集会のご案内
所在地・交通
教会のあゆみ
牧師紹介
教会カレンダー
教会暦・行事
説教ライブラリー
フォト
リンク集
玉出教会 説教ライブラリ [一覧へ戻る]

2009年1月25日

《宣教の開始》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
マタイ4:12〜17

降誕節第5主日、讃美歌13、268、217、交読文29(詩121篇)
聖書日課 イザヤ8:23b〜9:3、ローマ1:8〜17、マタイ4:12〜17、詩編44:2〜9、


先週火曜日、20日にはアメリカ合衆国大統領の就任式がありました。アフリカ系黒人のバラク・オバマ氏が就任しました。チエンジ・変革とイエス・ウィ キャンが大きなうねりとなりました。
国を挙げてのお祭り、200万とも報じられた史上最大の観客数は、期待と希望の大きさはそのまま挫折と苦悩の大きさを示しています。そのためでしょうか、予想されたような騒動は生じず、冷静な姿勢が目につきました。
選挙のお祭りが終わり、大きな問題への取り組みが始まります。良くも悪くも、この日本にも関わることです。
今回の選挙で示されたアメリカンの理想・理念とそれを支えるアメリカ国民の良識に期待いたします。

就任式の模様が報じられている木曜日、22日、会員の坂本登喜子さんが天の故郷へ帰られました。八十八歳、米寿のお誕生日を迎えたばかりでした。多くの方が病院を見舞いに訪れ、また前夜式、葬儀にもご参加くださいました。それにより、少しでもお慰めとすることが出来たかと存じます。寒さの中、あり難いことです。

これによって教会の交わりを証し出来たかと存じます。感謝申し上げます。

さて、本日は《宣教の開始》という主題が与えられました。

12・13節には、少々驚かされるようなことが記されています。ご覧ください。
「イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。」
ヨハネが捕らえられたのを聞き、何もしないで、ガリラヤに退かれます。主イエスは、このヨハネからバプテスマをお受けになりました。大事な人物に違いありません。もっと大勢仲間がいたはずです。彼らに働きかけ、抗議と嘆願をすることも出来たのではないでしょうか。今日の活動家の考えなら、そのようにするのが当然です。彼らにとって、この所のイエスの姿は、臆病、卑怯としか言えないのではないでしょうか。

更にイエスは、ナザレを去り、カファルナウムに来て住まわれた、とあります。これまで私たちは、学者先生が『ナザレのイエス』と呼んでいることを学びました。全生涯をナザレで過ごされたように感じてしまいそうですが、実はそうではありません。ナザレから出てきた人なのです。これからは、ガリラヤ湖畔の町カファルナウムの人になります。

何故ガリラヤを去り、カファルナウムの人となったのでしょうか。

イエスはナザレを去りました。家族は残したままです。主イエスは決断されました。
ヨハネはなすべきことをなし終えた。次は私が、神のご計画に従い、定められた働きを行う時だ。そのためには、平和な里を出て、最も見棄てられた地へ足を運ぶのが、神のみ旨だ。そこで憩いをとり、力を蓄え、人々の中に出て行こう。
主イエスは、恐れて、逃げ隠れしたのではありません。時が満ちたことを知り、御自分の安らぎの場所を捨て、いわば前進基地へ移られたのです。

ヒマラヤ登山の時、登山隊は、それぞれの祖国から出て、現地に集まります。そしてベースキャンプから幾つもの基地を作り、必要な資材を蓄積、貯蔵、整備します。その最後は、登頂のための基地、最後に出発する前進基地です。

主イエスは、カファルナウムに移ることで、宣教を開始する準備を整えました。
その意味では、宣教は登頂であり、戦闘であり、長期にわたる消耗を覚悟すべきものです。
困難な作業になるでしょう。誰が、それを受け継ぐのでしょうか。

 主イエスのように特別な人だけが、これを受け継ぐことができるのでしょうか。あるいは、特別な能力を持った人だけが宣教を受け継ぐのでしょうか。
もしそうであるなら、私などはとても継承することは出来ません。70年のドサクサにまぎれて、レポートによる教師検定で合格し、按手を受けた私は無資格に近いものです。勿論、同じ試験で合格した者が全員無資格、ということはありません。平素からよく学び、実力を蓄え、立派に合格し、偉い先生になっている人が大部分です。私はそうではありません。

何故私のような者が合格するような試験がなされたのでしょうか。多様性の豊かさ、ということもあるでしょう。宣教の働きは、主なる神が共になされるからです。そのことを考えると、教会における個人崇拝はよろしくない、と言わざるを得ません。偉い先生が崇拝されることを妨げるつもりはありません。ただ私に関しては、間違ってもそのようなことがない様に願っています。個人崇拝できるような教師を求めるなら、何時でも私は引き下がります。

宣教の第一声が出されたのはガリラヤの地です。これは、かつて預言者イザヤが預言した所です。15〜16節は、イザヤ8:23〜9:1の自由な引用です。

歴史的なことを見てみましょう。紀元前734年と732年の二回、アッシリアのティグラト・ピレセルはパレスティナに遠征しました。その結果、北イスラエル王国は、アッシリア帝国の属州とされました。多くの民がアッシリアの各地へ移され、カナンの地には、帝国内から異邦人が移入され、融和、混血が進められました。

預言者イザヤは、この状態の中で預言します。
イスラエルの神ヤハウェは、その民を敵の手に引き渡された。しかし、将来、神は輝きに満ちた指導者を送り、イスラエルを新しい神の国とするだろう。今は嘲られているイスラエルは神の栄光を与えられ、諸国民の前で頭を挙げることが出来るようになる。

そうなる前の北イスラエルの状態が、このイザヤ書8章に引用されています。
異邦人のガリラヤ、ゼブルンの地、ナフタリの地。かつてはイスラエル十二部族が嗣業として受けたものでした。それが異邦人のものとなってしまった。
この地は、南ユダの人々から見れば、最も穢れ、蔑まれるべき土地、見棄てられるべき土地です。闇の世界です。その故にこそ、やがて光が射してきます。

イエスが宣教の根拠地とされた時、ガリラヤはどのようになっていたでしょうか?
今でこそ緑滴るガリラヤ、と歌われ、憧れる人も多い。間違いではありません。花咲き、鳥歌い、果実が香るようなところ。歴史家ヨセフスも書いています。しかしその現実は如何なものでしょうか。ローマ帝国の支配下に置かれたガリラヤ、ヘロデの息子が統治する。
二重支配、重い税金、南のユダヤからは、まるで外国のように考えられ、嫌われています。
異邦人の地、兄弟げんかは他人同士の喧嘩より凄まじいものになる、と言われます。
かつてサマリヤとユダが争いました。それは依然として続いています。その上に、ユダヤとガリラヤの対立が加わりました。

この所で、まさに蔑まれ、嘲られた所で主イエスの奇跡が行なわれ、教えが語られます。
それは人々に慰め、励まし、望みを与えるものでした。
力の源を示すものとなりました。
そのことを宣教第一声が示します。

「悔い改めよ、天の国は近付いた」

悔い改めは、人が、その生きる方向を変えることです。
人は誰しも、自分はいつでも正しい、と考えています。ガリラヤを穢れたところと考え、謗り、侮り、嫌悪し、蔑みます。それがガリラヤ以外の住人です。正しさを拠り所としています。その正しさを見直し、意味がないことを認める。自分の正しさは、もはや拠り所とならないことを認めることが悔い改めです。

ガリラヤの人たちは、周囲から嫌悪され、侮蔑されていることを知っています。反発しています。自分たちもあの正しさを持ちたい、主張したい、と内心願っています。自分の義を立てようという、その求めを捨てることも悔い改めです。
ユダヤ人もガリラヤ人も、どちらも自分の力、自分の考えこそ正しい、と主張する点では同じです。

天の国は近付いた。神の国と言えば良いのに「天の国」と言うのは、マタイの特徴です。この意味は、神の御支配が限りなく近付いている、ということです。
エーンギケーン ガル テーン へー バシレイア トーン ウーラノーン
マルコ福音書1:15と殆んど同じです。

 ガリラヤの人たちに対し、またユダヤの人々に対し、それぞれの自己正当化をやめて、神の御支配に従いなさい、と呼びかけておられます。
当然、現代の私たちも、この呼び声を聞いています。悔い改める者は幸いです。

ガリラヤは、宣教第一声の地。そしてこの始められた宣教は終わることなく、今日に至るまで、世界の各地で続けられています。
そしてガリラヤは、復活後、主イエスが弟子たちと会うため、行くことに決められた所、以来世界各地で、甦りの主イエスは、各地で御弟子たちと出会い続けておられるのです。

私たちが宣教のため、出て行くところ、主イエスと出会うところは、そこが何処であれ、私たちのガリラヤになります。憧れのガリラヤは、今ここにあります。

感謝しましょう。