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2009年12月27日

《東方の学者たち》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マタイ2:1〜12

  降誕節第一主日、讃美歌73、103、113、交読文11(詩40篇)
  聖書日課 イザヤ49:7〜13、黙示録21:22〜22:5、マタイ2:1〜12、詩編72:1〜7、

 この朝もクランツが置かれたままになっています。25日のクリスマスが終われば、全て片付けるのが日本流かもしれません。師走の忙しさの中、そんなお祭りどころではありません、というわけでしょうか。新年の門松に換えるのさ、とも考えられます。
四週にわたる待降節・アドベントが長過ぎて、みんな疲れてしまうのかもしれません。
然し、キリスト教会の伝統的な慣わしでは、1月6日の《顕現節・エピファニー》までは「飾り付け・デコレーション」はそのままにしておきます。

 このクリスマス前にパソコンの機能を見つけました。以前からラヂオを聞くことができると聞いていました。ネットワークを通して聴く放送局がありました。勿論、普通の地上電波の放送局とは違います。DJでもありません。シアトルのFM局もありました。音楽やスポーツの専門局で、オペラ、ジャズ、ロック、カントリーミュージックなどさまざまなジャンルに分かれています。フリーと言いますから無料でしょう。たくさんの局の一つに「ゴットラヂオ」Gotradioと名乗る局がありました。しかもクリスマス セレブレーションと書かれています。24時間クリスマス音楽を流しています。25日を過ぎて26日になってもまだ続きます。1月6日を過ぎるとどうなるのか興味があります。

 東の方から、星に導かれてユダの地にやって来た賢者たち、占星術の学者がいました。
天体の移動を調べ、その中に秩序を見つける人たちです。それを乱すものを見つけます。
彼らの意志というよりも星の光が、不思議に導いたとされます。すなわち、マギ、マゴイ、賢者、博士たち、天文学者、占星術師、魔術師などと訳されますが、実は、その学識や経験、実績、名声などは無視されることに意味があったのです。

 彼らの専門知識は、大きな星が光った、その意味はユダヤ人の王として生まれた方がいる、ということを知ったことだけです。それだけでもたいしたことです。
 その先は、大きな星が導きます。
然し、少し前のカーナビと同じように、近くまでは指示し、導くけれど、目的地そのものは指示してくれません。目的地の近くです、と言って突っ放してしまうような専門知識でした。それが大きな星でした。
 私などは、何回も悔しい思いをしました。此処から先を教えてほしいのに、役立たず、と言って罵ったこともあります。最近の機械は改良され、本当に目的地まで導いてくれるようです。
 神のひとり子がこの地上でお生まれになる時、すべての知恵・知識、力は空しいものとなってしまうのです。学者たちの旅路から、私はそんなことを教えられます。

 学者たちは、何処へ行けば良いのか判らなくなった時、この国の最高権力者、ヘロデ王のところへ行き、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は何処におられますか」と尋ねました。王としてお生まれになるのは、この王宮にいるだろうし、そうでないとしてもヘロデ王の息子に違いない、と考えたのでしょう。もし、この学者たちがユダヤの国と、ヘロデ王自身、そして王と国民の関係を良く知っていたら、決して王の元を訪ねる事はなかったでしょう。

 ヘロデ王の実態が記録に残っています。
彼は本来、ハスモン祭司王朝ユダヤの雇われ軍人、将軍であった。
イドマヤ人である故、ユダヤ人から嫌われ、王位簒奪者とされた。
神殿を改修し、ヘロデの神殿と呼ばれるようにした。
王位を狙う者は容赦なく殺害した。.
ローマ帝国、アウグスティヌス帝の同盟者となり、厚遇された(ローマの友)。
大規模な建設工事を施行した(神殿、王宮、港湾、城塞その他)。

 折角の機会です。もう少し詳しく調べてみましょう。
 ヘロデは、ユダヤ教に改宗したイドマヤ人アンティパテルを父として生まれた。
その血筋の半分はユダヤ人のもの、彼を嫌うユダヤ人たちは、彼を略奪するよそ者、ギリシャ思想や風俗にかぶれたローマの従属者としてしか考えなかった。
紀元前40年、王位についた後、正統な王位継承者であることを主張するため、ハスモン家のマリアムネ姫と結婚しました。

 ヘロデは建築狂の名を残しました。専制君主の多くは、権力を示すために、壮大な建築物を残しました。それと共に自分の名が残ることを求めたのでしょう。マサダの要塞(離宮)、劇場、競技場、皇帝礼拝の神殿、大浴場、水道など公共施設。
最も有名な工事はカエサリア、これはカエサル・アウグストゥスに捧げたもの、紀元前22年に始まり12年の歳月を費やしてようやく完成。場所は旧フェニキアのストラトン塔の跡。人工の港と街区、アウグストゥスの神殿、円形劇場、下水施設、水道橋などアレキサンドリアに倣って造られました。

 ヘロデ時代にエルサレムは、数多くの建造物に彩られ、栄光の時代を迎えた。王は旧市街を復旧し、ギリシャ・ローマ芸術の粋を集めた公共施設を相次いで建てました。
街の周りには、公園や列柱と噴水で飾られた庭園をめぐらせます。
ソロモン以来、エルサレムがこれほどの豪華さに包まれた事はありません。

 ヘロデ王は、自分を嫌う民衆の信頼を獲得しよう、と神殿の改修に着手します。紀元前20年、モリヤの山に立つ旧神殿を、ソロモン時代に匹敵するほど豪華で壮麗なものに変える工事が始まりました。
一年半後には、至聖所が礼拝に使用されるようになりました。
紀元前9年には、ヘロデが落成式を行います。そして更に、実際の完成は紀元64年でした。
紀元70年には、ユダヤ戦争のため、ローマ軍によって破壊されつくします。

 エリコの宮殿(冬の宮殿)は、マサダよりも豪華だったことが、発掘から明らかになりました。
確かに彼は権力を掌握し、それを使いその力を揮い、多くの実績を残しました。
その動機は、何でしょうか。ある学者は、彼の一切の動機は不安であった、と記します。

名声、権力、王位、正統的王位継承者、強大なローマ帝国の好意・友国とされた地位。
これらはヘロデにとって保持したいものです。然し、何時でも失われ得るものです。
其処にヘロデの不安があります。持つ者の不安があります。

 こうしたヘロデ王の姿は、飽くことなく権力を追及し、資産を蓄積しようとする人間そのものです。自分の欲望が第一で、他の人の苦しみや嘆きには目をつぶり、見て見ぬ振りをする人間です。大王と呼ばれたヘロデひとりではなく、時代を超えて、多くの、すべての人間の罪深い姿と言うべきでしょう。

 ヘロデの豪壮・華麗な宮殿に、長旅に疲れた様子の見える学者たちが姿を現します。
ヘロデはギリシャ・ローマの思想を好み、アウグストゥス帝に捧げるカエサリアを、エジプトのカイサリアに倣って造っています。どこか学問好きであったようにも感じられます。
東方の学者にも何か期待するところがあったのでしょう。特に自分の王位に関して不安をもっていたヘロデは、それを解消してくれる情報を求めていたことでしょう。

 このヘロデ王に、学者たちは尋ねます。
「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか」と。
ヘロデの不安に油を注ぐようなことです。エルサレムの人々もみな、同様であった、とあります。これまでヘロデは、王位を継承できる、と考えられるような人物を殺害してきました。当然有力な人物です。たいてい騒乱が起きるものです。そのことを知る人々は不安になるでしょう。

 ヘロデ王は、多くの律法学者、祭司長たちを集め、調べさせます。
彼らは、ユダヤのベツレヘム、を探り当てます。ミカ5:2が引用されています。ヘロデ王は学者たちを呼び寄せ、このことを教えます。その時の言葉が、8節に記されます。
「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう。」
ヘロデは勿論、調べた者たちも、誰もこの学者たちに同行しようとはしません。何故だろうか。彼らにとって大事なものは、すべてこれまでの生活の中にあります。ぬくぬくと温かな家の中にあります。彼らにとってベツレヘムでお生まれになる、という指導者は、家の外の出来事です。寒風の吹きすさぶ荒れ野の出来事のようなものです。とんでもないことに繋がる可能性を感じます。王も祭司長も律法学者も、同行できるのに、今出来ることを後に回しました。彼らは、世の救い主を礼拝する機会を逃しました。

 学者たちは家畜小屋で幼子を拝み、黄金、乳香、没薬を捧げました。
三種の捧げ物から、三人の博士たちと考えられてきました。
四人と考えた人もいます。カスパル、メルキオル、バルサザル、そしてアルタバン。
これは、ヘンリー・ヴァン・ダイクの『もう一人の博士』に書かれた名前です。
彼らは、東の地で、自分たちの知恵・知識が無力になる経験をし、それを超えた力の導きのままに、ベツレヘムで救いのみ子を礼拝しました。無力になって、神の導きのままに礼拝者となりました。彼らは喜びに溢れました。

 聖書が書き記す順序は違っています。「星がその幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びに溢れた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として捧げた。」
 導きの星の現われを喜び、その指示が明らかになったことを喜び、礼拝すべき方のおられるところを知っただけで喜び、捧げ物をして、喜びに溢れました。

 東には、いつも強大な国がありました。その国の賢い人たちが、小さなユダヤの王として生まれた子供を喜ぶはずがありません。不思議なことが起こりました。学者たちの知恵、知識、経験が空しくされ、通常の判断とは違うものが顕れました。学者たちは、国境を超え、民族を超え、才能や功績を超え、一切の困難を越えて礼拝することを選び取りました。
 礼拝者となった彼らには、大きな喜びが与えられました。
 遠い東からの旅は、礼拝者となるためでした。

思い出します。 おんぼろバスで、空港からエルサレムに近付いた時のことを。

 向こうにエルサレムが見える、と聞いた時、胸が高鳴りました。なぜかは判りません。   でも喜びでした。学者たちも同じだったのでしょう。

ヘロデ、祭司長、律法学者たちは、礼拝者になる機会を逃しました。

今大きな困難を乗り越え、礼拝に集う人々は幸いです。慰められ、希望を見出し、喜びに溢れることが許されているのですから。  感謝しましょう。