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2005年8月21日

《箱舟から地の上へ》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記8:13〜9:7

讃美歌13,167,263、



前回は、箱舟の中のことを少しばかりお話しました。

そして、漂着したアララテ山は、地形的には源流だったことをお話したのです。

今朝は、其処でノアは何をしたか、もう少し聖書を読みましょう。



山のどの辺りであったか、聖書記者は書き記してくれませんでした。富士山であれば、何合目だろうか、と考えます。BOACのコメット機が墜落した事件がありました。あれは、その頃五合目の太郎坊、馬返しと呼ばれていました。今は新2合目です。

私たちの関心、好奇心と聖書記者が大事だ、と感じ、考えるものとはいつも食い違っています。私たちの好奇心よりも、神からのメッセージは何か、ということに関心を寄せているのです。もっと言えば、神との間に何があったのか、何が起こったのか、ということを伝えようとしているようです。このあたりに聖書の読み方の基本があるのでしょう。これを外してしまうと、どれほどたくさん読んでも、聖書読みの聖書知らず、み言葉の文字面は読んだけれど、神様の心はちっとも判らない、ということになってしまいます。



第七の月の17日に箱船は、アララテ山の上に止まった,と記されます。ヘブライ言語は、数字に大きな意味を見出そうとする人たちが居ます。確かに、ヘブル後の中でも完全数は、特別に聖なる数とされているようです。それ以外にも大事な数というのはあります。

従って、数字そのものにはそれほど意味を感じません。旧約の世界では、特定の数字が良く用いられます。このことを承知しておきましょう。

七、これは完全数のひとつ。その数そのものによる以外は割り切ることが出来ない。他にも三、五、十一、十三などがありますが、それほど重んじられているようではありません。

四十、出エジプトの物語では、初め40日間でエリコへ、その後は40年間荒野をさまよう。そして主イエスは40日間、荒野の試みをうけられる。

十二、はイスラエルの部族の数、至るところに登場します。



8:6で、「ノアは40日たって」とあります。恐らく、船が停まり、水の音が消えるのを待っていたのでしょう。洪水の後、水が消えてもすぐに歩けるような状態ではありません。ノアはそのことを知るはずもありません。神が知恵を授けておられることを知ります。私たちは、誰でも必ず初めてのことを必ず経験します。たとえば「死」などは良い例でしょう。知らないこと、誰も経験がない、帰って来て教えてくれる人は居ない。未知の世界への不安に満ち溢れています。そのようなことに対しても神が知恵を与え、慰め、教え、導いてくださるのです。安心してください。

 

ノアに与えられた神の知恵は、先ずカラスを放すことでした。今日でもカラスの賢さは良く知られています。日本では、真っ黒なカラスは縁起が悪い、可愛げがないとして嫌われていますが、イスラエルでは神に代わって民族を導き、守るもののように考えられています。そのために、カラスは出たり入ったりを繰り返したのでしょう。

 その後ノアは、ハトを放ちます。一度目は、足を下ろすところがないため、帰ってきます。まだ水が地上を覆っていたのです。七日たってから、二度目に放します。素適ですね。オリーブの葉をくちばしに咥えて帰ってきました。早くも、木の芽が出てきたのです。

更に7日たって、ハトを放したところ、もはや帰ってはきませんでした。これが11月のことでした。ノアはまだ箱舟から出ません。この船は神によって造られ、その意志によって運ばれてきました。入り口の戸を彼らの後ろで閉じられたのも神です。

神が始められたことは、ただ神だけが終わらせるのです。



ノアはその事を良く知っていました。自分勝手に船から出ようとはしません。神の声を待ちました。この点で私たちはどれほど愚かであるか、良く気付かされます。せっかく、神の御心だから、と信じて始めたことを、途中で自分の勝手な都合で先走りしたり、あるいは止めて、もう終わったよ、と平気で言ったりするのです。神の意志と信じて始めたことは、神の意志で終わりにするのです。そのために私たちの生活は祈りに満ち溢れるのです。神に語りかけ、嘆きを訴え、慰めや励ましの言葉を聞き、ある時には、厳しい叱責の言葉を聞くのです。



信州上田に「無言館」という小規模な美術館があります。最近教えられました。その後、テレビで特集を組んでレポートした、との事です。戦没画学生たちの遺作を集めたものです。「遺された絵画展」は京都で、上田に常設展示されている以上の数、倍近くを展示して、開催されました。ちょうど戦後60年を記念して、戦争がどれほど多くのものを浪費しているか、訴えようとしたようです。絵は飾られているだけでは何も語りません。観る人が居て、その心と語り始めるとき、とても雄弁にもなります。その時、最大の雄弁は沈黙、になります。聞くすべを知っているなら、豊かに聞こえてきます。聞かされながら、ほかのことのように感じてしまうのです。戦争は才能の浪費、と聞こえます。



ノアは、神の声を聞いてきました。船から出るときが来たことを知りました。神は命じられました。「地に群がり、地上で子を産み、増えるようにしなさい」。

最近、日本の国内は、少子化傾向にあることが問題になっています。国民の数は国力のしるしとされました。戦時の兵隊の数になること,平時であれば労働力でしょう。そのような考え方以上の問題があるのです。国の政治は、本質的に国民、市民が平和な環境で子どもを生み、育てることが出来るようにするものです。その環境が無い時、いくら騒いでも誰も産みはしません。地域的な環境も作用します。

子育ての楽しさを感じさせる幼稚園があれば、多少変化が見えます。

「君の幼稚園は複数のお子さんをお持ちの家庭が多いね」。

聖書は個人の生き方を教え、国の政治のあり方も教えているのです。更に社会の考え方も教えています。



随分前のことになりますが、オーストラリアで生活した外交官の奥様と話しをしました。

いろいろなことでご相談があったのです。逆に、私の方がたくさんのことを教えられたと記憶しています。同じ事を学校で新任の英語教師、若いオウストラリア女性からも教えられました。

日本はとても窮屈です。あれも駄目、これもしてはいけない。息が詰まってしまいます。

オーストラリアでは何でも出来ます。大人ですから、駄目とかいけませんなどはありません。一つだけ言われることは、子どもを産まないようにすることはいけません。これは駄目なのです。私は、それはあの大陸が流刑囚のものであり、女性が少なく、人口を増やすことを最優先の倫理としたからだろう、と考えていました。浅はかな理解でした。

オーストラリアの政府は、国民が安心して子を産み育てる環境作りこそ、最優先政策にするべきだ,と知っているのです。国民もそのことを十分知っていて、それを実現する政府を選んでいるのでしょう。「産み、増えるように」することが許されました。これは、神の祝福です。祝福されたことを実現に移すのは誰でしょうか。



 ノアたちは、祝福をうけて箱舟から出ました。そして何をしたでしょうか。祭壇を築いて、礼拝をささげました。神の守りと導きに対する感謝の応答です。焼き尽くす捧げものは、完全にすべてということと、その香を祈りとする意味を持ちます。礼拝で香りを用いることに意味があるのです。神の恵みを見出したものは、先ず礼拝からその生活を始めるのです。礼拝とは何か。教会に集まることはその一部です。少し大胆すぎるでしょうか。ローマ書12:1こそ私たちのなすべき礼拝です。ロギケーン ラトゥレイアン フモーン
欄外

無言館  上田市にあり、常設80点程度。所蔵多数。中には入選作もある。



カラス  旧約聖書に10回、新約に1回、合計11回登場。ヘブライ語ではオレブ、ギリシャ語ではコラクスである。カラスは、聖書に最初に登場する鳥である。ノア(創世8:7)、モーセの律法で食することを禁じられ(レビ11:15)、ケリテ川のほとりで預言者エリヤを養う(列王上17:4〜6)、神の保護者であることを示すものであることが明瞭に語られる(ヨブ38:41、詩147:9、ルカ12:24)。フクロウやサンカノゴイと共に、エドムの荒廃のしるしである(イザヤ34:11)。

恋人の黒髪は、カラスの光沢ある漆黒の羽に比べられる(雅歌5:11)。

カラスの習性については、箴言30:17に、死骸の目をつつく事が語られている。

ローマ人は、カラスを運命を予示する鳥と看做している。聖書は、神の保護の代行者、あるいはその象徴として用いられている。

箱舟でそれが果たした役割の結果として、カラスは遠くの陸地を感知する能力があると考えられ、昔の探検のための航海にしばしば連れて行かれた。

ハト Doveは31回、Pigeonは11回言及される。いずれも同一のヘブル語である。

従って、全く同じものとして扱うことが許されよう。但し、ハトの種類は非常に多く、中には、アメリカのリョコウバトのように絶滅したものすらある。

ハトは、聖書に最も早く登場する重要な鳥のひとつである。ノアによって箱舟から放たれるが、一回目は休む場所が見つからずに帰ってくる。その7日後の2回目はオリーブの枝を口にくわえて帰ってくる。木々の頂が現れたことの印である。3度目は最後となり、帰ってこなかった(創世8:8〜12)。ハトは遠くまで飛ぶことが知られている(詩55:7)。また美しくて清らかである(雅歌1:15,2:14,4:1,5:2,12,6:9)。そしてその愚かさは、エフライムの思慮のなさを言い表す例とされる(ホセア7:11)。ハトはモーセの律法に記された犠牲のための唯一の鳥であり、あまり裕福でない人々によって用いられた。これらのことは、レビ12:6〜8、ルカ2:24、レビ14:22などに見られる。

アブラハムは、神から祝福の意図を示されたとき、ハトを用意した(創世15:9)。

神殿商人たちの主要な商品(ヨハネ2:16)。神の霊は、ハトの姿をとってイエスに降った(マタイ3:16)。「ヘビのように賢く、ハトのように素直になりなさい」(マタイ10:16)。

ハトは、ヘブライ人によって崇拝されたことはなかった。「清い」鳥でありながら、旧約の中で食物として名を挙げられている箇所はない。

ヘブライ伝説では、ハトは一雌一雄であって、人間のために道を指し示す。

 機は、その妻を失っても、他の相手を探そうとせず、独りでいて、交情の思い出を抱き、絶えず呻き苦しむ。寂しいところを愛して選び、交わりを避ける。春に現れては、呻き声をもって時の新たなことを告げる。

ハトには大別して2種あり。

カワラバト属は、モリバト、ヒメモリバト、カワラバト。

キジバト属は、コキジバト、シラコバト。



「601歳のとき、1月1日に、地上から水は乾いた」。

これは、11月1日から61日目。40日と7日を3回繰り返した合計日数。この後、箱舟から出るのは2月27日となる。洪水によって時間的秩序も一旦は混沌たるものになったであろう。その混沌からの回復が示される。

太陰暦では一年が354日なので、2月17日(7:11)に十日を加え、太陽暦の一年とする。



礼拝の香は正教会が良く用いる。私は、葬儀礼拝で用いることから始めたい。