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2005年5月1日

《極めて良かった》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記1:29〜2:4a

29日は、祝日、教会学校が主となって計画し、八幡屋公園にピクニック。体育館の上に土がかぶせられ小山となっている。その周辺が公園となっていました。地上の建屋としては公式プールもありました。何か反対なのではないか、と感じました。プールを山の下にして、体育館は外に出せばいいのに、という感じです。それはそれとして、楽しいひと時を過ごすことが出来ました。ありがたいことでした。
あの日から大阪も夏になった感じがしています。最近の傾向として、合着を必要としなくなった、ということがあります。冬から短い春があってすぐ夏になる、ということです。あるいは、長い残暑があり、短い秋をえてすぐ冬となる。
もともと四季を持つ国のほうが少なく、雨季、乾季の二つに分かれることが多いのです。
日本もそうした国々の仲間入りをしようとしているのかもしれません。
現代日本は。そのような面でも混沌としているようです。学問・研究をした人でも、しっかりと先を見通し、はっきりと物を言うことが難しいのです。

2500年ほどの昔、戦争に敗れ、捕囚となったイスラエル国民。その民族の指導者が捕らえられ、連れて行かれました。二度と戦争を仕掛けるようなことはさせないぞ、というバビロニアの政策でした。王族・貴族などの指導者。軍の指揮官クラスの人、更に軍需品を生産する技術者たち。そして民族の精神を纏め上げる祭司階級の人達が捕虜となり、連れて行かれたのです。捕虜となった人達は、何故このようなことになったのか、考えました。もちろん考えもしない人もいたでしょう。これらすべての人達に、民族の誇りを持たせようという動機から、この壮大な信仰告白が生み出され、語り継がれました。故郷を失った人達に、故郷は変わりなくお前たちを待っている、と告げているのです。更に、この地に於ける、彼らの生活の基本を確立させようとするのです。それは、この侮蔑され、見下されるところにおいても猶お前たちは神の民であり、神の僕、というものでした。全く思いがけない知らせでした。人々は。その生活の中で、じっくりと考えました。本当だろうか。
半信半疑だったでしょう。然し、これならば、民族の一致を保つことが出来る、苦難の中にあっても望みを共有できる、一つの民族として生きることが可能になる、と確信することが出来るようになったのでした。


司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」。16世紀末、朝鮮の役で薩摩軍に捕らえられ連れてこられた朝鮮貴族、沈当吉、シム・タンギル。その末裔である陶芸家、14代沈寿官氏の誇り高い生涯を描く。
薩摩藩は、先進国である朝鮮の焼き物技術を日本、薩摩に導入したかった。武家の待遇を与え、篤く処遇した。その住居は武家屋敷の様式を備えている。薩摩焼を創始。
12代沈寿官は、1873年、ウイーン万国博覧会に2メートル近い大花瓶を出品。好評を得、以降代々の襲名となる。
15代、沈寿官は2000年1月、襲名。「沈寿官と言う名と韓国は、私の誇りです」。
早稲田の学生時代、アメリカのソウル・ミュージックを好み、友人とソウル研究会を作る。
家に帰った折、そのことを話したところ、14代目は「さすが私の息子、偉いやつだ」と褒められた。やがて誤解が判った。ソウルと京城の混同だった。家族みんなが大爆笑。数百
年が経過し、すっかり日本人となっていても変わらないものがある。
父祖の地を、血筋を忘れることは出来ないのです。

紀元前の時代、戦争は、民族の間で行われるが、実際はそれぞれが信じる神と神との戦争と考えられていた。イスラエルが戦争に負けた。然し、イスラエルの神が負けたとは考えなかった。そうではなくて、イスラエルの罪を神が怒り、裁き、刑罰としてバビロニアの手に渡されたのだ。ちょうど「服役中の囚人」の立場と理解された。
従ってバビロニア人も、イスラエルの神に使われて、処刑人あるいは牢獄の看守のように考えられたようだ。

イスラエルの神は、世界の主なのだ。この世界を、誰が治めるかを決める権限も持っているのは、その証拠である。地上の秩序保全の責任が、作られた人間に与えられた。
 現代に至る多くの破壊的被害は、人間がその勤めを正しく果たさなかったゆえなのです。
戦争は、決して神の業などではありません。イラクを見れば判るとおりです。人間の欲が双方に働いて、引き起こされました。十字軍は、教皇が、あるいは教皇庁や僧職者たちが、自らの権威を世俗の王侯貴族の間に行き渡らせたいと願ったことと、王侯貴族の間では新しい領地を生み出すために教会の権威を利用しようとしたところで起こりました。
それまで巡礼者は、アラブ人によって守られ、無事に往来できました。
原題パレスチナの紛争は、アラブとイスラエルが共同で仲良く生活していた地域に分裂をもたらしたイギリスの政策によっています。
鉄道の事故さえも同じように考えます。国鉄民営化がその原因です。労組は、民営化によって安全を軽視し、利益追求になり、労働強化が強まる、として反対しました。それを押しつぶして民営化したのです。公共の利益となる安全輸送は、国民全体で負担するべきことなのです。

自由を与えられた人間だからこそ、このような大事なことにおいて誤りを犯し、そのことを認めず、二度三度、同じ間違いを繰返すのです。富の偏在も同じことです。自分だけがよければ良い、という考え方によります。国家や民族、部族、個人の間でそのような考えが主流を占めてきました。自由・民主という考えの限界が見えてきました。それでは、どのようにしたら、考えたらよいのでしょうか。
神の、創造の秩序を回復することを考えるべきでしょう。それは自主でも、民主でもありません。神を主と仰ぎ、神の御心を実現することなのです。この世界に対して持っておられた最初のご計画の実現に参加することです。
「兄弟たち、あなた方は、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい」(ガラテヤ5:13)。

捕囚の民にとっては、これは福音でした。惨めな捕虜が統治者となる、ということ。このままに、神の代理統治者である、と言われています。
そればかりではありません。それだから「産めよ、増えよ、地に満ちよ」といわれるのです。なんと大きな望みに溢れた言葉ではありませんか。然し今、日本人は、育てにくいから、と言って生むことを止めてしまうのです。

そしてこのところの最後、「それは極めて良かった」。はなはだ良かった。はなはだ良かった。英語では VERY GOOD,独語ではSEER GUD,VERY WELL,特別にGROSSENN JAH  と言われます。偉大な肯定、と言う意味です。横文字を使ってしまいました。ごめんなさい。私は不得手で嫌いなのですが、その意味を良く表しているので用いました。お許しください。
この混乱に満ちた世界を神は、よしとされた。善意に満ちているが同時に悪意にも満ちている人間を、神は良しとされるのです。存在そのものが悪であり、罪のような人間です。
捕囚の惨めな者たちを、また同様に、支配している傲慢なバビロニア人を、神は良しとされるのです。

神の天地創造は、六日間で完成されました。然し第七日があります。それは急速です。安息と言う言葉で表されています。休息することなしで、この世は成り立たないと考えました。たとえ奴隷であろうとも休みが必要なのです。むしろ奴隷だからこそ、と言うべきかもしれません。日本の暦は、六日ごとに休みが来るようになっているようです。業種によってその日が異なります。火葬場は友引、結婚式場は仏滅。創られた人間も休むことによって、全うされるのです。休めないような生活は、どこかおかしいのです。私も少しそういった面があります。然し、安息日に礼拝を欠かすことがないのだからいいのです。
聖書を読み、祈る時間を作ることの出来ない生活も立て直す必要があります。
創造主を唯一の神と仰ぎ、讃美する生活を大事にしましょう。


欄外

ハイマート・ロスト、故郷喪失。
人間にとって喪失感というものは、非常に大きなものがある。女性にとって乳がんの手術がある。乳房を切除する外科療法。最近は、全摘ではなく、部分切除で済む様に工夫されるようになった。身体の一部であって、何処でも同じと言いたいけれど、乳房は違うのだ。女性としての大切な器官が消失することは、耐え難い苦しみを、悩みを与えるのだ。
子を失った親の悲しみも同じでしょう。親に先立つこの不幸。親に与える悲しみの大きさ。
喪失の感覚、それは失恋の感覚だ。大事な愛するものを失う。
もはや回復されないだろう。
浜寺は、かつて水練学校などがある名だたる海水浴場でした。白砂青松の美しい浜が続いていたことでしょう。それも工業化の波に乗って埋め立てられ工場用地となり、いまや見捨てられてしまいました。市民の憩いの場は永遠に奪われたのです。創造のはじめに備えられた、素晴らしいものを破壊してきたのは、人間です。一度地面に穴を掘ると、何百年経ってもその痕跡は判る、と考古学者は言います。回復は出来ないのです。人工の砂浜は、間もなく消えてしまいます。


イギリスの政策。第一次世界大戦中、味方を増やし、有利に戦争を遂行しようとした政策。サイクス・ピコ協定によって,イスラエル建国を認めたもの。勝手に決めたが、そこにはアラブが生活している。


創造の秩序、世界の始めの状況。人間によって破壊されてきた。
カナダでは、人間が害獣として狼を駆逐した。その結果ハイエナが増え、小動物が食い殺された。ヨーロッパから森林狼を150頭導入した結果、ハイエナは減り、小動物の数も笛、自然の豊かな営みが回復された。人間のご都合ではない。創造の秩序に従うことが大切です。