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2010年4月4日

《キリストの復活》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マルコ16:1〜8

  復活主日、イースター(復活節第一)
  讃美歌10,154,152、交読文27(詩篇118篇)
  聖書日課 創世記3:8〜13、22〜24、ローマ6:3〜11、マルコ16:1〜8、
       詩篇118:13〜29、

 すっかり春になりました。ようやくと言うべきかもしれません。
満開の桜、フリージヤ、そして早くも新芽が伸びて来ました。皐月もほころび始めました。
またくまに、春を飛び越えるように初夏が来そうです。
最近の傾向として、秋と春が非常に短くなってきた、と聞きます。
もう少し落ち着いて四季折々を楽しみたい、と願います。贅沢でしょうか。

 本日は復活節。欧米では、女性は新しい帽子をかぶり、教会を出て街中を歩く。
これが、名だたるイースター・パレードです。四旬節の初めを告げる「カーニバル・謝肉祭」は、音楽やダンスがつき物で、集団のにぎやかな祭りですが、イースターは華やぎは感じられますが、中身はしっとりと落ち着いた、一人びとりの喜びのように感じられます。それに共感する多くの人々の眼差しや心が存在して、盛り上げているのではないでしょうか。
 一陽来復、光の春、命が回復したことを喜ぶ春です。

 本日の聖書はマルコ福音書16章です。ご一緒に読みましょう。
安息日が終わります。これは、主イエスを十字架から取り降ろして、アリマタヤのヨセフのまだ使っていない墓に葬った時から続いています。
日が沈むと安息日になり、その一日は何の労働もすることができなくなります。そのために急いで埋葬をしました。亡骸を布で包みはしましたが、必ずされる香油塗りはされませんでした。安息日が終わり、新しい日になったら出来るだけ早く、油を塗りましょう、そのように考え、予定していたのでしょう。
安息日が終わった段階で、油を購入し、油塗りの準備をしました。

 そして週の初めの日の朝早く、日の出を待って、イエスを葬った墓へ行きました。
「週の初めの日」は、日曜日です。
私の所にあるカレンダーは、大体日曜から一週が始まります。
ところがカレンダーの中には、土・日が週末になっているものがあります。一週が月曜から始まることになります。
生活の実感はそのとおりかもしれません。学校がそうだし、多くの勤務先が月曜から始まります。民族と宗教によって週の初めは違いました。現代社会は職業、身分によって週の初めが異なるようになりました。
聖書では、「週の初め」は日曜日です。

 三人の女が墓へ急ぎます。彼女たちは、十字架のイエスを、遠くから見守っていた女たちの中にいました(15:40)。イエスを心から愛する人たちです。
 マグダラのマリア、マグダラは、ガリラヤ湖西岸の漁港です。このマリアは、七つの悪霊をイエスに追い出していただいた、とルカ8:2は告げています。ロック・オペラ『ジーザス・クライスト・スパー・スター』でも描かれていましたが、主イエスに従う女性の代表格です。
 ヤコブの母マリア、この人は、15:40と47に現れる「小ヤコブとヨセの母」と同一人物と考えられています。更に6:3に、イエスの兄弟の名前があり、それと併せて読むと、どうやらイエス自身の母マリアらしい、と言われます。
 6:3「この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」

 そしてサロメ、詳細不明の人物、と書いてあります。この名は、福音書ではたいへん良く知られています。バプテスマのヨハネの首を所望した若い女性です。彼女は、ヘロデ大王の息子ヘロデ・フィリポの娘、母親はヘロディア。マタイ14章、マルコ6章参照。この女性は、ここでは考慮に入れません。
 マタイ27:56は、同じ場面ですがサロメの名はありません。
「(大勢の婦人たち)その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた。」このゼベダイの子らヤコブとヨハネの母の名がサロメと推定されています。
 更にヨハネ19:25には、「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」とあります。この母の姉妹がサロメである可能性があります。するとヤコブとヨハネはイエスの従兄弟ということになります。

 三人の女性には心配がありました。「誰が墓の入り口からあの石を転がしてくれるだろうか」ということです。岩をくり抜いて墓穴を作りました。その入り口には溝を掘り、円盤状の石板を落とし込みます。落とし込む時は簡単に出来ますが、これを外すには、かなりの力が必要です。
 ところが着いてみるとこの石は、脇に転がしてあります。どうしてか分かりません。
ただ事実だけです。大きな石を取り除かなければ、墓の中の確認は出来ません。何故出来たのか、そのことを伝えようとしています。

 女たちは墓の中に入りました。入ると右手の奥行き全体にベッドの形になった部分があった、と記憶しています。岩をその形に掘り出したのでしょう。
このところに、イエスの亡骸を横たえたのですが、それが見えません。その部分に、白い衣を身に着けた若者が座っています。この白い衣を身に着けた若者、という表現は、天使を指すものです。彼は女たちに語ります。6〜7節

 「あなたがたが捜しているあの十字架で死んだイエスは、ここにはおられません。あの方は復活されました。行って、弟子たちとペトロに伝えなさい。かねて言われた通り、あなたがたより先にガリラヤへ行かれた。そこでお目にかかれます。」

 弟子たちも、従う女たちも十字架の死によって、全ては終わった、と感じているのでしょう。もう主はおられない。お目にかかることも出来ない。触れることも、語ることもできない。悲しい、寂しい。
これは将に私たちが、愛する者を天に送ったときに感じることです。

 12人、今は11人になりましたが、彼らは主イエスから受難と復活の予告を聞いていたはずです。それでも、彼らにとって、死はすべてであり、一切の消滅としてしか考えられなかったのでしょう。彼らは墓を訪ねようともしていませんでした。
 嘆きと悲しみの底に沈む者たちの中から、三人の女だけが、墓へ招かれたのです。
女たちはイエスを愛していたからです。彼女たちは無力だからです。これが、神の奇跡を証する者の資格です。

 女たちは、死んだ方を捜し求めて来ました。彼女たちは、生きた方にお目にかかれる、と示されました。これは凄いことです。愛する者を失い、悲しみ、嘆いている人に対して、
大丈夫、復活して生きておられる。ガリラヤへ行けばお目にかかれます、と語りかけているのです。愛する主イエスとガリラヤで逢うことが出来る。
行かなければ、・・・逢うことが出来ない。できません。
女たちはイエスとの別離を永別と受け止めていました。当然のことです。ところがこの若者は、そうではない、復活された、生きた方にお目にかかれる、大丈夫と告げました。

 若者、実は御使いは女たちに告げます。「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。
・・ガリラヤへヘ行かれる。そこでお目にかかれる。」
「弟子たちとペトロ」、ペトロも弟子の一人。これには違和感があります。何故?
ペトロは主イエスを知らない、と言ってしまいました。自分は、もう主イエスに従う者の一人ではないのだ、と悩み、苦しんでいたのではないでしょうか。主はそのことを知っておられます。ペトロには特別な言葉が必要でした。愛をもって言葉を送りました。呼びかけました。招きました。「さあ、ガリラヤで逢うことが出来るよ」と。
主は各人に必要な言葉をご存知であり、その求めに答えられます。
 
 女たちは喜んだでしょうか、讃美したでしょうか。
「震え上がり、正気を失い、逃げ去りました」。
本来のマルコ福音書は、ここで終わっています。この後の部分は、後の時代の人々、教会による付け加えです。この時には、誰も甦ったイエスの姿を見ていません。それほどに、甦りの最初の出来事、空虚な墓の出来事は恐ろしさに満ちていました。
 しかし恐怖では終わりませんでした。恐怖は乗り越えられました。ガリラヤへ行き、主イエスと出会うことで慰められ、力を得ました。

 ガリラヤとは何でしょうか。イエスの古里、ホームグラウンド、異教的なところ、生活の場です。女性たち、弟子たちにとって、そして私たちにとっても同じです。

 女たちは、やがて他の者たちにこのことを伝えます。恐れを乗りこえて、恐れを克服するためにも、このことを語り、告げます。
そしてガリラヤへ行きます。かつての生活の場へと帰って行きます。
異教的な世界へと帰り、そこで甦りの主イエスと、今も生きる主イエスと出会います。力を受けて、全世界へ福音を伝えます。主イエスの甦りは、出会いによって私たちのものとなります。

 全ての罪人の、罪の贖いのために十字架に架かり、一人びとりの新しい命の先駆けとして甦られました。

 その働きの結果が歴史上の教会です。
そして何よりも大きなことが、日曜日を教会の礼拝日としたことです。
土曜日を安息日・礼拝日としていたユダヤ教から独立しました。
七日目毎に、主イエスの甦りを記念してきました。これが主の日の礼拝です。
この証によって、私たちも主イエスの甦りを信じる者とされました。
感謝しましょう。語り継いでゆきましょう。

(参考)勧酒  ウ武陵、井伏鱒二訳
       この盃を受けてくれ
       どうぞなみなみつがしておくれ
       花に嵐のたとえもあるぞ
       サヨナラだけが人生だ
     究極の別離は『死』です。人生別離足る、と唐の詩人は歌いました。足るは、多いという意味です。「たくさんの別れの一つ、それでも君との別れ、この稀な機会を、酒酌み交わし味わおうではないか。」