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2008年2月3日

《奇跡を行うキリスト》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
ヨハネ福音書6:1〜15

一年中で一番寒い時期と感じます。外を歩くと、頬がひりひりするように感じます。
今日は、珍しく太平洋側が雪になりました。しかも今夜にかけて、と言いますから長い時間降り続くようです。東京も降っているようです。10センチも降れば多少混乱するでしょう。車が通っている道路には積もりません。すぐ消えてしまいます。大阪は雨、幸いです。

越後の国は豪雪で有名です。鈴木牧之(1770〜1842南魚沼郡塩沢の人)」は『北越雪譜』を著わし雪国の生活を表現しました。越後の縮み商人、しばしば江戸表へも行ったようです。彼は、書画、文筆面で、天賦の才に恵まれ、戯作者、滝沢馬琴、山東京伝、十返舎一九、式亭三馬、狂歌でも有名な太田蜀山人、画家では谷文晁、葛飾北斎、歌舞伎の市川団十郎などに認められ親しい交わりがありました。往復書簡がそれを証明しています。この書の中で、彼は「利雪」ということを語ります。雪を利用する、ということです。寒く暗い日々を忍耐して過ごすだけではなく、積極的に生活することを勧めます。
現代の、越後の人たちの中に、この考えがかなり浸透してきているようです。雪の力を、産品の貯蔵や観光資源として利用することは進められています。
思えば、あの雪の中の生活には、私たちには想像すら出来ないほどのものがあります。やって来る雪の日々が怖い、と雪国へ赴任した南関東人が言っていました。北関東、上州は雪国のうちになります。雪の合間に日が差し、明るさを感じる時の喜びは一入のものがあるでしょう。
 大阪の人には余り関心のないことを、長々とお話したように思います。これは、同じ日本でも生活や習慣、風土や考え方に違いがある、ということのひとつとして、お許しください。

今朝の旧約聖書は申命記8:1〜6、「神の賜る良い土地」旧約聖書294ページとなります。
エジプトを脱出したイスラエルの民は、このところで約束の地を獲得することを確認されます。それは神ヤーウェがイスラエルの先祖アブラハムと結ばれた契約によるものです。創世記12:1〜3,15:4〜6.更にこれはイサクに与えられ20:2〜4、アブラハムの孫ヤコブに与えられました。創世28:18,35:9〜12
 出エジプト記12:37にはこのようにあります。
「イスラエルの人々はラメセスからスコトに向けて出発した。一行は、妻子を別にして、壮年男子だけでおよそ六十万人であった。」
その後、紅海渡渉を経て、40日後にヨルダンの畔、エリコの町まで到着します。イスラエルの民は、エリコの城壁が高く堅固であり、住民も数が多く力に満ちている様を見て恐れを抱き、尻込みしました。それは神ヤハウェに対する不信頼、不信仰とされ、約束の地を目の前にしながら、40年間荒れ野を旅するように命じられます。
 この命令は苛酷な懲罰のようにも見えます。40年は飢えと渇きに苦しむ期間でした。
しかし、それは神が共にいて導いてくださることを知るための試練でした。誰も食べたことのないマナを食べ物として与え、乾いた大地から水を出させ、神の不思議な力を経験させるためでした。苦しみは神の恵みを知るための試練です。
 
マナについて、スタディバイブルは次のように説明します。
マナはヘブライ語で「これは何だろう」の意。蜂蜜入りのウェファーすに似ている(出16章)ネゲブ砂漠では、タマリスクの木の樹液を吸った虫が夜になると白いシロップ状の液体を分泌する。それはマナと同じような甘い味がして、アラブ人はマンと呼ぶ。神はマナを与えて民を肉体的に生かしたのだが、神の言葉こそが命の真の源であるとモーセは強調する。
 
これらの大きな奇跡は、イスラエルが神の戒めを守るかどうかを知るため、またイスラエルが、主の口から出るすべての言葉によって生きることを知らせるための試みでした。

新約聖書の日課はフィリピ4:10〜20、366ページです。「贈り物への感謝」と小見出しにあります。フィリピの町は、マケドニア第一の町と言われるように、このパウロの時代、ギリシャの北部に連なるマケドニアの重要な都市でした。マケドニアのアレキサンダー大王の父、フィリポス二世の名にちなんでこの名がつけられました。彼は、BC356年ごろこの町を征服します。パンガエウス鉱山の産出する金銀に関心があったと言われます。
BC42年、ローマ帝国に征服され属州となります。ローマはこの町を拡張し、軍団兵士が退役後に住む所としました。そしてローマ都市の特権を付与しています。

パウロはこの町へ伝道しました。その時の様子は言行録16章に記されています。新約聖書245ページになります。
彼はアジア州で伝道することが出来ず、マケドニアへ渡ります。「我ら章句」の始まり。
この町では豊かな伝道の結実を見ることが出来ました。ティアティラ市出身の紫布の商人リディアはこの最初の実です。この町の信徒の群れとパウロは、その後大変親しく交わります。その状態をパウロは4:14で「あなたがたは、よく私と苦しみを共にしてくれました」と書きます。更に4:15では「私の働きに参加した教会はあなたがたの他に一つもありませんでした」と喜び、感謝しています。
 パウロがフィリピ教会からの贈り物を喜んでいるのは、物が豊かになったからではありませんでした。パウロにとって、18節「それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです」。
これがパウロの贈り物への理解です。キリスト・イエスがそうなさったようにフィリピの教会の人々は、自らをいけにえとして捧げた、と受け止めたのです。
さまざまな賞賛があります。しかし、イエスを主キリストと崇める者にとってこれ以上の賞賛はありません。
 伝道に参加してくれた教会は、たった一つ。数ある教会の中で一つ、これは奇跡、と感じられているのでしょうか。パウロの中ではフィリピ伝道での奇跡があり、今また伝道参加、という奇跡が轟き渡っているようです。キリスト・イエスが奇跡を起こされたフィリピ教会をパウロは最高の言葉で賞賛します。

さて本日の福音書に戻ります。ヨハネ福音書6:1〜15、奇跡の中でも特別に大きなものでしょうか。5000人に食べ物を与える奇跡です。五つのパンと二匹の魚、五餅二魚の奇跡、と言い慣わしてきました。
教育会館ホール西側の高窓を飾るステンドグラスは、この物語をモティーフにしています。

 ガリラヤ湖の畔、主イエスは弟子たちと山に登ります。大勢の群衆がやってきます。
そこで弟子たちに言われます。直接にはフィリポに語りかけます。
「何処でこの人たちに食べさせるパンを買えば良いだろうか」と。
「少しずつ食べるにしても200デナリでも足りないでしょう」と答えます。
1デナリは、労働者一日の労賃に相当する。実はこの時代パンを売る店は、大都市でもなかなかなかったようです。外出の際は、各自がパンを頭陀袋に入れて出かけるのが当たり前だったと聞きます。なぜ群衆のパンを心配するのでしょうか。6節は「フィリポを試みるためであった」と語ります。彼は、アンデレとペトロの同郷、ベトサイダの人。1:43以下にナタナエルと共に弟子となった様子が記されています。

 フィリポの答えに続いて、アンデレが言います。
「大麦のパン五つと魚二匹を持っている少年がいます。でもこれでは役に立たないでしょうね」。それを聞いて主イエスは、言われます。「人々を座らせなさい」。
男たちの数だけでも5000人。イエスは感謝の祈りを捧げてから、人々の欲しいだけ分け与えます。人々は満腹しました。パン屑を集めさせます。
「もったいないから、無駄にならないように」。十二の籠に一杯になった、と言います。
この部分があるために、この記事が集団催眠ではなく、現実のことであることが強調されます。群衆は、イエスのことを「世に来られる預言者」と考えました。預言者エリヤがメシアに先立ち、到来すると信じられていました。

 説明できないからこそ奇跡です。それでも説明しようとするものがあります。
パンの奇跡を乗り越えて、愛の奇跡に昇華しようとします。一人の少年がイエスの言葉に反応して、多くの人々のために自分の持ち物を差し出した。他の者たちもそれに倣って、自分のものを差し出したのだ。ここにイエスによって惹き起こされた愛の奇跡がある、とするものです。麗しい解釈だと感じます。イエスの愛ではなく、少年の献身が主役です。
しかも、この分量は一少年のものとしては多すぎます。
ごく単純に、イエスの奇跡である、と信じます。主イエスは肉体を養う食ベ物のことも心配してくださる方です。これは申命記のマナの奇跡に顕れたことです。その故に私たちは主イエスが教えてくださった祈りで、今日のパンをお与えください、と祈ることが出来るのです。

 本日の三箇所の聖書は、いずれも食べ物に関係しています。物の豊かさと言うべきかもしれません。奇跡を行うキリストは、私たちに食べ物を与えてくださるから安心しなさい、と告げるのでしょうか。
本当の奇跡は何かを告げているのではないでしょうか。
それは、私たちを心身共に生かす方・キリストがおられる、ということなのです。
肉体を生かす糧をお与えお与えくださる方は、霊的な糧を与えてくださる方です。
このキリスト・イエスを主と仰ぎ、生かされて生きて行くことが許されています。
感謝いたしましょう。