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2008年12月21日

《その名はインマヌエル》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マタイ1:18〜23

降誕前第1、待降節第四主日、洗礼式執行
讃美歌94,107,199,112、交読文13(詩46篇)
聖書日課 イザヤ書7:10〜14、黙示録11:19〜12:6、詩篇46:2〜12、


とうとうクリスマス礼拝の時になりました。毎年のことですが、私には余り馴れるという感じがありません。子供の頃のクリスマスは駐留軍発のものであり、ラジオから流れるクリスマス音楽と大きなデコレーションケーキでした。中学生の時、始めて『メサイア』を聞きました。日比谷公会堂で、東京ジング・アカデミーの合唱でした。独唱者の名前は記憶にありません。今考えると、このあたりにもキリスト教に連なるようになる布石があったのか、と感じさせられます。くもの巣に絡め取られるような感じでもあります。

待降節第四主日ですが、慣習でクリスマス礼拝を守ります。この一週間何回か、お電話をいただきました。クリスマス諸集会の予定を問い合わせてこられました。日程が合わなくて出席できない、参加できないと言われました。そして25日なら空いているけど、その日には何もないのか、と言われました。かなり、恥ずかしく感じました。25日、クリスマスの当日、この教会は賛美も祈りもないのか、と言われたと感じます。母教会の牧師は、それに対して答えていたことを思い出します。

24日は教会で祝いましょう、25日はそれぞれの家庭で祝おうではありませんか、と。

玉出教会もそのように考えてきたのかな、と思いました。

さて本日の聖書は、マタイ福音書1章18節以下、『イエス・キリストの誕生』という小見出しが付けられています。毎年よく読まれるものであり、よく知られています。語ることもたくさんあります。その年によって絞り込まなければなりません。本日は『インマヌエル』としましょう。

マリアはダビデの末裔であるヨセフと婚約しています。結婚していることと変わりないほどに、婚約は重んじられました。しかし婚約は婚約、結婚ではありません。身ごもるような行動はあり得ない事でした。それなのにマリアは身ごもっていることが判明しました。

ヨセフが、知らぬ・存ぜぬ、と言い張れば、「ヨセフは正しい人」という評価を守ることが出来たでしょう。あるいは、彼の決心のようにひそかな離婚も選択できました。

ヨセフは、マリアに対して、大変心優しい人でした。彼は、自分の評価を捨て去り、マリアを守ることに決めます。それは、夢に天使が現れて告げたゆえです。
先ず「ダビデの子ヨセフ」と呼びかけられています。ダビデはイスラエル王であり、その家系こそ正しい王統であることが約束されています(サムエル下7:8〜29、詩132:10〜18)。

「マリアを受け入れなさい。胎の子は聖霊によって宿ったのです。男の子を産みます。
その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからです」。

ヨセフは悩みます。夢から醒めても、この非常識な出来事ゆえに苦しんだに違いありません。ダビデの末である、という自覚は、弱い者を守り、支えることを決断させました。

聖霊は世界の中で働く神の力である。新約聖書において、聖霊は慰め主,あるいは助けぬし、弁護者として描かれる。

イエス(ギリシャ語でイエスース)に当たるヘブライ語(ヨシュア、ヘブライ語ではイェシュア後にイェホシュアと発音)では、主は救うの意味。

おとめ、直訳は「若い娘」。この文脈では処女懐胎を意味していないが、BC200年頃に訳され、初期キリスト教会で用いられた七十人訳ギリシャ語聖書でパルテノスには二重の意味があった。本来は「若い娘」を意味していたと思われるが,福音書記者マタイは処女と解釈したと考えられる(マタイ1:23)。それがイエスの母マリアに適した表現であったからである。

12月7日はシニア礼拝の説教でした。主題は《受胎告知》、ルカ福音書1章。その中で、問いかけました。『何故、福音書記者マタイとルカは、処女降誕にこだわるのだろうか』と。

一方、朝日新聞などに健筆を揮い、高い評価を得ていた加藤周一氏が6日、亡くなりました。『九条の会』創設メンバーのひとり。死亡記事の中にこんな文を見つけました。

「原爆という非常識な出来事に対応して、全く非常識な戦争放棄の憲法九条が生まれたのです」。

この記事を読みながら心惹かれるものを感じました。非常識な出来事、超常現象、これは私たちがいつも向き合っている聖書の奇跡そのものではないか。超常現象、非常識な故に並び立ち、向き合っているものは何だろうか。奇跡は幾つもあります。自然世界への奇跡、悪霊に対するもの、病の癒やし、そしてパンの奇跡などいろいろあります。
その究極は、すべての罪人の罪の贖いではないでしょうか。

「すべての民の罪の赦しというまことに非常識な出来事に対しては、処女降誕というこれまた非常識な出来事しか対応できないのです。」

私たちは、目で見ることの出来る奇跡に対しては驚きを抱きます。
しかし目に見えない罪の赦しに対しては、余り驚きを示しません。

ビルマ(現在はミャンマーと呼ばれています)の宣教に従事したアドニラム・ジャドソンを思い出します。
アドニラム・ジャドソン(1788―1850年)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州マルデンの町で、牧師の息子として生まれました。父は、彼が伝道者となることを求め、祈りました。19歳の1807年、首席でブラウン大学(アイヴィーリーグ八大学のひとつ)を卒業。政治の世界を志すような野心に富む青年。在学中、友人から唯物論の思想を教えられ、それを魅力的と感じています。

ある晩、彼は宿に泊まりました。隣室から瀕死の病人の恐ろしい叫び声が聞こえてきます。眠れないままに、彼は死の現実について考えざるを得ませんでした。翌朝、彼はあの病人が息を引き取ったこと、しかもその病人は、彼に唯物思想を教えてくれた友人であったことを知りました。ジャドソンは、唯物思想は死に際して何の役にも立たない、ということを知りました。神に誓いを立て、伝道者を志します。

1810年アンドーヴァー神学校を卒業、1813年宣教師としてビルマに入る。およそ40年間、ビルマの宣教師として励む。ビルマと英国の戦争が始まると、彼はスパイと疑われ、逮捕され、投獄もされました。彼は、キリスト教伝道を禁じられていた国で活動しました。ビルマ語訳聖書、ビルマ語辞典を造る。小さな成果を挙げて帰国したジャドソンをアメリカの教会は大歓迎しました。
各地から招待があり、人々はビルマでの危険な状況を聞こうとしました。ところが、どこへ行っても彼の話は『キリストにおける神の大いなる愛』でした。
ある人々は忠告しました。「もっとビルマでの活動を話しなさい。艱難辛苦を話しなさい。そうすればビルマでの伝道活動に対して、もっともっと献金が集まりますよ」と。
その時ジャドソンは答えました。「私には、神の愛よりほかに驚かされるようなものはありません。この他に語るべきものはありません」。

インマヌエルは、ヘブライ語で「神は我々と共にいる」。この名によってアハズは(イザヤ7:14)神がユダの国を守ることを確信する(イザヤ8:8〜10、詩46:5〜12)。・・・・戦争による滅亡から神が民を救い出し平和が実現するという希望が与えられている。

インマヌエルは『共にいる』という意味です。私たちは、今こそ孤独な時代、と考えます。ひき篭り症候群や独居老人、孤老の死、単身赴任者、群衆の中の孤独。しかし孤独は今の時代の専売特許ではありません。フランスの作家フローベルは書きました。

『孤独とは良いものだ、と語ることの出来る友がいることはもっと良いことだ』と。
中国の詩人は、孤独を詠んでいます。いつの時代も、人はその心に孤独を抱えています。
主イエスの誕生は、孤独な魂と共に居て、心に働きかけ、慰めとなってくださる方の到来です。

 私たちにとっては常識を越えたことですが、神にとっては真に合理的なことです。文字通りの意味で、真にありがたい、この御降誕を感謝し、賛美を捧げましょう。