作ったとすれば、野小屋のような天幕を作ることは少しも不自然ではありません。収穫場所のすぐ近くでブドウを踏み、醗酵させる。作業場があって、寝小屋もある、そうした天幕を考えます。



 さてこの時代、カナンの沃地農耕民の飲酒や肌の露出の習慣が、イスラエルの間では禁じられていました。洪水の時代よりよほど後の時代になりますが、イスラエルはエジプトから帰って来ることになります。荒野で40年間、厳しい唯一神教の訓練を受けて来たイスラエルの民は、いまや、沃地カナンへ到着します。神の指示は厳しいものです。先住の民を一人も残すな、殺せ、滅ぼせ、と言うものでした。沃地の民は、偶像を拝する習慣でした。イスラエルは、それに対抗し、飲み込まれないように、先住民族を排除しようとしたものと考えられています。遠いところに住んでいますと言った者たちは、そのまま生活を続けることを許されています。影響は少ない、と考えられたのでしょう。

荒野では、肌を露出すれば危険です。酩酊して所かまわず寝てしまえば、夜の寒さに包まれ体温も下がってしまう危険があります。現代でも砂漠の宗教、イスラムは肌の露出は極力避けます。厳しく禁酒を守らせます。日本人でも、イスラム国家へ入国するとき酒の持ち込みは禁じられ、厳しい検査があります。その代わり、イスラムの人が外国で、酒を飲むことはあります。ホテルなどで騒いでいる、と聞いたことがあります。



 酩酊して、肌を露出して眠ってしまったノアの姿を、見つけたのは次男のハムです。彼は兄弟に相談します。セムとヤペトは,上着を取って自分たちの肩に掛け、裸の姿を見ないように裸を隠しました。

 酔いが醒めた後が問題です。私には訳がわからない、としか言えないのです。

先ず、ハムの息子カナンが呪われます。父親が、ノアの裸を見たのが悪いと言うのです。

酒に酔い、裸で寝てしまったノアの責任は棚上げです。しかもそれを見て、兄弟に告げたハムの息子カナンが責められ、呪われています。わたしは、聖書の中でも一番わからないところだと考えています。自分で選ぶことが出来るなら、決して説教したくないところです。敢えて三つのことを申し上げましょう。

ひとつは、他の人の悪は言わず、語らない。自分のうちで処理する。

今ひとつは、これは、カナン民族が何故イスラエルの中で嫌われ、蔑視されているかの理由を記すものである、と言うことでしょう。

もうひとつのことは、自分ひとりの悪も、自分のうちだけに止まらない。必ず他の人の悪を引き出してしまうものだから気をつけねばならない。自己責任を果たすだけではすまなくなってしまうのです。



 さて、こうしてノアもすべての人が往く道を行くことになります。

「大洪水の後、350年生きた。ノアの全生涯は950年であった」。洪水の一年間は省略されています。ノアの生涯の節目を50の倍数年として、全ての負債から解放されるヨベルの年(50年毎、レビ25:8〜12)と重ねています。

不可解なこともあるノアの生涯ですが、徹底的に神に赦された一生、義と看做された歩みだったのです。いまや、私たちも罪赦され、義とみなされて歩むことが出来るようにされました。そのことが、この最後の年数の中に表されていることを、私たちも共に喜びたいものです。
欄外

日本人の考える「大地の人」とは少し違うかもしれません。稲作農耕民族と、森林農耕では違いが出ると思います。イスラエル民族は、荒野あるいは砂漠から森林型の農耕へと変化しました。日本人は森林型から稲作へと進歩しました。イスラエルには稲作を求める考えはありませんでした。それを進歩と考えることはありませんでした。

セム族  

人種分類上のひとつの系統。伝説的には、ノアの長男セムの子孫とされる。

学説上は「セム語族」と言い、中近東および北アフリカ、北東アフリカに分布する大きな言語群を指す。ヘブライ語や現代アラビア語などもこれに含まれる。旧約聖書に登場する人々はほぼ全員セム族の人々である。

ハム  

ノアの息子。ハムはノアが酔いつぶれて裸のままテントの中で寝ているのを見た。

この咎の故にノアはハムの息子カナンを呪い、その子孫たちをセムとヤフェトの子孫たちの奴隷となるように定めた。ハムはモロッコからエチオピアまで、アフリカ大陸の北部一帯に広がって住むハム族の祖である。ハム族の人は定義上セム語族の出ではなく,セムの子孫であるイスラエル人の敵である。旧約聖書に登場するハム族の人々のうち、最も勇猛かな人物はニムロドである。

ヤフェト  

ノアの三人の息子の末子。ノアが酒によって裸で寝込んだとき、兄のセムとヤフェトは、着物を自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて父に近づき、父の裸を見ることなしに父の体を覆った。伝説によれば、アングロサクソンの歴史はヤフェトに辿り着くという。そこではヤフェトはセトと解明され、ウェセックスおよびイングランドの王たちの祖先となる。つまり、たとえばアルフレッド大王はアダム直系の子孫ということになる。

カナン  

ハムの息子で、河南人の祖先とされている人物。カナン人はユーフラテス渓谷から移ってきたアブラハムと衝突した。またモーセとヨシュアに率いられてエジプトから脱出してきたイスラエル人とも衝突した。

紀元前3000年あるいはそれ以前に、後にイスラエル人の約束の地となるはずの土地に移り住むようになったセム語族系に連なる民族。イスラエル人にとってカナン人は、セム語族に属する血肉とは看做されず、ハムの子孫、つまり異邦人とされた。