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2008年5月4日

《ヤコブは豊かになる》

説教者:
牧師 持田行人
聖書:
創世記30:25〜36

復活節節第七主日、讃美歌28,164,275、交読文13(詩46篇)
聖書日課 ヨハネ7:32〜39、列王下2:1〜15、黙示録5:6〜14、詩45:2〜12、

今年、少し変化がありました。5年前赴任してきた時、早くも蚊がいて、刺されたことに驚きました。翌年も少し遅れたようですが4月上旬、玉出はそんなものなのだろう、と考えていました。ところが今年、ついに4月中は下旬に一度、牧師館内で蚊の羽音を聞いただけでした。そして5月2日夕刻、表の駐車場で蚊に刺されました。一体この変化はなぜでしょうか。分りません。病原菌を媒介することもあります。蚊がいなくなることは歓迎します。嬉しいことです。しかし理由が分らないのは困ります。知りたがりやなのでしょうか、好奇心が強いだけなのでしょうか。

 もう一つの変化、門の内側のニセアカシアに白い花が咲きました。今朝、下を見るとこれまでにない白い花びらが落ちていました。5年間見たことがありません。きっと以前は咲いていたのでしょう。

前回説教で間違いがありました。「持参金を持たないヤコブ」と申しました。後でご注意をいただきました。「持参金は嫁入りの場合。婿入りするわけでもなさそうなので持参金はおかしい。主旨は理解できる。結納金、または支度金、婚資ではないか」。その通りです。私の側の無知でした。お詫びして訂正いたします。知っていることは何でも知っているが、知らないことは一切知らない、ということを証明したようなものです。ちなみに私の場合、結納も持参金も一切なしで、ということにしました。

さて、本日の聖書をご一緒に読みましょう。29章の最後の部分からもう一度。

そこではヤコブはラケルを愛し、レアを疎んじた、と記します。そのため主がレアの胎を開いたとされます。この間の事情は、私には分りません。ヤコブから疎んじられたレアを主が顧みられた、ということでしょう。ルベン、シメオン、レビ、ユダ、その名の由来が語られます。そこにはレアの強い願いもあったと記されます。夫がわたしを愛してくれるように、私に結び付いてくれるように、そして「今度こそ主をほめたたえよう」とユダと名付けました。四人目にしてようやく主を讃美するのです。

 このときから暫く子を産むことがなくなります。お休みと考えれば宜しいでしょう。

30章のはじめは、子を産むことがなかったラケルが、姉をねたむようになったことが記されます。ヤコブに「私にも子を与えてください」と迫ります。かなり過激です。与えてくれないなら、私は死にます。何か小説の世界のように感じさせられます。それを現実に戻すのは、ヤコブの冷静な、怒りの言葉です。

「私が神に代われると言うのか。お前の胎に子供を宿らせないのは神御自身なのだ」
ヤハウェ信仰に立つなら、ここは怒りを示さねばなりません。ラケルの言葉に耳を傾け、愛をもって聞き分け、その感情を理解するヤコブです。それだけにここは筋を通しておかなければならない、と計算しているようです。

怒りは多くの場合感情の激発です。

プロ野球の監督の場合、審判に対する怒りの抗議と見えるものも、冷静な計算の上に立っていることが多いようです。私はここにヤコブの信仰的成長を見出します。

故郷を離れ、遠隔の地で生活する中で、何を、誰を恐れるべきか、崇むべきか、頼るべきか知るようになりました。

ラケルは、それでもかつてのサラ同様、召使の女によって子を獲ようとします(創世16章参照)。結婚の時、父が付き添い役として付けてくれたビルハがいます。これを側女とし、彼女によって子供を獲ます。サラも、その子を私の膝の上に迎えましょう、と言いました。これは養子縁組をすることを表し、我が子として迎えることでした。それでも、やがて反目するようになりました。人の思いで神の計画を成就しようとすることの危うさが示されます。

ビルハもハガル同様子を産みます。ダンと名付けられます。ついで生まれた子はナフタリです。この名によってラケルは、姉との争いに勝ったとの思いを宣言しています。
ところがこの争いはまだまだ続きます。

ラケルの勝利宣言を怒ったレアは、負けてはいないぞと、自分の侍女ジルパをヤコブの側女とし、子を獲ようとします。生まれた子供はガド、アシェルと名付けられました。これでレアが四人、ビルハが二人、ジルパが二人で、ヤコブは八人の子の父親となります。これで一夫多妻の目的は果たされたと考えそうですが、そうは行きません。

 本来の一夫多妻は、血筋を絶やさないようにすること、戦力、労力、国力(氏族、部族)を増進させることを目的としました。しかしこのところでは女二人の愛情誇示の出産競争に換わっています。適当な所で納得するまでには、まだ経過が必要なようです。

14節から21節までは恋なすびの物語となります。レアの息子ルベンは野原で恋なすびを見つけ、母レアの所に持ってきます。そこでラケルは、その恋なすびを私に分けて下さい、と願います。レアは、「私の夫を取っただけではなく、息子の恋なすびまで取ろうとするのか」と罵るように言います。

 このレアの言い分には首を傾げざるを得ません。本来、ヤコブはラケルと結婚することだけを考えていました。レアとの結婚は彼女たちの父ラバンの策略です。大変人間的な利己主義の考えによる混乱です。

 恋なすびは、マンダラケ(マンドレイク)と呼ばれ紫色の花をつける(ヘブライ語で,ドゥダイーム)。その実は丸く黄色がかって芳香があり、媚薬に、根は強壮剤になると考えられたと記されています(スタディバイブル)。ルベンは母レアのため、ラケルはそれを自分のため、ヤコブのために欲しかったのです。

 ラケルは「恋なすびの代わりに、今夜あの人があなたと床を共にするようにしましょう」という取引を持ちかけます。これでは何のために恋なすびを獲得するのか分らなくなります。事実、結果はその通りになります。レアの胎は久し振りに開かれ、イッサカルを産み,ついでゼブルンを産みます。これで六人を産みました。その後一人の女の子を産み、その名をディナとします。旧約は女の子を無視するのが普通です。他にも産まれている可能性が高い、と言われます。一人だけその名が記されるのは、この後で登場し、役割を果たすためです(34章参照)。

こうして、いよいよラケルの番となります。

22節「しかし、神はラケルも御心に留め、彼女の願いを聞き入れその胎を開かれた」。
ラケルは身ごもり、男の子を産みます。その名はヨセフです。

先ほどお読みいただいたのはここから、ということになります。

ヨセフが生まれた頃、ヤコブはラバンに申し入れます。故郷へ帰りたい。これまで妻を得るために、あなたのために私は働いてきました。妻子と共に帰らせてください。

伯父ラバンは、正直に言います。「お前のおかげで主の祝福をいただいてきた。もっといて欲しい。報酬はどれ程か、望みを言いなさい」。

ヤコブは言います。「確かに、私の働きで、わずかだった家畜の数も増えました。しかし何も下さる必要はありません」。それではどうするのか、とラバンが言うのに対し、ヤコブ。

これが不思議なこと、分りにくいことですが、当時としては常識的なことだったのでしょう。32節「ぶちとまだらの羊をすべて、黒味がかった羊をすべて、それからまだらとぶちの山羊をすべて、取り出しておきますので、それを私のものとしてください」。この時代には、これらのものはごく少数だったのだろう、と考えられます。ヤコブは、私の報酬など僅かなもので宜しいのです、と申し出たようです。

ところがラバンの反応は違いました。35節で見るように、ヤコブが求めた僅かばかりの羊、山羊を息子たちに命じて、三日ほどの距離を置いた所へ隠してしまいます。

そこでヤコブは、工夫をします。これも分りにくいことです。多分、羊や山羊が子を産む時に見たものの色がその子の色になる、という考えが基盤にあるようです。ポプラ、アーモンド、プラタナスの木の若枝を取り、その皮をはぎ、枝に白い木肌の縞を作り、水飲み場の水槽に入れ、家畜が水飲みに来たとき発情するようにし、その枝の前で交尾するようにしました。そこにはもう一つのことがあります。

 41節の方がいくらか分るように感じます。丈夫な家畜が交尾する時には縞、まだらの木肌を見せるようにした。この結果、ヤコブは丈夫な羊、山羊を持つようになったのです。
そしてますます豊かになります。ラバンの欲の結果である、と言いたいようです。

 ヤコブはますます豊かになります。多くの家畜、男女の奴隷、駱駝、ロバなども持つようになりました。

「豊かになる」とは何を指して言うのでしょうか。奪い取ることによって豊かになることがあります。ヤコブは、そうではありませんでした。
家族、子供の数、家畜を飼う技術、羊や家畜の数、これらは目に見えるものです。
アブラハムの子孫であるイスラエルの人たちは、こうした目に見えるものの陰に神の祝福がある、と信じました。

神の祝福を信じる信仰は、ヤコブの内でますます豊かになります。
豊かさにも目的があるはずです。ご計画の中で、どの様に位置づけられるのでしょうか。

すべては、神がお約束してくださったことに基づきます。神は真実であって、約束は必ず守られるのです。その人の力や能力ではなく、神が最善と見られることを行なってくださいます。すべての人に同じ恵み、祝福が与えられるわけではありません。不公平だ、と感じることもあります。同じ伝道者であっても、決して同じではありません。

私は、問題のあった教会ばかりを歩いてきたようです。一つの任地などは、あの教会だけは止めた方が良いよ、と忠告されました。それでも行くことになりました。信頼されるように一生懸命努力しました。辛いこともありました。今は感謝しています。

昨夕、門に教会案内を入れるボックスが取り付けられました。その看板業者の社長と話しました。同年輩、どうして牧師になったか、と聞きます。話をし、聞きました。同志社法学部、60年安保で左翼へ。今、もう間もなく、と感じる。これまでの人生を振り返り、確認したい。これで良かった、と。彼は充足しています。でも不安があります。私たちとほぼ同じでしょう。

すべてのことは、神様の恵みの計量器の上でバランスが取れています。長い期間が必要かもしれません。人生の最後のときにそのことが確認できます。蓋棺定評と言います。私たちの周囲の人が評価してくださるのです。先週日曜、亡兄の法事がありました。兄のこと、そこには居ない弟の私のことなど話が弾んだそうです。神の恵みが証されていれば嬉しいことです。

捕鯨と繁栄 2008年5月4日

戦後日本社会は豊かになりました。社会的なインフラが整備され、社会全体の資産が増加しました。17・18世紀のイギリス、フランス・オランダ・スペイン・ポルトガルは、新大陸発見により財貨を獲得し、植民地を経営して利益を上げました。それによって現代に至る社会構造を構築しました。整然たる町並み、全国の道路網上水道、下水道の整備などです。市民一人一人も資本を投下し、利益を得ました。豊かになりました。

19世紀にはアメリカが参加します。
ひとつの例を挙げるに止めます。北米、チェサピーク湾一帯は漁業基地として発展しました。捕鯨船の基地もありました。欧米の鯨捕りは、すでに近代的な商業活動の一端となっていました。大きな船を用いて遠洋へ出かけ、一航海に数ヶ月をかけ、たくさんの鯨をとりました。一年に及ぶこともあります。船の上や波の静かな入り江の岸辺で鯨を解体し、加熱して油を採りました。残りは棄てます。わずかに鬚はペチコートの骨材として用いられました。それ以外は棄てられました。