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2010年6月13日

《悪霊追放》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
使徒言行録16:16〜24

  聖霊降臨節第四(三位一体五第3)主日、
  讃美歌22,354、525、交読文10(詩32篇)
  聖書日課サムエル上16:14〜23、使徒16:16〜24、マルコ5:1〜20、詩編32:1〜7、

 先週は、次第に気温が上がり、夏らしくなりました。
青い空、白い雲、透き通るような緑の葉、きらめく陽光、くっきりと作られる濃い木陰。
電車や自動車が通り過ぎる音、小鳥の鳴き声、スピ−カーから流れる音楽。平和のありがたさを感じます。同じ時に、この世界のあちこちで戦闘があり、凶悪な犯罪が起こり、多様な病気のため、多くの命が奪われています。
 アジサイの蕾、余り聞いたことがありませんが、今年は揃って、だいぶ大きくなりました。
庭のマスカットも花がつき、ぶどうの房らしい形を見せています。柿木は、花が咲いた、とも見えなかったのですが、小さな実がつきました。ゆすら梅にも小さな実がつきました。名前を知らない花が、綺麗な色を見せています。牧師館の庭に、金魚のいる鉢が二つあります。冬を越した金魚、メダカの数が例年より多いようです。と見ている間にも、野良猫にやられたのでしょうか、姿を見なくなります。随分大きくなりました。多分3年目がいるようです。倍位の大きさになりました。貫禄があり、美しさを感じます。
この庭にはみかんの木があります。アゲハチョウのお好みです。姿は殆んど一年中、厳冬期を除いて、見ることが出来ます。

 困りものは、野良猫だけです。猫好きの方にはお許し頂きたいのですが、鳴き声、排泄物に困惑しています。何とかしたいものです。
野良猫に餌をやって、自分は人道主義者、ヒューマニストだ、と思う人がいるようです。安全と栄養が保障されると、生き物は繁殖します。野良猫も同じです。野良猫が増えます。その結果に対して責任をもっていただきたい。「ネコセントリック」な考えであることは確かです。そしてそれは、「エゴセントリック」自己中心の、自己満足でしかないのです。

 本日は《悪霊追放》という主題で説教します。聖書は、使徒言行録16:16〜24です。
悪霊の正体は何か、追放される時何が起こるのか、ご一緒に考え、そこから福音に触れることができれば幸いです。

 悪霊を追い出す物語です。
舞台となっているのはフィリピの町です。ここはギリシャの北、昔、アレキサンダーの父親フィリッポス王が大きく造りました。そして自身の名を付けました。その後、ローマ帝国の支配下におさめられます。帝国は、退役する軍団兵たちの住む町にしました。
そのためにローマの植民都市と呼ばれます。住民はローマの市民権とそれに伴う特権を与えられました。ローマ都市であることは、誇りとすべきことでした。

 次に《悪霊追放》ですが、ここでは、単に「占いの霊に取り付かれた女奴隷」とあるだけです。それを「悪霊」と呼ぶことには、少々ためらいのようなものを感じますが、追い出されるのは、やはり「悪」だったのでしょう。まず「占いの霊」から調べて見ましょう。

 占いとは何でしょうか
近い将来の出来事を予見・予告して、人の幸・不幸を見通すこと。
科学的である、との主張がなされる。浄土真宗は、占いを迷信として否定する。こうした考えは多くの社会で見られるので、それに対抗しようとするものであろう。古代東方世界では、占星術は、その時代の諸科学の先端を走るものであった。天体の動きを観察し、次の動きを推測、予告することが出来た。そのような部分は更に発達し天文学、気象学などの自然科学となり、科学となり得なかった部分が、占いとして残されている。
 昔から「当たらぬも八卦、当たるも八卦」と言われているのが占いである。占いは、他の業界と違い、必ずしも当たらなくても通用する面もあることから、取りっぱぐれのない職種という意味で、占いを裏(外れ)がないという意味で『裏無い』と軽蔑の意味を込めて書く場合もあったようです。これは日本でのこと、こじつけでしょう。占いは漢字です。

 こうした占いは、どのように提供されているのでしょうか。
現代では、雑誌や本、テレビなどのマスメディアを通すものが多くなりました。このほかに、直接目の前で占う対面鑑定、電話で占う電話鑑定、インターネットなどがあります。
今後はネットに注目です。電脳、電波頭脳と呼ばれるほどです。知らずに洗脳される事態が来るかもしれません。中国におけるネットの使い方が、一つの例となります。人々の心を、共産党中央や政府の思い通りに動かしてしまうのです。女奴隷の占いの現代版です。

 聖書は占いをどの様に扱っているでしょうか。  
旧約聖書ではアブラハム物語に、異教のものとして否定的に描かれる。
民数18:9〜14、23:23、
サムエル上15:23「反逆は占いの罪に  高慢は偶像礼拝に等しい」
エレミヤ27:9「あなたたちは、預言者、占い師、夢占い、卜者、魔法使いたちに従ってはならない。」これらは律法で禁じられていた(出22:17、レビ19:26、31、申命18:14)。

 使徒言行録16:16「占いの霊に取り付かれている女奴隷」
霊は、この女奴隷を守るはずのもの。しかし、この女は金儲けの道具として働かされて来ました。人格は守られず、道具にされていました。主人たちのマンモニズムに仕える道具でした。

 さて、悪霊とは何でしょうか。悪魔、サタン、悪鬼、悪の諸力、さまざまな呼び方があります。ヨブ記の世界では、サタンは、「告発するもの・試みるもの」を意味するみ使いのひとり。一般に、「神を誹謗して人間を誘惑するもの」。
悪霊は、この悪魔の配下にあって、全世界に対する悪の支配から、個々人の身に病気や障害を惹き起こすことまで、事細かな役割が分担されました。

 新約でも悪魔(ベルゼブル)は、悪霊どもの頭(かしら)である(マルコ3:22、マタイ25:41)。病気や障害の原因(ルカ11:14、使徒10:38、?コリント12:7)、魔術師を動かす力(使徒13:9〜10、)個々人の心の中に入り込んで、裏切り、虚偽、殺人などの悪しき行いへ誘惑する(ヨハネ6:70、8:44、ルカ22:3)。

 占いをする者は、そのための力を持っています。それは悪霊の力であり、彼女自身のものではありません。その主人たちは、この女奴隷の力によって利益を上げます。彼らの中にはマンモニズム・拝金主義が生きている。これは、一つの悪霊に他なりません。
 占いをする女奴隷は、悪霊に取り付かれていたようです。一人の女奴隷に大勢の人間が取り付き、何かを吸い上げている、という状況を想像してください。確かに、悪霊が取り付いていたようです。それは追い出されました。しかし、この女に取り付いたもう一つのもの、血を吸うヒルの様なものはついたままなのです。

 この女奴隷の主人たちは、女に取り付きながら、同時に他の種類の悪霊に取り付かれています。
 占いの女奴隷には主人・所有者がいます。「主人たち」と複数になっています。彼らは、これまで利益を獲てきました。主人とその家族の者たちの可能性があります。

 あるいは、たいへん大きな利益を獲させるために女奴隷は、高値で取引されるようになり、ひとりでは買い取ることができなくなったため、グループで取引し、持ち合っていた、とも考えられます。現代では、競走馬のシンジケートがこれに相当します。一頭の馬を複数の人が買い取り、所有者となります。利益は持分、出資比率に応じて分けられます。
 パウロたちのおかげで、占いによる利益を得ることは出来なくなりました。
 この出来事で、彼らは被害者となります。被害を訴えます。

 パウロとシラス、そしてルカも、この女奴隷に対し何を考えたのだろうか。幾日も、うるさく付きまとう、うるさくてかなわない、何とか黙らせよう。決して悪霊から解放しよう、とか自由の身にしてあげよう、という考えではなかった。あるいは、その主人たちを困らせようなどとは、毛頭意識になかったようです。
 「イエス・キリストの名によって命じる。この女から出て行け」
悪霊は、まことの神を知り、その力には従う。だから、神とその僕を恐れます。

 16:10までと16:11以下では、たいへん大きな違いがある、と言われます。
11節以降は、普通『わたしたち』章句と呼ばれています。主語が一人称複数になっているのです。それで『私たち』章句。
6節に、マケドニア人の幻を見た、と記されます。これは、現実のことで、ひとりのマケドニア人が尋ねてきたことなのだ、とされます。そしてその人が、この使徒行伝を書いた医者のルカだったのです。厳密には、ギリシャとマケドニアは別ですが、大まかにはイタリアの東、アドリア海の向こう、一続きの地域とするのでしょう。

 有名なアレキサンダー大王は、マケドニアのフィリポの出身です。それでもギリシャのアレキサンダーと呼ばれ、ギリシャ帝国、ギリシャ文化と言われます。マケドニア人は、ギリシャ人と呼ばれることを誇りとしていたのかもしれません。ギリシャ人の青年医師と呼ばれるルカは、このときからパウロの同行者となります。自分の目で見たこと、聞いたことを書きとめます。そのため、主語は『私たち』となったのです。

 女奴隷の主人たちは、その経済・財政的な損失を怒り、パウロとシラスを捕らえ、広場に連行します。そこで、高官たちに引き渡し言います。
「彼らはユダヤ人、ローマ帝国とは違う風習を宣伝し、町を混乱させています」。

二人は、衣服を剥ぎ取られ、その背中に鞭打たれます。ユダヤ人にとっては、裸を見せることが、耐えられないほどの苦痛になります。なんと情けない、という心境でしょう。こうして二人は木の足かせを嵌められて、投獄されました。

 パウロとシラスは、キリストのみ名によって、占いの悪霊を追い出しました。その故に最大の恥辱を与えられ、投獄されました。女は占いと拝金主義から解放されました。
マケドニア人のルカは、このことの目撃証人となり、私たちに語ってくれています。

 大きな問題が残されました。主人たちに取り付いた、別な種類の悪霊・マンモニズムは、そのままになっている、ということです。しかも、現代のわたしたちにも取り付いたままなのです。「倫理を持たない悪しきマンモニズム」が存在します。

 現代の政治、経済、犯罪、すべてこの拝金主義が動いています。金こそ守り神様、と信じているのです。主イエスは、これと関わりがありませんでした。キリストのみ名は、この悪霊にも有効です。呪文ではありません。キリストと出会い、その声に招かれ、従うなら、悪霊は退きます。そして代わって、主が御守りくださいます。

 感謝して祈りましょう。