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2008年12月24日

《「東方で見た星」―星の光に導かれて》

説教者:
牧師 中谷哲造
聖書:
マタイによる福音書2章2節

クリスマスイヴ燭火礼拝
           
今年のイヴ礼拝のメッセージの主題は「東方で見た星、星の光に導かれて」となっています。はじめにお断りしておきますが、このテーマは玉出教会クリスマス委員会の村山さんから与えられたもので、こういう説教題で話すようにと注文を受けたのです。
その意図をちゃんと汲んでお話できるように準備できたかどうか心配ですが、自分なりの準備でメッセージをさせていただきます。
 
さて、聖書の箇所はわたしの方で示されたところですが、お読みいただきましたようにマタイによる福音書2章であります。

イエスさまはヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったと書かれていますので、その時代背景を調べることはできますけれど、テーマからそれるといけませんので、ただいまそのことには触れずに先に進みたいと思います。
 
そのとき、占星術の学者たちが 東の方からエルサレムに来て、言った。『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』…」
占星術の学者たちと訳されている言葉は原語では単数形でマゴス、複数形ではマゴイです。ペルシャの祭司や教師、賢人のことを指し、またときには魔術師であったり占星術師をさしているようです。新共同訳聖書は「占星術の学者たち」と訳しました。広い意味での東方の知恵を示す賢者たちを指しているという説明を見いだしました。
 
彼らは特別な星の出現を発見しその意味を探求したのでしょう。その結果、この星は全世界的な意義をもつユダヤ人の王が誕生した徴であると彼らは見ました。そして、この学者たちは東方の人々であるというだけで民族名はわかりませんが、想像するにひょっとしてチグリス川やユーフラテス川が流れるこんにちで言えば、あのイラクのあたりの人々かも知れません。

いずれにせよ、ユダヤ人から見れば、彼らは異邦人であり、異教徒であります。にもかかわらず、ユダヤ人の王としてお生まれになった方を礼拝すること、これをひたすら追い求めました。こうして旅を続けたのであります。古代の旅のことでありますから、危険を伴う命がけの旅であったと想像致します。
ベツレヘムに向かう途上、メシアを指し示す星を見て、ユダヤ人の王であり、メシアであるお方との出会いを予感して「喜びにあふれ」たとマタイは記しています。
 ここで占星術の学者たちが東方で見た星、そしてベツレヘムに向かうとき再び見た星 あの星は天空に輝く天体として描かれていますけれども、私どもにとっては、救い主イエス・キリストへと、あるいはその福音へと導く教会、またその教会の働きを表わすものであると理解することが許されるのではないでしょうか。
そういう理解をする根拠はパウロの手紙であるフィリピの信徒への手紙2章15節のみ言葉にあります。
 
よこしまな曲った時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き命の言葉をしっかり保ち世にあって星のように輝く、これが教会の姿です。そして、私たちを取り巻くこんにちの社会は経済的な危機の時代であり、人心の荒廃を嘆く声に満ちた時代であり、人びとの間に生じた格差に悩む時代であります。
世界の情勢も混沌をきわめております。アフガンやイラクに見る戦争の中で難民となる人びとが続出し、非戦闘員である市民の命が奪われ、打ち込まれた無数の劣化ウラン弾によってこどもたちが見るに忍びない傷害を受けているのであります。その中でテロは止まず、治安は最悪であります。アフリカにも部族間の争いは絶えません。

こういう状態においてこそ救い主を指し示すあの星は、私たちの教会のことではないでしょうか。教会とその働きがメシアを指し示さねばなりません。消極的な表現ではありますが、少なくとも現代の教会が貪欲を追求する新自由主義、市場原理主義をリードする働きや役割を担う教会であるならば、わたしも拝みに行くからと言いながら、2歳以下の男児を皆殺しにしたヘロデ王と大差なく、変わりはありません。こんにち、メシアを指し示す星の役割は端的に言って主の正義と愛と平和を確立しようと祈りつつ、運動する教会の働きによって示されねばならないということを考えさせられます。
 
その際、平和と正義と愛を目指して運動する他宗教の人びとは、共に働きたくない人びとだ、私どもとは無関係な人びとだ などと考えるのはまことに狭く閉ざされた、よろしくないことだと教えられます。マタイが描いている東方の占星術の学者たちは異邦人であり、異教徒であったことを思い合わせたいと願うのであります。現代のわが国では新宗教や新、新宗教のさまざまな狂信的行動があったために 宗教は恐ろしいもの、警戒しなければならないもの という印象をもたらした事実があります。

キリスト教会はなんと弁明するでしょうか。
キリスト教会はそうした諸宗教とは異なるものであるし、間違いをおかすような、社会を混乱に陥れるような宗教を悔い改めさせるのがキリスト教会だと言うのでしょうか。たしかにそれは真理契機を含んでいると思います。かねてからユダヤ教徒は選民意識が強く、異教徒にはなじまないのでありますが従来のキリスト教会にもそれに似たところがないとは言えません。

しかし、そのようなユダヤ人の伝統とは縁の深いマタイによる福音書の記者がこのクリスマスの出来事を描く記事において、なんと言っているでしょうか。異邦人、異教徒に対して大変開かれた態度であるのを見逃せません。
ちなみにマタイによる福音書25章31節〜45節に描かれている最後の審判の光景では民族や信仰の相違によってではなく、最も小さくされている者の一人に愛の奉仕をおこなったかどうかによって裁きがなされると明瞭に述べられているのです。このことに注意深くありたいと願わずにはおれません。 

マタイ2章ではメシアを指し示すあの星は選民イスラエルを越えて啓示されました。イスラエルだけが神の支配のもとにあるのではなく、神は全世界の王でいましたもう、ということ、教会が異邦世界に対して開かれた態度をもつことを示されていないでしょうか。それは、私たちの使命が福音宣教にあることを否定するものではありません。
父と子と聖霊の神を礼拝し、その御言葉に導かれて主の正義、主の平和、主の愛を追い求める時、私どもは、狭い選民意識から解放された者でもありたいということを、併せて今宵のメッセージとしてお贈りしたいと思います.。Ω
 
お祈り
 
世にあって小さくされている者たちを愛し、顧みたもう天の父なる神さま。
あなたが罪深い私どもを救いたいと願って、その御愛をこめて世にメシアを生まれさせてくださったとき、御子なるキリストを最初に礼拝する人びととしてえらばれたのは、異教徒であり、異邦人である東方の占星術の学者たちでした。
 イエス・キリストの福音を指し示す輝く星の役割を担う私どもの教会が御降誕の主を礼拝する群であるとき、異教徒・異邦人にまで及ぶ主の愛を深く思わせてください。
 膚の色が違うだけで差別された人びとから、大統領が選ばれた米国での出来事は画期的で感謝すべきことでした。さらに民族、文化、宗教、などの違いのゆえに憎み合うことから世界をお救いください。
 東方で輝く星がキリストを指し示したように、あの星の役割を担うわたしたちの教会が現代の悩みの中で主の正義、主の平和、主の愛を力強く現す働きができますように導いてください。
 主イエス・キリストの御名により、アーメン。