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2008年8月17日

《死と埋葬》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記49:29〜50:14

聖霊降臨節第15主日 讃美歌16,300,330、交読文21(詩91篇)

聖書日課 ヨハネ8:12〜20、エフェソ5:11〜20、出エジプト13:17〜22、

   詩編98:1〜9、


毎年のことですが、暑さの真っ盛り、八月中旬は私たちにとって特別な時です。

お盆と終戦記念日、この二つは日本人にとって死を考える時であり、何よりも平和を考える時です。聖書を連続して読んで行くと、意図せずに、必要な時に適切な聖書が与えられることが多い、ことを経験します。

本日に先立ち、お二人の信徒がその愛するお父上を天に送られた。私事になりますが、私の肉親も、近年相次いで亡くなっています。死は他人事ではありません。すぐ身近のこと、明日は我が身か、と思わせられることです。

私たちは、ヤコブの死と埋葬から、学びます。 


ヤコブは、その死に際し、自分の葬りに就いて遺言します。

決してこのエジプトの地、ゴシェンに葬らないでくれ。

必ず、約束の地カナンへ連れ帰り、父祖アブラハム・イサクと共に葬って欲しい。

そこには、すでにサラが、リベカが、そしてレアも葬られています。

それ以外の土地は考えられないのでしようか。

ラケルは、ヤコブ自身の手により、ベツレヘムの近くに葬られています。

ラマト・ラヘル(ラケルの丘)ではなく、マムレのマクペラの洞穴を望む理由は何でしょうか。


マクペラの洞穴は、アブラハムが神の約束の下、初めて手に入れた土地でした(創世23:17〜20)。サラがはじめに、ここに葬られました。25:9にもその事が記されます。38p

「マクペラの洞穴はマムレの前の、ヘト人ツォハルの子エフロンの畑の中にあったが、その畑は、アブラハムがヘトの人々から買い取ったものである。そこに、アブラハムは妻サラと共に葬られた。」

ヤコブは、アブラハムが「ヘトの人たちから買い取ったもの」(49:32)と告げています。

これこそ、約束された土地の取得の始めでした。此処にヤコブのこだわりがあります。この土地を受け継ぐ事がヤコブ最大の関心事であり、息子たちに残す最大の祝福であったことでしよう。

ヘト人は、ハムの孫ヘトの子孫とされる(10:6〜20)。彼らは小アジアでヒッタイト帝国を確立し、アブラハムの時代からB.C.12世紀頃までカナンで支配的な力を持っていた。


ヤコブは、自分の死によってなされる務めがある、と確信しています。

遺言は、最後の仕事を明確に指示して、誤りなく実行してもらうためのものです。

その意味で、ヤコブの遺言は三種あったと考えます。第一はヨセフの子供たちの祝福。

第二は十二人の子供たちの祝福。そして第三が、この葬りの指示です。

私たちも遺言を必要とします。相続は信仰的な祝福を含みます。葬りは何方かに委ねる支持であっても良いでしょう。遺言書の所在を明らかにすることも大事です。


私たちにとっての最後の務め、終わりの仕事は何でしょうか。

ホイヴェルス神父という方がおられました。ドイツ生まれ、イエズス会宣教師として1923年来日。一高、東大の講師、上智大学教授、学長、麹町・イグナチオ教会主任司祭などを歴任。著書多数。

この方は、その随筆集『人生の秋に』(春秋社刊)の中に書きます。



「老いの重荷は神の賜物、

古びた心に、これで最後の磨きをかける。

まことのふるさとへ行くために。

おのれをこの世につなぐくさりを少しずつはずしていくのは、

真にえらい仕事。

こうして何もできなくなれば、

それを謙虚に承諾するのだ。



神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。

それは祈りだ。

手は何もできない。

けれども最後まで合掌できる。

愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。



すべてをなし終えたら、

臨終の床に神の声を聞くだろう。

『来よ、わが友よ、われ汝を見捨てじ』と。」



 なかなか素敵な詩だなあ、と感じました。人は死の床に至るまで、できる事があり、為すべき事がある、と思うことができました。しかしこの国で、誰でもが祈れるのだろうか、と疑問を感じたことも事実です。なんらかの宗教をもっている人なら、祈りの心は分るでしょう。キリストを信じている人は、自分で祈るでしょう。ホイヴェルス神父は、クリスチャンだけを相手としているのでしょうか。彼は上智大学で長く教鞭をとりました。

一般の人を相手として考えている、と思います。それが『愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために』という一行になったのでしょう。

祈りを、キリスト信仰から自由にして、愛する者のために、神に求めることとしたのです。そうして、祈りは、すべての人の最後の仕事になりました。



 こうしてヤコブは、異教の地、エジプトで息を引き取ります。

ヨセフは、父ヤコブの亡骸を、当時のエジプトの習慣に従って、最上の処置をするよう命じます。これは、何方様もよくご存知、エジプトのミイラ造りの技術のことでしょう。

「防腐処置は古代エジプトの慣習で、内臓を取り除き亜麻布や樹脂を詰める。重要な王は亜麻布の包帯で巻かれミイラにされた。防腐処置には40日くらいかかった。ヤコブのための喪の期間は70日間で、エジプトの王に対する服喪の期間と同じくらい続いた。エジプトでは死後の生を信じて防腐処置をするが、ヤコブの場合はカナンの土地に埋葬するためである。」スタディ・バイブル



 ヤコブ・イスラエルのための服喪期間は、70日間で、これはファラオのための期間とほぼ等しかったと言われます。あの、世界中を襲った大飢饉の時のヨセフの功績は長く記憶され、人々から賞賛されていたゆえでしょう。それは、葬りのために北上する葬列の様子にも現れます。一族の者は当然ですが、宮廷の重臣たちすべて、国の長老たちすべて、戦車と騎兵が共に上った、とあります。盛大な行列となりました。ゴシェンの地に残されたのは、幼児と羊・牛の群れだけでした。これは、再び帰って来るための保障であった可能性があります。


ヨルダン川の東岸に着いて、二段階の葬儀がはじめられます。

はじめは、エジプトの高官たちも含む全員が、ヨルダン川の東側で執り行った追悼の儀式です。これはアベル・ミツライム、エジプト風の追悼儀式と呼ばれています。ヨセフはエジプトの宰相であり、エジプトの高官たちもいるので、エジプト人のための追悼式であろう、とかんがえます。その場所は、ゴレン・アダド、茨のある麦打ち場、と呼ばれている。風通しの良い高地にある平らな場所と考えられます。

次いで場所をヨルダン川の西、カナンの地へ移す。エルサレムから南へおよそ32キロ、ヘブロンにある墓所、マムレのマクペラの洞穴に葬りました。一人の人、ヤコブの生涯の完結です。生涯を振り返り、評価が定められる時です。『蓋棺定評』と言います。


死とは何でしょうか。これまで、葬儀の度に語られてきました。

医学的には心停止の状態です。これまで忠実に鼓動していた心臓がその機能を停止すると、全身が生活機能を停めざるを得なくなります。心臓は血液を送り出します。脳もこの血液を必要とします。新鮮な血液が来なくなると、脳細胞は崩壊を始めます。


物理的には、存在の消滅でしょう。空間を占めていた生物がその動きを停め、土の塵になる。見えていたものが見えなくなる。動いていたものが動きを止める。

社会学的な死もあるでしょう。先輩・後輩、上司・上官と部下、教師と学生・生徒、友人・知人。家庭や地域社会の関係。さまざまな関係があり、それは常に形成されながら、崩壊し、消滅し、また再形成されて行きます。此処には、死は再生の始まりという本質が現れます。


ヤコブの死が、私たちに教えることは、死は最後の仕事のとき、ということです。死によってしかなされないこともあります。

また、死は神の恵みの継承の時でもあります。賛美と感謝を捧げる時になります。


葬儀、埋葬する、とは何でしょうか。

土に返す、ということです。

創造の始め、人は土の塵から作られました(創世2:7)。その被造物である人間が土から出て、土に帰ることなのです。詩編90:3には次のようにあります。

「あなたは人を塵に返し

『人の子よ、帰れ』と仰せになります。」


現代に至るまで、イスラエルにはひとつの伝統があります。

イスラエルの兵士が戦場で命を落としたとき、必ずその遺体を持ち帰り、国土に埋葬することです。兵士はそのことを信頼し、奮戦する事ができます。遺体を引き取るために、高い価値のある捕虜と交換することさえあります。大変な損失である、と批判されることもあります。それでも政府は断固、戦死者の遺体、或は捕虜の送還を求め、実行します。

イスラエルの兵士は、必ず約束の地を受け継ぐ事ができる、その地に眠る事ができるのです。彼は地の祝福を受け継ぐのです。


死は終わりではなく、祝福の継承です。

埋葬は、父のもとへ帰る事でした。そして神の祝福を継承させることでもあります。

感謝しましょう。



「幸いなるかな、柔和なる者、その人は地を継がん」(マタイ5:5)